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1994年《ばらの騎士》譚(Vol.6)---Die Schwäche von allem Zeitlichen限りあるものの弱さ/儚さ


"Was drum und dran hängt, ist mit dieser Stund’ vorbei それに関する全ての事柄は、今を以て終わったのです"

祭りは終わった

最終公演の幕が下り、カーテン・コールとなった。
クライバーは初日こそ単独でも登場したが、それ以降は一人で出ることはなく、必ずマルシャリンの小姓と一緒に聴衆の歓呼に応えていた。

《ばらの騎士》千秋楽はウィーン国立歌劇場日本公演自体の最終日でもあったので、各出演者のカーテン・コールが一段落すると幕が再び上がって、「SAYONARA」の看板が舞台上に掲げられ、紙吹雪と共に《締め》として舞台の真ん中に鏡開きの酒樽と木枡が置かれていた。
それにすぐ反応したのは他でもないカルロス・クライバーであった。

「THE VIENNA STATE OPERA IN JAPAN  the Japan-tours from 1980 to 2008」〜p.38
雑誌「FMfan」1994年No.25号(共同通信社)〜特集「ウィーン国立歌劇場来日公演総力リポート」
雑誌「音楽現代」1994年12月号 カラー口絵

「料亭の主人役を歌ったヨゼフ・ホプファーヴィーザーは特別の栄誉に与った。クライバーは舞台に酒樽を持ち出したのは良いが、大きな柄杓で小さな猪口に酒をうまく注ぐことができなかった。そこで料亭の主人役の歌手は言った。『それはわたしの役目です。料亭の主人はわたしなんだから』

アレクサンダー・ヴェルナー著「カルロス・クライバー ある天才指揮者の伝記 下」音楽之友社(2010年刊行)~p.340


生涯最高の出来

最終公演はのちのメディアの報道で指揮者本人の「生涯最高の出来」という発言を知る事になる。都合3回の公演を観た私も千秋楽は後半になるにつれて高揚感が尋常ではなく、特に終幕の三重唱から終結にかけては最高の出来だったと感じている。

「最終日では、指揮者カルロス・クライバー自身が『生涯最高の出来』と認めるほどの名演」

広渡勲「マエストロ、ようこそ」音楽之友社(2020年刊)〜p.153

「出来栄えにもご満足で、『これなら7回目も振っていいよ』と言ったとか。特に最終日の『ばらの騎士』は、本人も会心の出来。「完璧だったね」と言っていたという!」

雑誌「FMfan」1994年No.25号(共同通信社)〜特集「ウィーン国立歌劇場来日公演総力リポート」より

しかし、この最終日公演(6日目)の直前には関係者も狼狽えるほどのアクシデントがあった。

「5回目の公演後に事件が起きました。カーテンコールの後、クライバーは楽屋に戻る途中、待ち受けるホーレンダー総支配人や各セクションのトップ奏者を無視して通り過ぎ、楽屋に内から鍵をかけて閉じこもったのです。周囲も唖然とし、私も最後(6回目)をキャンセルされるのはないかと不安になりました。何度も扉を開けるよう声をかけても、全く応答がありません。
1時間後、ようやく扉を開けて出てきた(中略)
強引に彼を赤坂見附の鉄板焼き店に誘いました。ビールで乾杯し、食事が進むうちにクライバーも少し落ち着いたようで、特定の打楽器奏者の名前を挙げ、演奏の不出来を罵倒し始めました。
1日おいた翌々日の最終回の日(中略)彼は妙にハイで、『あいつら勝手にやりたいようにやればいい!こっちもやりたいようにやる!』と、物騒な物言いです。」

広渡勲「マエストロ、ようこそ」音楽之友社(2020年刊)〜p.165-166

「だれもが彼を必死に説得し、彼はしぶしぶ応じた。十月二十日の第六回目の公演で楽員たちと彼はなんとか折り合いをつけた。それでも一触即発の危機がくすぶっていた。しかしクライバーはみんなを驚かせた。楽員たちが着席してみると、どの譜面台の上にも詫びの言葉と親密な言葉、それに---忘れられてはならないが---音楽上のいくつかの指示を書き込んだメモが載っていた。上演はまがりなりにも成功し、楽旅は和解のうちに終わった。」

アレクサンダー・ヴェルナー著「カルロス・クライバー ある天才指揮者の伝記 下」音楽之友社(2010年刊行)~p.340

「ところが、この夜思いもかけぬ奇跡が起きました。歌手、指揮者、オーケストラが見事に溶け合い、客席も陶然となる奇跡的な名演が生まれたのです。終演後、オーケストラのメンバーから、クライバーが最終場面で涙ぐんでいたという話を聞きました。」

広渡勲「マエストロ、ようこそ」音楽之友社(2020年刊)〜p.166

そして終わりよければ全て良し。
マエストロのお茶目な発言も。

「最終公演の6回目(中略)帰りの車の中で、『今日の公演の録音が欲しい』と言われました。数日前、こちらの方から録音の申し出をしていたのですが、あっさり断られ(中略)当然最終日は録音はしてなく、『マエストロに断られたので、録音は当然ありません』」

雑誌「音楽の友」2004年10月号 特集I「永遠のカルロス・クライバー」音楽之友社〜広渡勲氏の発言p.107

ソニー・クラシカルからの録音の申し出を断っておきながら、クライバーは悪気もなく録音が欲しいと言うところに、千秋楽の出来に対して率直な満足感を表したのである。

祭りの後


公演後の日本のメディアはこぞって絶賛。
「呆然自失」と感動の余りの狼狽をあられもなく記した畑中良輔氏の朝日新聞公演評にはじまり、吉田秀和氏も連載コラム「音楽展望」にて「『入神の技』などいう言葉が使いたくなったのはこれが初めてである」と興奮を抑えきれない様子が綴っている。

初日10月7日直後に出た朝日新聞 夕刊の畑中良輔氏による公演評
来日公演終了後の朝日新聞 夕刊の吉田秀和氏「音楽展望」
雑誌「音楽芸術」1994年12月号 遠山一行氏のコラム「東京日記」(音楽之友社)
雑誌「音楽の友」1994年12月号 カラー口絵の堀内修氏のオペラ評(音楽之友社)

当時の音楽専門誌、新聞には名だたる音楽評論家がこの《ばらの騎士》に関する評論を書いていたのに対して、雑誌「FMfan」は今のメディアにはなくなった読者目線によるリポート(メインは石戸谷結子氏による)で、時に公演のこぼれ話なども交えた楽しい誌面だったのが懐かしい。

雑誌「FMfan」1994年No.25号(共同通信社)
雑誌「FMfan」1994年No.25号(共同通信社)〜特集「ウィーン国立歌劇場来日公演総力リポート」
雑誌「FMfan」1994年No.25号(共同通信社)〜特集「ウィーン国立歌劇場来日公演総力リポート」


「息を呑む、魅惑的な、想像を超えた、ほとんどこの世のものとは思われぬような上演だった」(ウィーン国立歌劇場監督イオアン・ホレンダー)

アレクサンダー・ヴェルナー著「カルロス・クライバー ある天才指揮者の伝記 下」音楽之友社(2010年刊行)~p.340


こうして「奇跡の組み合わせ」による1994年ウィーン国立歌劇場来日公演《ばらの騎士》は終わったのである。


次回、最終章にてこの一連の文章は終わる。
この項、了


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