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川口市・見廻り隊2(小川口)
川口市内を流れる芝川は、小川口(おがわぐち)で荒川へと合流する。手前の芝川の左岸は東京都足立区、右岸は埼玉県川口市、県境になる。荒川水門の右に川口駅前のビル群が見えている。
1180年、2万の頼朝軍が荒川を渡り鎌倉を目指した時、比企の小川から川越、桶川、隅田など荒川沿岸の坂東武士が足立郡小川口に集まった。地元の川口では、矢古宇(やこう)郷の坂東武士も峯ヶ岡八幡神社で祈願した後、頼朝軍に加勢する舟を出した。そして、集まった何百艘の舟や筏が荒川を下り頼朝軍に合流、後世に「船橋」の名を残した。合流した坂東武士の中に蜂須賀小六の祖・大須賀氏も加わっていた。
後日、奥州から小川口へ駆け付けた義経一行は、頼朝軍がすでに鎌倉へ向けて発ったことを知らされ後を追った。同行した佐藤(家徳)の兄弟も陸奥信夫(みちのくしのぶ)から義経に付き添いやって来た。
決行前夜、小川口から見えた蕨の灯は、藁火?蕨火?
「暗黒や関東平野に火事一つ」・金子兜太
「あかあかと一本の道とほりたり たまきはる我が命なりけり」・斎藤茂吉
作家の芥川龍之介は、先祖が桓武平氏か、清和源氏か、知りたがっていたと聞く。香取秀真の影響なのか、悩みまで抱え込む家系なのか、彼より先に義兄の西川豊氏も土気町で鉄道自殺をはかっている。
「蝶の舌ゼンマイに似る暑さかな」
「水洟や鼻の先だけ暮れ残る」・芥川龍之介