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東金市・見廻り隊(本漸寺~塚崎野)

 越冬つばめの地、湖岸には中西悟堂が詠んだ越冬つばめの歌碑がある。
「みんなみにかえり得ざれしつばめらが冬こすここは上総東金」
留鳥、漂鳥、夏鳥、冬鳥、旅鳥など多くの鳥が塚崎野に集まりました。

 幕府の鷹狩りは家光公以降は、江戸近郊で済ますようになります。鷹狩りがなくなった広大な東金狩場は維持管理が大変でした。そこで、時の将軍吉宗公は、この狩場・塚崎野を民間に払い下げる決断をします。この時、手を挙げたのが鉄砲洲の材木商・家徳屋*です。佐藤姓から家徳姓に改め開墾に専念しますが、入植者の募集をしても人が集まらず開墾が思うように進みません。この窮地を救ったのが「享保の改革」を推進した南町奉行・大岡忠相でした。
「松が枝の直ぐなる心保ちたし柳の糸のなべて世の中」・大岡忠相
          *千葉市内の料亭「常盤」は、家徳一族のお店でした

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