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千葉市・見廻り隊8(鷹紋の謂れ)
神奈川県三浦から見える千葉県上総、鋸山や富山です。平安期の下総・千葉荘は7郷からなり千葉神社や亥鼻(ゐのはな)は池田郷に含まれていた。
1126年、平常重が養子先の千葉郷から池田郷へ居住を移し「千葉」と名乗った。平家物語や吾妻鏡で登場する平常重の子・千葉常胤(つねたね)から常胤の末裔は、「胤」を名に入れ千葉氏一族の証とし、「常」を名に入れる上総・平氏と分かれる。
万葉集・4387に千葉群(こほり)の大田部足人の歌がある。
「千葉の野(ぬ)の児手柏の含まれどあやにかなしみおきてたかきぬ」
池田郷に居た千葉一族(小川)は、上総介・下総介の月星紋も家紋としていたが、誉田鷹を待ち望んだ万葉集の歌から「丸に違い鷹羽」を表紋、九曜・月紋を裏紋とする。
伊能忠敬が歩いた幕末に、全国に広がった千葉一族が多く出る。毛利、薩摩、土佐、阿波、伊達、鍋島、細川、久松、池田、浅野家など西国の各藩から幕臣からも人物が出た。
「鷹一羽舞ひ上がりたる幟哉」・正岡子規