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道半ば、どころじゃないな。

今までの社会システムとか資本主義とお金の事とか。
疑問を感じながらでも何となく日々を送って来たけれど、コロナで顕になった様々な場所、環境、世代、の多くの問題は、「駄目だよね」どころの話では無くなっていた。自分の中で。
社会を構築している大きな土台に大きな大きなハテナマークが付いても、自分に出来る事は微々たるもんで。もちろん微々たる石を積んでいく事はとても大事だけど、人々が、社会が、どんどん崩れていく焦りがあった。取り敢えず「自分が願う世界に自分の身を置く」という以外に思い付かなかった。それ以外にはこれからどうやって生きていったらいいのかが全然分からなかった。
自分が願う世界に近い。それは有機農業だった。
畑仕事は疎か、庭いじりも好きでないし、虫も苦手。そんな自分が農家の仕事が出来るか見当もつかなかったけど、兎に角どう生きていったらいいのか分からないのだから他に手がない。

知人に相談をして、そうしたらトントン拍子に話が進んでいって、数日後には農園に面談に行ってた。「出来るのか??」と思いながらなので腰が引けたけど、自分の背中を蹴って行った。
取り敢えず週2で始めてみる?みたいな感じで8月から働き始めた。
その農園は市民農園の形態なのだけど、農園長が有機農家の先駆けみたいな方で、培ってきた知識を「自分の食べる分は作ってみようよ」という柔らかなスタンスで伝えていくというコンセプトの農園だった。

入ったのが夏なのでとにかくエンドレス草刈り。
ビーバーを振り回して刈り続ける。
沖縄の離島に住んでいた時、貸家の庭の草刈りをしていたから初めての作業ではないけれど、1日中刈っていた訳ではないから体はバキバキで湿布だらけ。
でも汗と土にまみれてブンブン刈って、きれいになっていくのは達成感があった。ジュエリー制作の仕事は何日か掛けた仕事が無になるなんていうのがそこそこあるから、シンプルに目に見える仕事というのは自己肯定感にも少し繋がった。同時に「大丈夫か?じぶん」みたいな思いも何処かにあった。50を過ぎた年齢で肉体労働をし始めてるんだな、という不安みたいのが下の方で沸々とあった。
達成感と不安が同居の日々。
そんな中、こちらのnoteを読んだ。

『「他は是吾にあらず 更に何れの時をか待たん」(他の者に任せたのでは自分の修行にならない、またこの仕事は今やるべきものなのだよ)』

読んだ瞬間鳥肌が立って、その後もじわじわと自分の内側に落ちていった。
ビーバーを振ってひたすら草を刈るという作業は自分の糧(時給いくらの事でなくて)となる事であって、そんな素敵なこと、やらないなんて損だよね!みたいな気持ちになった。
根がくそ真面目なので作業効率に変化はないけれど、作業をしている最中の心持ちが変わった。これはとても大きかった。
こちらのnoteに出会えた事に、書いてくださった住職さんに心底感謝をしている。

寒くなってきて、草刈り以外の畑作業が今は殆ど。
畑の事、野菜の事、園長と農園スタッフの女性から聞く話。
知らない事ばかりでとても面白いし、食にまつわる事なのに何にも知らない自分に笑えてくる。スーパーで買う野菜やお肉、お金ありきで手を汚さない便利な生活をしてきたんだなと、再々認識をしているところ。

そして勤めたのがここの農園でよかったと心底ホッとしている。
結局「人」なのだ。
完全な素人でものを知らない私にも馬鹿にするなんて仕草は皆無で(それは誰に対してもなのだけど)、性別や世代に関係なく、どの相手にも同じに接してくれる。かなりの衝撃だった。
畑の事は勿論なのだけど、どうありたいか?どんな大人になっていきたいのか?学ぶ事がてんこ盛り。
全然消化出来てないし、これ着地点なんかあるの?って位にただただ手探りの昨年夏からの生活だけれど、目の前に差し出される事々をひたすらに真剣に行っていけば、どこかには行き着くのかな~という感じ。

不思議だったのは農園に勤め始めて2ヵ月した辺りから手間を掛ける事が自然に出来る様になってきたこと。仕事以外の事では面倒くさがりな部分がある自分が、台所仕事などのひと手間ふた手間に難なく手が出せる様になっていた。人って不思議なもんだなと思う。

価値観や関係性の総入れ替えで舞台転換中だからとても疲れている部分はあるけれど、不安に注目するのでなく、新しい世界から受け取れる沢山の事に目線を向ける様にしたいな。
着地点がまったく見えないなんて面白いじゃないか!位の心持ちを意識してみよう。

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