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【HSS型HSPの私】特にテーマもなく

こんにちは。HSS型HSPの海です。

この間、ちょっと、自分の書いたものを読み返してみたら、驚き。
何度も「普段はこんな文章じゃない」と書いていて、
どんだけやねん、自分のプライドの高さ…と、
笑けてしまいました。

「普段の自分はこんなもんじゃない」と言う浅ましさが恥ずかしい。
それ故の、承認欲求が半端ないんでしょうか…ね。

私は3兄弟の真ん中で、上が兄で下が妹です。
兄は長男なのでいろんな意味でちやほやパターンです。
妹は末っ子なので文句なしにかわいがられるパターンです。
あら、私は?って言うのが真ん中 女子でしょうか。

しかも私は昔から「私を見て!」ってタイプじゃなくて、
どちらかというとHSS型故なのか、一匹狼的な…
あんまり群れたりしないタイプ…だったため、
褒められても大喜びする感じではなく、
心の底でむふふって思うタイプでした。
男の子にもしょっちゅう間違えられていました。
人見知りだし、見た目もそこまでかわいくない…男の子みたいな女の子。

実は私はある界隈…からしたら「すごい人」らしくて、
何でもできるし、何かやってるし、何でも調べるし、何でも知ってるから…って言う理由で、ある一定の方達からは尊敬されているのですが(自分で言うなって感じですが、ここなら言ってもイイかなって思って。テヘペロ)、でもそれでも、
自分では常に「上には上がいて、おこがましい」と思っていて。

それが実は、親もそう思ってるんですよねー。私のこと。

うちの家族レベルが高いんですよ。

私が幼少の頃(保育園~幼稚園)、台湾に住んでたんですが、4年間。
私と妹は現地の園へ行ってて、もちろんバイリンガル(子どもはみんなそんなもんだし、帰国したらすぐに忘れる。私の脳内に残った中国語は数字と10単語くらい…)。妹とは台湾語でおままごとをしていたそうです。
兄弟で、中国語の日本産アニメも楽しみに見ていました。その当時は、ガッチャマン、マジンガーZです。今でもその時の光景を覚えていますし、台湾?中国?バージョン主題歌もちょっぴり歌えます。

ですが外国とは言え、親はほぼ日本語環境生活。
それなのに、両親2人とも中国語の日常会話をマスターしてるんです(一応、週1くらいは先生に習ったらしい)。そして帰国後もそのままをキープ。
なので、子どもの頃「4年もその国に住んでたら、その国の言語を話せるようになるのは当たり前」なのかと本気で思っていました。

とにかく2人とも物知りで、いわゆる今で言うアレクサですよ。
「●●って何?」って聞いたら、答えが出てくる。
テレビに出た知らない人「これ誰?」って聞いたら説明してくれる。
美術、芸能、音楽、歴史、多種多彩。芸能は芸能人以外に、能や歌舞伎、舞台、ありとあらゆること…。分からないって言われたことなかったなぁ。

私も大人になったら、
親みたいに何でも答えられる人になるんかとガチで思ってました。笑

なので、あんまり褒めれた覚えがない。
多分、親からしたら知ってて当たり前の事だし、
子からしても、それくらいで褒められるとは思ってなかったのかも。

兄や妹はある分野が好きになりそれぞれその才能を伸ばしていくのですが、
私は何でも好き・何でもやりたい…タイプの、まあまあ上手な横好きだったので、飽きっぽいのもあって、中途半端デス。飽きっぽいというのも、ちょっと違うのかな…。大体飽きるのは最長2年~3年くらい?最短だと1回~数回作って終わり。

なので承認欲求が満たされないのかなぁ???
自己肯定感がかなり低い。

褒められても、「こんなのできる人いっぱいいるし」って思っちゃって。

褒められたら嬉しいのだけども、恥ずかしいってのも常にあって。
恥ずかしいって言うのは、「プロが見たら、この程度…って思われちゃうレベル…こんなんで褒められて恥ずかしい」っていう、最低な感じのやつです。あはは。

これって、HSS型HSPと関係してるんかいな。

ただ単に、自分の性格かな。

私の夫は好きです。
褒めてくれる。
私が「これくらいできる人いっぱいいる」って言っても、「いやいない」って言ってくれる。どんなに証拠を提出しても(HSP舐めんな)、「全然違う。これができるのは海だけだ」と言ってくれる。私の存在意義をきちんと示してくれる、めんどくさい性格の私には、ありがたや~な人です。

私の子ども1人が、これまた生まれたときからプライド高くて…。
もちろん「生まれたときからなんて嘘やろ!」って言う人の気持ち分かります~。ええはい、育った環境によってもかわりますよねぇ~。…きっと。
でもね、私はこの子が1歳の時に、「性格は生まれつき」って言う説、信じましたヨ。笑
もちろん全部じゃないでしょうけど、「生まれ持った性質」はほんと、ありますよ。ほんとに。ほんと。
もう目の前にいますからね。揺るぎようがないですよね。

これがまた、生まれ持ったモノだから、なんとも頑固で…強固…で。トホホ

それをこう、うまく!
「良い面の個性」に導くのが親の見せ所!…なんですけどね!
まあ難しい!!!ムズカシイヨこれ!ムズカシイヨ・コレ!!

