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ショートショート「アート」

油絵具をパレットにのせる。  キャンバスに筆を走らせる。描いているのは虎の右足だ。肌をおおう毛の、一本一本。ごわついた毛を、黄色や茶色をおりまぜて表現する。  伸びやかなタッチで、かつ、繊細に。  筆をおくと、画家の小田原朔太は、F四〇号のキャンバス全体を見渡した。一体の獣が、まっすぐ前を見つめ、牙をむいている絵だ。  その獣は虎の足をもつ。鋭い爪のついた逞しい足が大地を踏んでいる。しかし、その腹まわりは狸の柔らかい茶毛が生えていて、尻尾は蛇の皮で覆われる。首から上は猿だ。賢

    • ショートショート「幸運の矢」

       男は丘の公園に立ち、夕暮れに染まる町を見つめていた。  小さな家々の合間に、大学病院の棟がどっしりと構え、夕日を遮っている。  男はその両腕の筋肉が膨れて震えるほど、力を込めて大きな弓を引いていた。  学生の頃から弓道で使い慣れた道具。その矢先をどうして住み慣れた町に向けているのか、男自身も分かっていなかった。これはとても曖昧な夢だった。  矢先の標準を病院の前の横断歩道を渡る長い水色のスカートの女性へ合わせる。ゆらゆらとした人影を、男は細めた目で見据えている。

      • ショートショート「夏の終わりの日」

        八月三十一日  A小学校 四年B組 か沼ゆう介  きっかけ  朝七時、ラジオ体そうのために近くの公園に行くと、同じクラスの村田りんかさんに会いました。  みんながぞろぞろ帰る中、僕を呼びとめた村田さんは「時を止める方法を教えて!」と言います。一体何ごとかと思ったら、「夏休み最後の日が終わっちゃわないように、今日をできるだけ長くする方法を知りたい」と言うのです。ちなみにその理由は「漢字ドリルと、算数ドリルと、読書感想文が終わってなくて、明日ぜったい荒川先生におこられるから」と

        • 「忘れられない景色(1)」

           僕は小学三年生の時、神かくしにあった。  当時は年が二個上の姉と一緒に、僕は地域のスポーツ教室の、あけぼのサッカークラブに通っていた。  僕のクラスメイトの父親で、元Jリーグ選手だった澤村繁がボランティアで運営しているこのクラブは「サッカーを通して自立したこどもを育てる」がスローガン。  小学生の大会ではいつも上位にはいるし、クラブの子どもたちの素行は良く、勉強にも精を出すので、地元では最も人気なクラブだった。  人気といっても小学校のみんなが入りたがったというよりは

          ショートショート「助け合えば友」

          蝉の鳴き声が響く、蒸し暑い夏の夜。 コンビニの店内は、冷房のひんやりとした空気が満たしている。 聡は制服の袖を肘までたくし上げ、店内BGMに合わせて僅かに頭を揺らしながら商品を陳列していた。 おむすびは種類ごとに素早く並べる。鮭、梅干し、ツナマヨ、昆布。弁当はハンバーグがよく見えるよう向きを揃えて並べ、サラダは容器の大きさに分類して陳列。その間にお客が入店した時の電子音がするたび、聡は首だけ捻ってレジの方を見る。 「おっ、」  聡は売り場を駆け足気味に、レジの方へ向かった。入

          ショートショート「助け合えば友」

          ショートショート「選択C」

          こじゃれた音楽が流れる夜のイタリアンレストラン。 合コンのために集まった男女ふたりずつ合わせて四人の大人たちは、テーブルに置かれたメニューを一緒に覗き込む。 「ナポリタンかイカスミパスタ。どちらをを頼もうか」  成島がイタリア製の革靴を履いた足を組み直し、そう言うと、女性達は笑いあった。 「そんなの、ナポリタンに決まってるよ」 「イカスミじゃ歯が黒くなって嫌」  同僚の村田も口を挟む。 「じゃあナポリタンを皆でシェアしよう」 「オーケー、それじゃあメインはビー

          ショートショート「選択C」

          ショートショート「深夜のお悩み相談室」

          さぁ、ミカコのオールナイトジャパァン、お悩み相談のコーナーに参りましょ。 ラジオネーム『OLひよたん』さん、東京在住28歳女性からのメールです。 『ミカコさまこんばんは。私は今、とっても深刻な問題に直面しています。前髪をこのまま伸ばし続けるか、思いきって切るかです。彼氏は絶対に短い方が良いと言いましたが、自分では伸ばした方が似合うと思っています。どっちがよいでしょうか?』  あら、ラジオでこんな質問をされるのは斬新ですね。『OLひよたん』さんの顔を直接見られたらアドバイ

          ショートショート「深夜のお悩み相談室」

          ショートショート「彼の帰宅を待ちわびて」

          あつあつに熱したフライパンに、バターをひとかけら置いて、私はほっと息をつく。  ジュウウ。 静かな台所にバターが溶ける音が響き、柔らかい香りが立ち昇る。  洋食を作る時は、サラダ油ではなくバターを使うとレストランの味になる、とどこかで聞いてから、我が家の冷蔵庫にはいつも個包装のバターがストックされている。 やがてフライパンの底で、黄金の液がぶくぶくと泡立ち始めたら、具材を入れる合図だ。 玉ねぎのみじん切りを入れて、飴色になるのを待ちつつ、ふと慎一のことを思い出す。 彼はこの香

