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躓いてこそ出会う魅力。弥勒。ミラクル。
普段の生活のなかで、やらかすことは多々ある。人間だもの。不注意だったり、単に疲れていたり、判断を誤ったり、文字通り何かに躓いて転んだり。
その時に、現れる救いの手。
欠けたところを埋めてくれる何かが、現れる。
倒れた身体を引っ張り上げてくれる腕。
笑い飛ばしてくれる心。
こんなに迷惑かけてしまってと申し訳なさに死にそうになるも、
人の懐の広さにすっぽり包まれて、ありがたさに泣きそうになったり。
自分が未熟で、不完全なばかりに、人間という生き物の優しさに触れることができる。
大失敗、と詰り続けることもできるが、
そのお陰でこんなにも人間を愛することができる。
巷に溢れる情報を読めば、悪魔のような人間のなんとも情に欠ける行動だとか、
歴史を振り返れば人間の欲と業に汚れきった史実が次から次へと出てきて、
なんでこんなにも愚かな人間をやっているのだろう。海はドロドロ、川はカラカラ、森はパサパサ、空はモクモク。
すべての生き物に謝罪したい。
それでも、人間には心があって、見知らぬ人同士でも、優しさをもって交流することができる。もちろんいろんな国の、いろんな状況下で暮らす人々がいるが、どこに旅行に行っても、困った時に、さっと助けに来てくれる人や、親身になって話を聞いてくれる人、なにか一つでもできることはないかと真剣に対応しようとしてくれる人たちに出会った。
物理的に貧しいとか、肌の色だとか、年齢性別そういうことは関係なく、人と人として接してくれる人たちはどこの国にもいた。(と言ってもすべての国を旅したわけではないが)目を見れば、伝えあうことができる。
一度、スーパーマーケットで大量の買い物をした腰のまがったおばあさんが、ヒイヒイ言いながらカートから自分の買い物カートに商品を移していたので、手伝ったことがある。
言葉は通じない東欧のどこかから来た方のようだった。手伝い終わったら、おばあさんが半泣きで力強く抱きしめてくれた。
こちらもなんだか泣きそうになりながら、言葉にならない言葉を掛け合って別れた。
この交流をいつ思い出しても、心が温まる。
海や山や川や森を、我が子のように抱きしめるたくさんの人たちもいるし、
人間も捨てたもんじゃない。
そう思える出来事に出会う度に、救われてまた、自分の中の優しさを思い起こさせられる。
それだから、僕たちは未完成で未熟で未発達の不完全な姿を選んでやってきたのだと思う。
完全無欠の人しかいない世界では、ありがとうという言葉も生まれなかったかもしれないね。