親と子だけで暮らしてるわけじゃないですから。
学校行ってるわけですから。
いろんな人の影響受けて育っていくわけですから!
本人の意思ももちろん混ざって、ほんとね!ムズカシイッスネ!

と言うわけで、何の話をしたいのかよく分かりませんが、
この辺で。

あ、ちなみに、台湾時代の古い記憶。
多分、記憶に残っている建物的には2歳から4歳の記憶。
保育園…昼寝があったから。
みんなで広い部屋で昼寝中、一人で起きて建物を抜けだすのが好きだった。
みんな寝てて静かだから。誰もいないから。気持ちのいい空間。
それから、園庭の脇にある虹みたいなうんてい(たいこ雲梯と言うらしい)に上って、一番上で座って、遊んでいる子達を見るのが好きだった。
若い女の先生が倒れる。みんな驚いて駆け寄る。
日射病だって騒いでる。水分と塩分とらないとね。
あとで聞いても、そのことは母は知らない。
でもよく一人で抜け出すって言うのは保育日誌?に書いてあったらしい。
2歳くらいからの記憶ならかなり覚えている。
台湾は刺激的だったからか、いっぱい覚えてる!
落ちている飴を拾って食べようか、しゃがんでものすごく迷ったことも…。

台湾、もう一度行きたいなぁ。
良かった記憶しかない。
アパートの裏に水牛が水浴びしてる所があった。
川にはグッピーがいて、父親と取りに行った。
ベスパに家族5人で乗った。
…今はもうそうな所はないんだろうな。

悪い記憶もあった!怒られて、マンションの廊下に出されたことだ!すごい大声で泣いた。泣きすぎて吐いた。お兄ちゃんも出されたことがあったな。

マンションで猿を飼ってた。アイさん(家政婦さん)がお掃除の時にドアを開けたら逃げてしまったらしい。台湾や中国では、アイさんと言うおうちのことを手伝ってくれる人(家政婦さん)がいるのは割と当たり前だそうです。駐在だからかな。私はあんまり家でアイさんに会った記憶がないので、園に行っている間に来てくれていたのかも…と思います。

部屋の間取りも覚えている。
3LDKでした。お風呂やトイレの位置や、リビングダイニングも。
マスタールームにもユニットバスがあった。
キッチンだけ記憶がないのです。中に入れてもらえなかったのかな。
畳の部屋があったのには、今更ながらちょっと驚き。畳の部屋は床下が高くなってた記憶がある。
ご飯を食べるこの畳の部屋の窓に、やもりがくっついていたのも覚えてます。この間取りの記憶は、3兄弟では私だけ。HSP故か、この頃から記憶力はよかったようです。

文中でも触れた、アニメ。
マジンガーZかガッチャマンだったか…は覚えてないのですが、アニメの中で仲間が死ぬシーンがあってものすごく悲しくて、その後から、オープニングが怖くて、耳を塞いで頭を振って聴かないようにしていました。その理由が思い出せない。とにかく曲を聴きたくなかったし、映像も見ないようにしていた。後で思ったのだけど、その死んだ人がオープニングに普通に出てくるのが怖かったのかなぁと。それか、その人が死ぬ所をまた思い出しちゃうから?

ガッチャマンの歌、「シュピシャペシャー・シュピシャペシャー・シューピーシャーペイシャー♪」と歌ってたのは覚えてるのだけど、ガッチャマンって台湾語(中国語)で「鳥人間」って言ってるのかな??

と、普通に疑問に思って調べたら、
中国語では「科学忍者隊ガッチャマン」は、
なんと「科學小飛俠(クーシー シャーフェイシャー)」でした!
すごい!「シューピーシャーペイシャー♪」はかなり近い。
中国語版の曲を聴いてみて、4歳の子どもがそう覚えてるのも無理はないと思った。笑
でも私が覚えてる歌(音程)と違う。
日本の主題歌と違ったのかとかなり調べたけど、日本の曲と同じのしか出てこない。…私の記憶違いか?まぁ、台湾にガッチャマンが来たのが197×年だというので、そんな昔のことを覚えてるだけすごいと言うことで…。
やだ、年がばれちゃうわ。なのでせめて×で隠してみた。

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