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東金市・見廻り隊(妙善寺と海上の道)
妙善寺の檀家に、菅原道真公と同じ梅鉢の紋を使用する布留川家がある。菅原道真公の子孫・孝標女が、「更級日記」に記した「まぬの長者」の川と布留川は繋がりを持っている。
昔の御門(みかど)の海は、房総沖の大地震の度に海底が隆起して遠くななり将門の当時と比べると、浜まで2キロほど上総の里を広くした。当然、川幅は狭まり川底は浅くなった。
九十九の沖を黒潮が流れている。黒潮は日本列島に沿い北上して銚子沖で右に回流する。この黒潮の流れる「東海路」は、沖縄から九州、四国を経て藤原北家の海、瀬戸内海とも繋がっている。
「水族」や「海族」呼ばれ瀬戸内の領有権を持つ三家。「一文字三ツ星紋」の毛利家、「三ツ星一文字紋」の渡辺家、「蕨紋」を持つ愛媛の近藤家。
三家に小川が加わり「村上水軍」、「九曜紋」の「九鬼水軍」をつくった。山武杉や槇樹は、船材となり「黒潮文化」を干鰯と共に支え続けた。