
千葉市・見廻り隊13(家紋)
藤原氏、平氏、源氏の家紋も持つ千葉一族(小川)。時代と共に一族の家紋が追加されます。
〇左の「月紋」と中央の「九曜紋」は、桓武天皇(?)を祖とする
〇右の「丸に違い鷹羽」は、清和天皇(?)を祖とする
☆他に連翹、梅、木瓜、沢潟、柏、蕨、橘、桔梗、笹竜胆、三つ巴、揚羽蝶紋を使い分け一族運命共同体を創った。
平氏の赤旗、源氏は白旗の旗指物を背負い戦います。一族間の戦場では、優劣により旗指物の色がコロコロと変わります。敵か味方か分かるように、手っ取り早く月紋や九曜紋、月星紋、鷹紋を赤く塗りつぶした日章旗が使用されるようになった。
清和源氏の源頼朝が打倒平家と挙兵した時、千葉一族の最年長者は千葉常胤です。桓武平氏で清和源氏の一族でもある千葉常胤は、一族の持っていた力と知恵を広常亡き後も頼朝公に与え協力を惜しまなかった。頼朝公もこの好意に応え一族を身近に置き、侍所・政所・問注所の役職に就かせた。
鎌倉幕府で御家人の訴訟などを扱った「問注所」の執事・三善康信。彼は頼朝公の乳母・比企尼の甥。彼も大江氏や菅原氏と同様、八幡神が降誕の日に槇の樹に舞い降りた鷹から考案した「丸に違い鷹羽」を家紋とした。
問注所の事務官から出家した中山法華経寺の僧・日常は、三善康信執事の下で働いていました。
「真木柱ほめて造れる殿のごといませ母刀自面変わりせず」