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記憶のふるさと

私の母親は昔、少し忙しい人だった。だから私がまだ未就学児だった頃は1日の殆どを近所の大人と過ごし、面倒をみてもらっていたことを覚えている。

当時、私たち家族は同じ間取りの部屋が並ぶ集合住宅外の一室に住んでいた。私が通う近所の幼稚園までの通園時間、幼稚園が終わった帰宅後の、夕食前までのお絵かきや公園で遊ぶ時間。幼稚園で過ごす以外の時間を家族と過ごした記憶はあまりないくらい、当時の私は一つ上の階や隣の棟に住む3家族ほどのご家庭に交代で話し相手・遊び相手になってもらっていた。

私の好きなシーンばかり何度も再生させてくれた、ディズニー映画のビデオ。おしゃれなクリスマスの飾りつけ。好き嫌いを許してくれるお昼ご飯。鉄棒や縄跳びの練習。アイロンビーズでつくる髪飾り。50色鉛筆のぬりえ遊び……母親だったら「ほどほどにしなさい」と言われるようなことを、当時一緒に過ごした大人は許して思う存分やらせてくれた。
だから、母親と一緒にいられない寂しさはあったと思うけど、一人ぼっちの寂しい思いというよりは、その大人たちのやさしさに、存分に甘えていたように思う。

たった4〜6歳くらいの頃である。当時の記憶なんて、確かではないかもしれない。だけど成人を十分に過ぎた今でも嬉しかった記憶として、当時のことを私はたくさん思い出すことができる。

私が小学校に上がる前の冬、私の家族は隣市の一軒家へ引っ越した。小学生になった私は、一人でも帰宅後の時間を過ごせるようになった。だから、引っ越し後の土地で近所の大人と長い時間を一緒に過ごすことは無かった。

引越しから20年以上たった。私の実家は今もその引越し先の土地にあるから、人生の殆どの時間を今の実家で過ごしているはずだ。だけど私が何となく思い出す幼少期の風景は、引越し前のあの場所のままである。

関東近郊のありふれた小さな集合住宅街。そこに集まっていたのはさほど裕福でもない中流階級そこそこの、同じような家族構成の家庭ばかり。美しい自然に恵まれてはいない、特別に人情に溢れていたわけでもない。時代の流行りに支えられてその当時やや華やかだっただけの、ただの集合住宅。今になって再びその土地を訪れれば、がっかりするくらい何もない場所なのだろう。当時の住人がどれほど残っているかもわからない。

だけど、まだ物を知らず力の弱い私の隣に座り、相手をしてくれた大人たちとその土地の景色は、やわらかい記憶として私の中に存在している。今の実家がある土地よりも、その当時の思い出をまるでふるさとのように思うことができる。

当時の自分よりも体がうんと大きくて優しい人たちが自分の周りを取り囲んでくれた時のこと。その記憶から感じるほんのりとした温かさを、私は「ふるさと」と呼びたいのだと思う。

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