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戸田市・見廻り隊4(戸田妙顕寺)
1247年、三浦義村との姻戚関係を大切にした上総介秀胤。その幼かった遺児たちは、助命され院内の旧臣に預けられたのち福島に遁れました。
この日から、全国に広がっていた上総・下総の千葉(小川)一族の動向は、逐一院内に報告され、集約され、共有物として情報は各地の一族に発信された。一族間の共済組織(助け合い)は此処から始まります。
この共済組織は、歴史を経てより一族間の結束を強めます。米や塩、砂糖、茶、酒、味噌、醤油、貨幣、人材にいたるまで助け合うようになりました。
上の写真は、戸田市新曽にある日蓮宗妙顕寺です。小川一族は妙見信仰を謳っていますが、浄土宗をはじめ真言宗など各宗派の仏教も崇敬し志納(献金)を惜しまなかった。
日蓮聖人が房総の出身と云う事、遺児・日朗を託された事もあり日蓮宗とは深く関わりを持ちます。蒙古襲来の際には、九州千葉氏の後を追い僧侶たちも九州に渡りました。
「橘に嶋原匂ふむかし哉」・正岡子規
「日蓮遺文紙背文書」には、千葉一族の情報が残されています。