菜の花粥
風邪、ですか?
オーダーを取りにきたシェフにそう言われて、あ、いえ、と首を横に振る。
その、ちょっと、二日酔いで。
ああ、と笑顔で肯くシェフに「珈琲を」と言うと、彼はそれ以上訊ねることなく、静かに厨房に戻っていった。
たしかに、ひどい顔だ。
天井までの大きな窓にぼんやり映りこんでいる自分の顔をそっと眺めて思う。境のはっきりしない曇天の空と灰色がかった海の上にうっすら浮ぶその顔には、生気がない。まるで心霊写真みたい。
でも実は二日酔いなんかじゃない。いや、ゆうべお酒を飲んだのは本当だ。それもかなりの量のお酒を。だけど、「思いっきり飲んで、あんな男のことなんか忘れなさい」と息巻いていた好美のほうが先に潰れてしまい、彼女を家まで送っていったらすっかり酔いがさめてしまった。仕方なく自分の部屋に帰ってから、ひとりで缶ビールを飲み続け、夜が明けてようやくベッドにもぐりこみ、目覚めたのが午後2時。
でも不思議なことにお酒は残っていなかった。二日酔いどころか、酔いもアルコールも、それどころか祐太への怒りまでもが手品みたいに消えてしまっていて、なんだかぽかんとしてしまった。
もう、いいや。
ぽろりとこぼれた自分の言葉にうなずいて、あたしはもそもそと服を着替え、この店にやってきたのだった。
祐太が沈痛な面持ちで浮気を告白したのは、火曜日の夜のことだった。ご丁寧に浮気相手の淳子までがやってきて、ふたり並んで事の顛末を語りはじめた。
もちろんあたしは驚いた。天地がさだかではなくなるほど混乱した。祐太が浮気したという事実にも、その相手があたしの同僚だということにも。
でも、泣かなかった。泣けなかったのだ。その下手な学芸会みたいな謝罪会見が、あまりにもばかげていて。
追及されてしぶしぶ認めるというのなら、まだ分かる。浮気が本気になったから別れてくれというなら、それも仕方がないだろう。お互いまだ20代の男と女なのだから。でも、自分からぺらぺら喋っておいて、悪かった反省していると繰り返すだけだなんて、まったく訳が分からない。いったいあたしにどうしろというのか。知りたくもないことを知ってしまったあたしの気持はどうなるんだ。本当に悔いて悪いと思っているんなら、その罪悪感をひとり背負って墓場まで持って行くくらいの気骨はないのか。
さよならと言い放ち、それきり祐太からの電話にも出ず、この5日間あたしはずっと怒っていた。昨夜も飲みながら怒り続けた。好美も一緒になって、いやあたし以上の剣幕で怒っていた。そうだ、顔を赤くして(ただ酔っぱらっていただけかもしれないけど)怒りちらす好美を見ているうちに、あたしのトーンは少しずつ落ちていったのだ。
たぶん彼女のおかげで、あたしの毒気は抜けていったのだろう。くすぶっていた怒りが燃えつきて、鎮火して灰になった。そのせいなのか、なんだか心がすうすうする。からだのいたるところがからっぽで、薄寒い。
思わず長いため息をついたちょうどその時、目の前に塗りのお椀がことりと置かれた。
え? 驚いて顔をあげると、シェフが笑顔で立っていた。
「今日のランチが『ちゃんこ風具だくさんスープ』だったので、そのスープでお粥を炊いてみたんです」
赤い大ぶりのお椀からは、白い湯気がほわほわとあがっていた。つやつやと光るお粥に、ぷつぷつと混ざる黄色い玉子。
菜の花粥。
「二日酔いでもこれなら大丈夫かと思って。いきなり珈琲を流し込んだりすると、からっぽのお腹がかわいそうでしょう」
片方の眉を高くあげ、悪戯好きの子どものような顔で笑ったシェフは、「でも食べられそうにないのなら、すぐに珈琲をお持ちしますが」とつけくわえた。
「大丈夫、食べます、いただきます」そう言ってお椀をかかえこむあたしに、よかった、と肯いて、シェフは又店の奥に戻っていった。
お椀を両手で包みこむと、じんわりとあたたかかった。良い匂いがした。
そういえば子どもの頃、母はよくお粥を炊いてくれた。小さな土鍋でことことと。
嫌なことや哀しいことがあっても、ぐっと我慢してしまう子どもだった。ぴんと背筋を伸ばし、なんてことないような顔をしてやり過ごす、可愛げのない子どもだったのだ。だけど、そんなことがあった後、決まってあたしはお腹をこわした。そして熱をだして寝込むのだった。
お盆に箸やお茶碗や梅干しを並べ、鍋敷きの上に土鍋をのせて、母はあたしの枕元にやってくる。素焼きの蓋をとると、玉子はちょうどふんわりとろりと固まっていて、それをざくっとおたまでまぜて母が茶碗によそってくれる。白いお米の中に黄色い花が咲いているようなそのお粥を、母は「菜の花粥」と呼んでいた。
あの頃、あたしは守られていたのだな、と思う。どんなに嫌なことがあったって、母がいてくれれば何とかなると思っていた。自分のことをいつも気にかけてくれる母に、子どものあたしは安心して甘えていた。ほっこりと優しい菜の花粥に哀しみを溶かして、食べ終える頃にはすっかり元気になっていた。
あの菜の花粥は真っ白なお米だったけれど、今目の前で湯気をあげているお粥は、全体にほんのりと黄みがかっている。たぶん美味しいスープをたっぷりと吸いこんでいるのだろう。それにしても「ちゃんこ風スープ」だなんて。この店はほんとに変わってる。
お粥をひと匙すくって食べると、それはとても優しくて、とても深い味がした。いろんなものの旨味をぎゅっと閉じこめたような味。その濃い旨味を、玉子が優しく包みこんでいる。
おいしい。
母の菜の花粥はシンプルで優しい味だった。母の愛そのものという混じりっけのない味。あれが子どものためのものならば、このお粥はおとなの味だ。一筋縄ではいかない、というような。さまざまなものがまじりあえばこそ、旨味と味わいが深くなる。
故郷にいる母は今も休日のたびに電話をかけてくる。好美は今頃、正真正銘の二日酔いで苦しんでいることだろう。そしてあたしのからっぽのお腹を気づかってくれたシェフ。そうだ、今だってあたしは守られている。いろんなヒトに。いろんなことで。
おとなは誰もが孤独だから、そうやって守ったり守られたりしながら生きていくんだ。さりげなく、いたわりあいながら。
ひと匙ひと匙食べるにつれ、からだがほっこり暖かくなってくる。鼻がぐずぐずしはじめて、それでもやめずに食べ続ける。食べ終える頃には、すっかり元気になるだろう。お腹も、心も。そう思ってまたひと匙掬ったお粥のうえに、ぽとんとひと粒涙が落ちた。それでもかまわず口に入れると、ほんの少し、しょっぱかった。
おとなのお粥は、奥が深い。
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実はこれ、ずいぶん前に、我が夫(ミメオ)のゴハンブログ「夢見食堂」に寄せて書いたもの。なので、ちょっと説明っぽい部分があったりしますが。でもここに出てくる「菜の花粥」(たまご粥)は、本当に子どもの頃母が作ってくれた思い出の一品。ちょうど「たまご料理王決定戦」を目にして、そういえば、と思い出したのでUPしてみました。たまごまる(タルゴママ?)さん、またしても素敵な企画をありがとうございます。