子どもを持ちたくないと言った夫について思うこと
だいぶ前に書いて、下書きしていたものを公開してみようと思う。
よく聞かれるからだ。
「どうして旦那さんは子どもが欲しくないの?」
「旦那さんはそれでいいかもしれないけど、あなたはいいの?」って。
だから書いてみたいと思ってた。
少し勇気のいる記事だけど、通りがかった誰かに
こんな夫婦もいるんだな。
こんな考えもあるんだな。
って知っていただけたら。
◇
結婚前、同棲しているときに
当時婚約者の夫から「子どもは持ちたくない」と言われた。
※そのときのことはこの記事参照。
ショックだったし、自分の気持ちひとつで
「子どもは持ちたくない」と言ってしまう夫を
自分勝手だと思ったことがあるのも嘘じゃない。
だけど…
それらの気持ちよりも上回る気持ちがあった。
「偉いなあ」と思ったのだ。夫に対して。
それは結婚前にわたしにちゃんと
「自分は子どもは持ちたくないと考えているけど、それでも結婚して大丈夫なのか」
と確認してくれたこともあるけど
「子どもを持つこと」についてちゃんと考えてくれたことが。
結婚前に、夫は言った。
「子どもが五体満足で産まれてくるとは限らないし、障害を持って産まれてきたらと考えると受け止められる自信がない。
それに子どもの泣き声とかで寝不足になったり、やりたいことができなくなったり、いまのように生活できなくなることが自分に耐えられるかわからない。
自分だけでもいっぱいいっぱいなことがあるのに子どもを育てられる自信がないし、
いまのところ欲しいとも思えない。
自分はmimiちゃんと二人で暮らしていきたい。」
この言葉を聞いたとき、夫を尊重したい気持ちがありつつも、なんか自分のことばかりだな〜
と思わなかったわけじゃない。
「子どもを持たない」と考える人が、精神的に幼いとか未熟と叩かれることがあるけど
わたしも夫に似たようなことを感じたのだ。
父になる覚悟のない夫を頼りなく感じたこともあったし、
彼は「親になる」よりも、まだ自分中心に楽しみたいのだなあ、ともやもやした気持ちにもなった。
だけどわたしのその考えは間違ってた。
だって思うのだ。
子どもを持つことに慎重になってなにが悪い?と。
命を育てることに対して重く受け止め、
『もし障害を持って産まれたら?子どもが夜通し泣いて毎日寝不足になったら?』と想像して
自分にはそこまでできないかもしれない。
と思うことの、なにが悪いのか。
よく「考えても仕方ないし、産んだらなんとかなるよ」なんて言う人がいるけど、本当に?
産んでなんとかならないから、虐待や育児放棄はなくならないし、赤ちゃんポストというものが存在していたりするんじゃないの?
産んでなんとか育ったはいいものの、大人になって、人を殺したりしたらどうするの?
殺人犯の親はみんな、自分の子が人を殺すことになるなんて思いもしなかったはずだ。
これはネガティブに考えすぎだとは思うが
でも自分だけは絶対そうならないなんて、
子どもを産んだ以上ゼロではないのだから。
それに「産んだらなんとかなる」って言うけど
口を出すその人はなんとかはしてくれない。
なんとかするのは自分たちなのだ。
それなのに子どもを持たないと選択する人に
「考えすぎ」とか「産んだらなんとかなる」って
なんて無責任な言葉だろう。
わたしの夫は子育てを「まあなんとかなるっしょ」と考えるような人ではなかった。
「なんとかならないかもしれない。だから子どもは持たない」とまで考える人だった。
それは無責任に「なんとかなる」なんて言ってしまう人よりも、よっぽど育児や子どもを持つことに誠実に向き合ってると思うのだ。
それに夫からそういう言葉がでてくるのは
もし子どもを持つなら育児に参加する気でいるからだ。
言い方は悪いけど、世の男性には
『出産も育児も妻に任せればいい』
という考えを持つ人がいまだにいる気がする。
男性の育児休暇取得が浸透していない社会も要因だとは思うけど、やっぱり『育児は妻がやるもの』という風潮はまだまだあり
子どもが産まれても変わっていくのは妻だけで、夫は遅くまで飲み歩いたり、父になっても生活を変える気がない人がいるのも事実。
でもわたしの夫はそういう考えの人ではなかった。
もし自分に子どもが産まれたら妻のわたしに丸投げせず、自分も一緒に育てていく気のある人だった。
だからこそ夫は真剣に育児について考え、
自分に育児ができるだろうか?と想像してくれた。
そして想像力のある夫は「自分にはできないかもしれない。自信がない。」
というこたえを出したわけだけど
そこまで真剣に悩んでくれて、考えてくれた夫をどうして自分勝手だなんて責められよう。
むしろ、そんなに考えてくれてありがとう。
と思うのだ。心から。
そんなわけでわたしたちは夫の希望で、いまのところ子どもを持たないと決めている。
それでもいまも妻のわたしには、子どもが欲しい気持ちはずっとある。
子どもを持ちたい気持ちが完全になくなったことはなくて、
それはべつに、世間体とか親に孫の顔を見せたいからとか後悔するからということではまったくない。
単純に、愛する夫との子どもに出会ってみたいからだ。
自分と、世界一大好きな夫の子どもはどんな子なんだろう?と思うし
父になる夫を見てみたいし、わたしも母になってみたい。
その想いはやっぱり消えずにある。
だけど同じか、それ以上に夫婦二人暮らしもいいなあ。と思う。
新婚だからというのもあるのかもしれないが
いま夫と二人で暮らしていて、毎日がとても楽しいからだ。
要は夫といられるならどちらでもいいんだと思う。
ネガティブな意味での『どっちでもいい』ではなく、ポジティブな意味での『どっちでもいい』。
過信しすぎかもしれないけど、わたしたちはきっと、夫婦二人でも、子どもがいても、どちらでも幸せに暮らしていける。
だからどっちでもいい。
子どもを産む、と決めるその覚悟はもちろん立派だと思う。
すごいことだと思う。
だけど自分のキャパを把握し、産まないと決めることも同じくらいすごく大人で、責任感のある立派な決断だと思うんだ。
だから子どもを産まないと言う人を、その選択を、未熟だとか、勝手だなんて言わないでほしい。
わたしは夫と出会い、結婚して、そう思った。
それまで結婚したら次は子どもなのかな〜と安易に考えてた自分より、
子どもを持たないと言った夫の方が、よっぽどちゃんと子どもについて考えてた。
こんな選択があるなんて知らなかった。
こんな考えになるなんて思わなかった。
夫と出会って結婚して、子どもを持たない人の考えや、抱える悩みも知るようになった。
一人だったら知らない気持ち、気づかなかったことをたくさん教えてもらった。
いまは子なしを選択してるわたしたちだけど
もし夫が「子どもが欲しい」と言って、わたしがまだ産める年齢だったら喜んで産みたいと思う。
でももしかしたらずっと夫婦二人かもしれないし、それならそれでいい。
慎重でよく考える夫のことだ。
どんな選択をしようと、たくさん考えてのことだろう。
夫が決めたならそれでいい。
信頼してるのだ、夫のことを。
そうやって夫の気持ちを尊重しながら
これからも二人で一緒にいると思う。
なぜならわたしは子どもが欲しくて結婚したのではなく、夫と一緒にいたくて結婚したからだ。
そこまで思わせてくれる夫との出会いは
わたしにとっては子ども以上に、神様からの授かり物。
どんな選択をしようと、二人が穏やかに笑っているなら、それで充分なのだ。