人間万事塞翁が馬
このことわざがわたしの座右の銘である。
◉ちなみに由来と意味
◯由来
国境に近い塞(とりで)に住んでいた老人が飼っていた馬が逃げてしまった。近所の人たちが「かわいそうに」と慰めたがその数か月後、逃げた馬が足の速い優れた馬を伴って戻ってきた 。
しかし、老人の子供がその駿馬に乗り落馬して足を折ってしまった。ただ、その怪我のおかげで兵役を免れて命が助かった。
◯意味
「人生における幸不幸は予測しがたいということ、幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないのだから、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないというたとえ」
この言葉がいつも胸にあるからこそ、自分や周りの人とちゃんと向き合って、自分の人生を自分自身で選択していかなければいけないんだと言い聞かせている。
怒られたから辛い!とか、彼氏ができて幸せ〜!とか浮気されて死にたい、、とかそんなことで一喜一憂することは意味がなく、人生の最後の死ぬ瞬間にしか良かったか悪かったか、幸せだったかそうじゃなかったか、なんて分からないということ。
怒られたことで悔しい気持ちが生まれてやる気になるかもしれないし、大好きな彼氏と結婚しても将来は歪み合って離婚するかもしれない。でも離婚したことでもっと素敵な人に出会えるかもしれない。
何が起きるか分からない。
だから今目の前で起きていることに翻弄されない。でもそれらを、自分の意思で決めていくことが大事なんだと。
決断が間違っていたか合っていたかではなく、それを自分自身で決めて行った行動なのかどうか
最終的に(死ぬ時が最終なのか?)幸せだったなあ最高!ってなるか、後悔して悲しい人生だったと思うのか、どうなるかわからないけれど、親の言うとおりや、友達の言う通りに動いていたら、他責にして自分の人生に胸を張れないんじゃないかなと思った。
自分自身で人生の選択をしていけば全て自分が選んだことだ、自分で責任を取る。後悔はなし。そう思って切り替えて、今は辛いけど幸に転じさせるために次は自分がどうするべきか、他人とどう関わるべきかと考えていけると思う。
自分の身に降り注いだことを他責にしていたら、おばあちゃんになっても周りの人のせいにして愚痴を言って幸に転じさせる努力をしない気がする。そんなおばあちゃんはいっぱいいるけど、そんな人にはなりたくないなと思う。
とかいって私が簡単にできることでは無いからここに戒めとして書いているんだけど