娘たちがママだいすきと言ってくれるので自慢したい
とても傲慢に聞こえるけど、娘たちはわたしのことが大好きらしい。
7歳の娘は5歳くらいの頃から「まま〇〇(娘の名前)をうんでくれてありがとう」という手紙を度々くれる。内容はいつも同じなのだが、娘が年長になってその手紙のなかの「まま」が「ママ」になり、小学生になってその字がとても綺麗になっていくのを見るのはとてもかわいく、いじらしく、その手紙を「だいじボックス」と娘たちと呼んでいる箱(娘たちが大きくなっても取っておきたいものを入れる箱)に入れて保管している。
お姉ちゃんのやることなすこと全てに憧れながら育ってきた4歳の下の娘も、最近わたしに手紙をくれるようになった。まだまだ象形文字みたいな字で「きすまま」(まだ文章は左から書くこともわかってない)と書いた折り紙をくれる。夏のプールで泳ぐ練習をしている上の子を追いかけながら、下の娘を浮き輪に乗せて押していると、キャッキャ言いながら合間合間に「ママいちばんにだいすき」と言ってくれる。
こんなトラウマまみれのクズ人間をそんなに愛してくれるなんてありがたい。でも一応、わたしが「こんな母親ほしかった」と思う母になれるようそれなりの努力はしてきたつもりである。その憧れの母親像とは、
・イライラしても子どもに当たらない
・子どもがかわいく思え、それを子どもに伝えている
・自分好きなことを仕事にしてそれにやりがいを見出している
・子どもに過干渉にならない
・平日でも子どもと話したり、遊んだりする時間をある程度取れる
・子どもの幼稚園や小学校の行事に参加して、子どもの批判をせずに頑張りを褒める
・夕飯は毎日、手作りのご飯を2-3品出す
こうやって書き出してみると完全に自分の母親が反面教師である。同時に、子どもをひとりの人間として扱い、子どもと仲良くしたいと思った結果、こうなったんである。
完璧主義になりたいわけではない。そもそもこれを全部達成できていない。でもただ娘たちに正直になりたいと思っている。イライラしたら、少し休みたいとか、こんな嫌なことがあったと話す。仕事がしたいし、お金稼いであなた達と旅行とかもしたいから学童や保育園に行ってほしいと話す。ある程度離れている時間が確保できないと、子どもがかわいいと思う余裕もなくなってくるので働く。仕事を通した社会とのつながりがないと自分が保てないので働く。でも子どもの成長を見逃したくはないので働きすぎないようにする。昔スーパーのお惣菜ばかりの夕飯が嫌だったから、昼休みに夕飯の食材の下拵えをする(どうしても疲れて作れないときを除く)。
子育てを頼れる親はおらず、夫は協力的だけども夫が子育てするのは仕事が忙しくない時に限る中で、泣き止まない赤ちゃんだった上の娘を一人で抱えて途方に暮れて一緒に泣いていた地獄から、よく今の状況まで這い上がってきたという自負はある。
子育て中に心身のバランスを取ることがいかに難しいことか。夫は理解してくれるが、結局子どもたちの日々の暮らしに全責任を負っているのはわたしであるという重圧を夫はどれだけわかっているんだろう?と思うときもある。
娘たちがくれる手紙は、この7年間へのささやかなご褒美なのかなと思う。