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1994年《ばらの騎士》譚(Vol.3)---Die Schwäche von allem Zeitlichen限りあるものの弱さ/儚さ
"Alles geht durcheinand! 何という混乱!"
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チケット争奪狂詩曲
3月のウィーン公演が成功裡に終えた事を知った日本は、早速その年10月来日公演のチケット発売を迎えることになる。
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チケットの確保それが問題
S席65,000円という《ばらの騎士》のチケット高額設定は当時から騒がれていたが、都合6回公演もあるとはいえ、限られた席を確保できるのかどうかも、多くの関心の的であった。
当時私は日本ワーグナー協会会員で、この年の春先に会報の中に挟まれていたウィーン国立歌劇場来日公演の優先予約の案内を受けられるという幸運を得た。
購入チケット数の制限有無に関しては記憶が曖昧だが、両親そして親しい方のチケットも合わせて申し込みをして、私自身は前年冬のボーナスを資金に10月7日初日、4日目の15日そして20 日千秋楽の都合3公演を確保した。
そして、4月24日の一斉前売販売を迎える。
これに関しては、以下の貴重な証言を紹介したい。
「チケットは日曜日の午前10時に発売で、E券、F券(下の2ランク)は東京文化会館チケット・サービスの窓口でしか買えないことになっていました(チラシをご参照ください 【註:上掲の画像を参照】)。文化会館が公式に出す整理券は、当日の早朝。 しかし、こうした売り方の場合、数日前には勝手に行列が出来ていることが時々あったのだそうです。 94年ウィーンの場合は、その行列が5日前の火曜日には始まっていて、先頭で行列を自主管理している方々(自営業の音楽ファンが多いと伝え聞きました)がチケット・サービスと交渉し、この行列を当日朝の整理券を取るための行列として認めて貰っていたそうです。 行列に加わるには、名前の登録と毎朝8時、夜22時の点呼に来ること。50人ずつ切った行列に並び、点呼をし、その場で数分待って、すぐ解散です。最後が当日朝の6時で、公式な整理券は8時ぐらいに配布され、無事に解散したと思います。 自分が水曜日に名前を登録しに行ったときは、既に200番を超えていたと記憶しています。行列の前の方には芸大の著名な先生方もいるよ、などという話を聞いたこともありますが、とにかく前の方は社会人が多かった。当時はまだ携帯電話も普及していなかったと思います。行列を見つけた友人が公衆電話から私の家の電話に連絡をくれましたが、こうした音楽ファンの情報網は若い人たちより長年ファンをやっている大人の方が強いのだなと感じました。学生はむしろ後の方から行列に加わっていました。 当時はユース・チケットなど無いので、とにかく若者も高齢者も、安い席が欲しい人は並ぶしかありませんでした。(チラシに書いていないのですが、E、F券はひとり1演目2枚の制限があったと思います)」
「チケット発売日の1週間前から東京文化会館のチケット売り場には徹夜の長い行列ができてしまいました。主宰者のNBSは実に良心的にチケットの窓口売りを行ってくれたのでした。1970年代にはおなじみの行列風景が久しぶりに復活したのでした。朝日新聞やNHKもクライバーの『バラの騎士』のチケットを求める数百人の徹夜行列を取材しておりました。」
上記にあるように、このチケット発売の様子は新聞記事として出た。
「日本公演の電話予約もはやばやと売り切れ、比較的安い席を窓口で求めようと、文化会館には徹夜の列ができた。」
ウィーン公演のNHK放送と商品化
7月NHK衛星での放送
即日完売のチケット争奪戦から暫く経った7月、NHKはBS放送にて3月23日のウィーン公演の《ばらの騎士》録画を放送する。
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NHK衛星第2 BS11の13:30〜「クラシック・シアター」の枠で放送
ウィーンでの上演からわずか4ヶ月足らずで放送された事はクラシック音楽ファンの大きな注目になったのは事実である。
またこの放送はこの後9月に発売されるレーザー・ディスクの商品化されたものとは違うアングルショットやカーテンコールが含まれている点で貴重な放送でもあったことは付記しておこう。
ドイツ・グラモフォンからの商品化
そしてNHKの放送から約2ヶ月後の9月21日に映像会社ユニテルの商品用編集を経たウィーン公演のレーザー・ディスク盤がドイツ・グラモフォンから発売される。
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この商品化についての経緯は伝記「カルロス・クライバー ある天才指揮者の伝記」が詳しい。
「(ウィーン公演)三回のうちのどの公演を録画するか、また場合によってはウィーンか日本か、どちらの録画を採るかが議論の的になった。同時に録画をCDでリリースすることでも激しい議論が交わされた。さまざまな噂が飛び交った。録音のマスターテープにいちばん高値を付けた者に売るという噂が。ソニー・クラシカルの社長ギュンター・プレーストは日本での録音をCD化したかった。しかしソニーはその後クライバーの同意を得てウニテル社と並行してウィーンで録音することになった。クライバーがこの録音にOKを出せば、CDとして発売する予定だった。しかし彼はその後テープの音を消すように要求した。」
CD化は実現できなかったとはいえ、ウィーンでの《ばらの騎士》が映像商品化されたことは幸甚である。
そして日本にとっては、来日直前のいわゆる「来日記念盤」という、とっておきのスーベニアになったのである。
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ところでヴェルナーの引用にあった日本でのCD録音については続く別の章で言及したいと思う。さて次回はからいよいよ来日公演を巡るエピソードをまとめたいと思う。
この項、了