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文京区・見廻り隊2(伝通院)

伝通院の続きです。
 下総池田郷院内(千葉市中央区院内)の小川は、藤原系の連翹と沢潟(おもだか)家紋も使っています。"沢潟"紋は、戦国武将・毛利、福島、木下、水野、清水、川上、橋本、山川、三浦氏の戦国武将が家紋としていました。

 1159年の「平治の乱」、藤原通憲(平氏)と藤原信頼(源氏)の戦いで、大江氏の幼子を庇護し院内で育て元服させる。頼朝挙兵の際は、千葉一族と共に頼朝軍に加わりました。沢潟紋を持つ毛利家(大江)の始まりです。

 日蓮聖人の弟子・日朗は、「丸に違い鷹の羽」の小川紋です。甲賀の小川も加わえると東軍の"関ケ原"は、千葉一族の係った武将衆が揃いました。
 松平から徳川へと家康公が姓を変える時、三河では小川姓は禁止となり、小河、緒川、尾川、尾河等に変えることになりましたが沢潟紋は許しました。沢潟の花言葉は「信頼」「高潔」です。
「沢潟に河骨まじる小川かな」・正岡子規


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