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2000字小説「チャンスの髪様」

僕には、他の人には見えないものが見える。
初めて見たのは、小学5年生のころ。
ホームルームの時間。クラスメイトのじゃれ合いで騒がしい教室で、僕はひとり黒板をぼんやりと眺めていたが、ふと、真横に白いかげがすっと立ったのを感じた。
ギリシャ神の衣をまとった、はげつるでのっぽの男が、金色の前髪だけを腰ぐらいまで長く垂らして、その隙間から僕をぎょろりと見下ろしていたのだ。
(幽霊…! いや、金髪の貞子!?)
思わず身構えた僕に向かって、そいつはおもむろに自身の頭髪を掴み、こちらへ差し出した。まるで「掴め」とでも言わんばかりに。
おずおずと、僕が右手でその髪を握ったその瞬間、そいつはヘビーメタルバンド並の激しさで大きくのけ反り、髪の毛もろとも僕の腕を引っ張りあげてしまった。
(えーっ!?)
片手を高く引き上げて固まった僕。
静まり返った教室に先生の声が響いた。
「立候補ありがとう。みんな拍手です!」
こともあろうか、僕は学級委員にされてしまったのだ。人見知りの僕には絶対無理だ。絶望する僕をよそに、もう一人の学級委員は密かに想いを寄せるクラスのマドンナ、みさきちゃんに決まった。一体何が起きたのか。理解が追い付かず、後ろを振り返っても、既にそいつは煙のように消えていた……。

それからというもの、彼らはいつも突然あらわれた。
何回も目撃して分かったことだが、やつらは老若男女問わず、背格好も違う。しかし、はげつる頭に前髪を垂らした、なんとも奇妙な特徴のおかげで、現れれば、すぐ分かった。
その前髪を掴めば、必ず良いことが何か起こるが、おとなしく前髪を掴ませてくれたのは、最初の神様ぐらいで、それ以降のやつらは、ちょっかいをかけてくるくせ、僕が前髪をいざ掴もうとすると、みんなもの凄い速さで走って逃げようとした。
そんなことが続き、僕は大学生になった。

春のある日、バイト先で、湯気立ちのぼるナポリタンを窓際の席まで運ぶ途中、ふと、客席の足元を視下ろすと「やつ」はいた。
子供みたいな背丈の、顔はおじさんの姿で、椅子の下をちょこまかと走っていったのだ。
「おい、まて!」
僕は給仕を放り出して、そいつを追いかけた。黒いエプロンのまま、店の外に飛び出て、非難のクラクションの中、車道を突っ切って一目散に追いかける。
その足は速かったが、僕も負けてはいない。いつも彼らに翻弄されるのが悔しかった僕は、中学から陸上部に入部し、短距離走をこれでもかというくらいに磨いてきたのだった。
カーブで駆け込みをかけた時、とうとう小人との距離が縮まった。
(いける、手が届く!)
しかし、僕の視界に、逃げる背中とは別のものが飛び込んでくる。向こうの歩道で、女性がひったくりにあって、悲鳴を上げたのだ。
「くそ!」
ぐいっと小人から方向を変え、車道を横断し、はるか先を逃げていく黒いキャップの男を全速力で追う。びゅうびゅうと風が頬をかすめ、足の筋肉が熱を持ち始める。
(あとちょっと! あとちょっとで届く!)
息が苦しい。歯を食いしばる。限界のところで、ひったくり犯の背中に体当たりし、ともどもなだれ込むように歩道に転がった。

「あの……ありがとうございました」
パトカーの赤い光と、夕暮れに照らされた桜の花が舞い落ちる公園で、被害者の女性に話しかけられ、顔をあげた僕は息をのんだ。
(み、みさきちゃんだ…!)
夕暮れの柔らかな光に包まれて、微笑む女性が目の前にいる。
化粧をして、少し大人っぽい雰囲気になってはいるが、その可愛らしい面影は、初恋の思い出の、みさきちゃんのままだった。
「やっぱり、小学校で一緒だった田中くんだよね…? こんな所で会えるなんて! 」
みさきちゃんは嬉しそうにそう言って、素敵なえくぼを浮かべて笑った。
「田中くんがあんなに走るの早いなんて、知らなかったよ」
僕は嬉しくてとろけてしまいそうになった。
みさきちゃんの背後で、さっきの小人が、小さい手をぶんぶんと振っている。「あばよ!」と歯の抜けた口をパクパクさせてこちらに伝えると、煙のように消えてしまった
なんとなくわかる。彼らははもう、ちょっかいをかけてこなくなるのだろう。
チャンスは自分で探して掴まないと。
僕はみさきちゃんを見つめ、息を吸った。
「……このあと、ご飯でも一緒にどう?」

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