          ショートショート「彼の帰宅を待ちわびて」

          2000字小説「契約書にサインを」

           「これにサインして欲しいんだ」  真っ昼間のファミレスで、恋人の直哉は生真面目な顔で書類を差し出した。パソコンで手作りしたのであろう『婚約事前承諾書兼契約書』というものだ。  「なんだこりゃ」  急ぎの用で会いたいと言うから、会社をランチ時間に抜け出し、受付嬢の制服から着替える手間も惜しんで駆け付けたというのに、要件とはこれだったのか。直哉のいつもの変な癖が始まってしまった。  交際して以来、色んなタイミングで「デートプラン提案書」やら「プレゼント交換企画書」とやら

          2000字小説「契約書にサインを」

          2000字小説「無病息災。」

          東京で疲れ果てた身体に、山梨の冬の夜の空気は沁みすぎる。 スカートなんか履いて来るべきじゃなかった。 タイツ越しに氷点下の空気が肌を突き刺して、ふくらはぎまで冷たく固まってしまったようだ。 私はコートの首元をおさえて震えながらタクシーを降りると、街灯など殆どない道を実家の玄関まで小走りに向かった。 「ただいまぁ」 3年前、広告会社に内定をもらって上京して以来、はじめて帰って来た実家だが、玄関の匂いに包まれたとたんに緊張がほぐれた。 「あら絵里、遅かったじゃない。もう

          2000字小説「無病息災。」

          2000字小説「チャンスの髪様」

          僕には、他の人には見えないものが見える。 初めて見たのは、小学5年生のころ。 ホームルームの時間。クラスメイトのじゃれ合いで騒がしい教室で、僕はひとり黒板をぼんやりと眺めていたが、ふと、真横に白いかげがすっと立ったのを感じた。 ギリシャ神の衣をまとった、はげつるでのっぽの男が、金色の前髪だけを腰ぐらいまで長く垂らして、その隙間から僕をぎょろりと見下ろしていたのだ。 (幽霊…! いや、金髪の貞子!?) 思わず身構えた僕に向かって、そいつはおもむろに自身の頭髪を掴み、こちらへ差し

          2000字小説「チャンスの髪様」

          2000字小説「クリスマスの贈り物」

           クリスマスの朝、少年は広いダイニングの真ん中にどっかりと座り込み、その顔にはこれ以上ないほど不機嫌な表情を浮かべていた。  彼の周囲にはすでに開封したばかりのプレゼントの残骸が広がっているのだが、叔父から貰った精巧なラジコンカーも、叔母から届いた1000ピースのパズルも、両親からの贈り物の分厚いグリム童話の本も、どれひとつ少年を満足させなかったのだ。  家政婦はすっかり途方に暮れてしまった。  家の主人も奥様も忙しい人だから、少年の相手は全て彼女にゆだねられているので

          2000字小説「クリスマスの贈り物」

          2000字小説「船幽霊」

           霧が立ち込めて、行く先も過ぎ去った場所も見えない所を、舟はゆらり、ゆらりと進んでいく。  月明かりも靄の中ではおぼろげで、黒い海の波はただ濁って、底知れぬおどろおどろしさがある。  与一は船頭に座って、見張りとして先を見つめながら、鼻をすすった。ちゃんと前を見続けていなければ、とっつぁんに怒られる。なぜなら夜霧の中が一番、盗賊に襲われやすいからだ。  とっつぁんと、おじちゃん達は暗い眼でぼんやり辺りを見ながら、舟をこぎ続けていた。静かな波の音だけが、闇夜に響いている。

          2000字小説「船幽霊」

          1000字小説「生地をこねて」

           ガラスのボウルに、ぬるま湯を注ぎ入れながら、私はキッチンでほっと息をつく。  小麦粉とドライイーストを手でかき混ぜ、湯になじませていく作業は、趣味で長年続けてきたパン生地作りの中でも好きな作業だ。  暖かい生地の中でドライイースト菌は徐々に発酵し、生地を柔らかく膨らます。冷水をかければすぐ死滅するような繊細な菌だから、温度管理が何より重要なのだ。  私はずり落ちる赤いニットの袖を、粉が付くのも気にせずまくり上げ、そっと笑った。  木枯らしのなかで、寒さに震える健介に

          1000字小説「生地をこねて」

          2000字小説「これが始まり」

          ◇風太 ぼくと美香の始まりは運命だったと思う。 雨が降った秋の日の午後、曇り空の下をぼくは喫茶店の向い側に立って、店を出入りする人を眺めていた。ぼくは来るべき人が来るのを待っていた。 だけど、その日はとことんついてない日だった。朝からずっと待っているのに、待つ人が来ない。 ただ立ち尽くすぼくに、散歩中の大きな犬がすれ違いざまに吠えたてる。ぼくは本当に犬が苦手で、体を震わせて嫌がったのに、飼い主は素知らぬふりで通り過ぎていった。 昼過ぎからは雨が降り始めた。傘なんか持っていな

          2000字小説「これが始まり」

          2000字小説「和室から」

           風鈴の音が静かに響く。  畳の間にずっと居ると、時間の流れがなかなか分からなくなってくるのだが、代わり映えの無い風景の中の、僅かな変化をかき集めて、今は夕方か、とだけ考える。  身体の自由が利かなくなってから、どのくらいたったことだろう。私の意識はつねに朦朧としているのだ。  知らぬ内に始めたうたた寝から、再び意識が戻った時、部屋は襖の間から細く漏れる居間の灯りで、ぼんやりとあかるくなっていた。  向こうから珍しく賑やかな音がするのは、長男と次女が久々に帰ってきたためのよう

          2000字小説「和室から」