"Was drum und dran hängt, ist mit dieser Stund’ vorbei それに関する全ての事柄は、今を以て終わったのです"
祭りは終わった
最終公演の幕が下り、カーテン・コールとなった。
クライバーは初日こそ単独でも登場したが、それ以降は一人で出ることはなく、必ずマルシャリンの小姓と一緒に聴衆の歓呼に応えていた。
《ばらの騎士》千秋楽はウィーン国立歌劇場日本公演自体の最終日でもあったので、各出演者のカーテン・コールが一段落すると幕が再び上がって、「SAYONARA」の看板が舞台上に掲げられ、紙吹雪と共に《締め》として舞台の真ん中に鏡開きの酒樽と木枡が置かれていた。
それにすぐ反応したのは他でもないカルロス・クライバーであった。
生涯最高の出来
最終公演はのちのメディアの報道で指揮者本人の「生涯最高の出来」という発言を知る事になる。都合3回の公演を観た私も千秋楽は後半になるにつれて高揚感が尋常ではなく、特に終幕の三重唱から終結にかけては最高の出来だったと感じている。
しかし、この最終日公演(6日目)の直前には関係者も狼狽えるほどのアクシデントがあった。
そして終わりよければ全て良し。
マエストロのお茶目な発言も。
ソニー・クラシカルからの録音の申し出を断っておきながら、クライバーは悪気もなく録音が欲しいと言うところに、千秋楽の出来に対して率直な満足感を表したのである。
祭りの後
公演後の日本のメディアはこぞって絶賛。
「呆然自失」と感動の余りの狼狽をあられもなく記した畑中良輔氏の朝日新聞公演評にはじまり、吉田秀和氏も連載コラム「音楽展望」にて「『入神の技』などいう言葉が使いたくなったのはこれが初めてである」と興奮を抑えきれない様子が綴っている。
当時の音楽専門誌、新聞には名だたる音楽評論家がこの《ばらの騎士》に関する評論を書いていたのに対して、雑誌「FMfan」は今のメディアにはなくなった読者目線によるリポート(メインは石戸谷結子氏による)で、時に公演のこぼれ話なども交えた楽しい誌面だったのが懐かしい。
こうして「奇跡の組み合わせ」による1994年ウィーン国立歌劇場来日公演《ばらの騎士》は終わったのである。
次回、最終章にてこの一連の文章は終わる。
この項、了