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倉敷市・見廻り隊3

 美観地区を下りバス通りに出る。暫くすると田園が広がる。そして道は、塩害対策に始めた綿花栽培の中心地、児島に至る。戦場の瀬戸内海は近くだ。化学肥料のなかった時代、棉の栽培には大量の有機肥料を必要とした。それを補ったのが干鰯と北前船が運ぶ鰊だった。
 幕府が直轄する「天領」は温暖な豊かな土地が多い。其処を狙って大阪や江戸の大店が移り住んで来た。東金市も倉敷市と同じ過去の上に成り立っている。
「行く春を惜むや平家物語」・正岡子規

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