誰も欲しがらないものこそ宝になる
ゴミ山から宝を見つける楽しさとお得さ
私は昔から掘り出し物を探すのが大好きで得意だ。
10代や20代の頃はリサイクルショップで服を探すが好きだった。注意して欲しいのが、原宿や渋谷の古着屋ではなく鈍行駅のさびれたリサイクルショップ、近所のおばちゃんしか行かないところだ。
ある日そこで定価約5万のブラックワンピを見つけ試着するとぴったりだった。お店のおばちゃんは「この細いワンピが入る人いるのね~。」と感心(?)していた。私は新品ブランド服を5,000円で手に入れご満悦だった。
雑多なゴミ山にも掘り出し物はある。毎回は無いが一定の頻度である。
一番素晴らしいのが競争相手がほぼいないことだ。クイーンズコートのワンピを探しにリサイクルショップに来る人は居ない。
眼力や観察力を鍛えることも出来る。ブランド名は知らなくても生地や縫製から品質を見極めたり、近隣住民の様子からどういう品が流れてくるかを推察したりするのも楽しい。(大分マニアックだが)
投資の基本は、安く買うこと
私は政治経済学部経済学科に在籍していたが、
マクロ経済もミクロ経済もマルクス主義も理解しないまま卒業した。
今だにそれらがなんだかよく分からないままだが、投資の感覚は持っていると思う。
投資は安く買って高く売らないといけない。資産にならずに負債になってしまう。
まずは安く買わないといけないが、安物を買うこととは違う。100均で本物ゴミを買い集めたり労働力を買いたたいたりすることは、投資ではない。
価格よりも価値が遙かに高い場合に買うことが、投資だ。
しかしほとんどの場合、価値が高いものの価格は既に高い。
だから、
①未来に価値が高くなるもの
②場所(市場)を変えれば価値が高くなるもの
を見つけることが肝になる。
それらがどこにあるかと言えば、誰も見向きもしない場所にある。
それが何かというと、誰も特別欲しがらないものや当たり前だとおもっているものだ。
前述したが、競争率も低いので独占することが可能だ。
デメリットは変な人だと思われることぐらいだ。変な人だと思われていれば余計競争相手が減るので、実は大変有り難い。
未知がやってくるのが未来
昨年の夏に私はひよこを買った。段ボールに入れて湯たんぽを毎日変えてやり話しかけながら大切に育てた。
「またおかしなことやってるよ」と家族に言われた。
「卵自給するんですか。。変わってますね(買う方が安いのに)」と知人に言われた。
初冬から彼女たちがかわいい卵を産み始めた。薄めの黄身が美しく、白身は塩なしでも味わいがあり美味しかった。
それに前後して卵の価格が高騰し始めた。
それまで1個10円で買えることが出来た卵が、急に品薄になり2倍3倍になったのだ。
家族も知人も驚いていたし、当の私もパートナーも驚いた。
しかし私たちが驚いたのはタイミングが合致したことだけだ。
卵が品薄になり高級品になることはいつ起きてもおかしくない。
日本で流通する卵の9割は外国産だ。自給率1割なのだ。
採卵鶏の種の権利はヨーロッパの会社が持っているので国内で増やすことが出来ない。必要なときに毎回雛や鶏を購入し採卵する。採卵が不可になったら再度購入する。
円安が進んだりヨーロッパで食糧問題が起きたり政治的な事件があったりした場合に、今まで通り採卵鶏が購入出来なくなる。
大きな事件がなくても世界人口は増え日本は貧しくなっているので買い負けするだろう。
卵が1個10円というのは、そうした綱渡りの上に存在していただけ。
それが顕在化してきただけだ。
ほとんどの人は氷山の水面上の部分しか見ていないので、
全体が現れると必要以上に驚く。
自給卵の本当の価値
ひよこちゃんの購入は私にとってもともと投資だった。
ひよこの育て方、鶏との生活、食への考え方など、経験を増やし感覚を刺激してくれたので大きな資産となった。
そして資本主義社会でも資産となってくれてなかなか有り難い。
他者にとって価値があれば、贈与や交換にも使える。餌代として小銭を下さる方もいて有り難い。
更に卵ちゃんは人間関係を繋いでくれたりより強固にしてくれている。
そして鶏さんたちは本当に愛らしく私の人生観や価値観にも多大な影響をもたらしてくれた。
インドやタイの田舎でおばあちゃん達が家畜の世話をしたり料理をしてくれたのをよく思い出すようになった。みな愛情溢れる力強い人たちだった。
あらゆる生き物は消耗品のように扱われるべきではないと再度感じる。
生きとし生けるものを尊重しない生活は自分たちに還ってくる。
嘴を切られ身動きも出来ず卵を産む機械にさせられている鶏さんたちは、
本当の意味で生きていないある種の人間にそっくりだ。
どちらも我が家の鶏さんのように生き生きと暮らせると思うけどね。