仕事を楽しもう!という圧力
20代、バリバリ働くことが格好いいと思って全てを仕事に捧げて生きてきた。
その結果、何が得られたのだろうか?ある種の充足感、自己肯定感は得られたのかもしれないが、頑張れば頑張るほど、結局会社に搾取されてるだけなのではないかと感じるようになった。
資本主義の世界の中で、労働者がいくら身を削って働いたところで、豊かになるのは企業のオーナーや株主。だったら、仕事はそこそこにしておいて、健康的な生活を、自分を幸せにするための生活を送りたいと考えた。
自分でビジネスを立ち上げる能力もアイデアもないし、雇われ労働者以外の道は何かないものかと思い公務員に転職した。
しかし、ここでも同じようなものだった。むしろ、市場の原理が働いていない分、余計に腐ってると感じることもある。
クソみたいな仕事でも、生活のためだと割り切ってやりっていくしかない。そんな考えで働いている人も少なくないのでは?
しかし、公務員も若手の退職が増えているせいか、「やりがい」「パーパス」「ミッション」といった美辞麗句が踊っている。
パーパスやミッションをいくら掲げたところで、やりがいのない仕事は変わらない。
このパーパスがあるんだからやりがいあるでしょ?みたいな無言の圧力が苦しい。
仕事を楽しめてない人、前向きに取り組めてない人は、やる気のない人間のように評価されてしまう。
自分を偽って、仕事楽しいです!やりがいのある毎日です!と口で言う事は簡単だ。
でも、そんなことをして何になるのか?
若手の離職が増える→組織がアンケートをとり、職員の満足度が低い部署が特定される→管理職は改善を求められる→管理職は若手にやりがいを持たせたがる。
「仕事は楽しいです!やりがいがあります!」と言わせたいのは結局は管理職。
楽しくないです、なんて本音を吐こうものなら、「当事者意識を持ってどうすれば楽しくなるのか提案してよ」なんて的はずれな発言。
当事者として仕事が楽しくないと言っているのに。
仕事が楽しくなくたって、やりがいがなくたって、パーパスなんかわからなくたって、生きていくために一生懸命働いているし、決して手を抜いている訳ではない。
それじゃ駄目なんですか?
仕事は楽しまなくちゃいけないものなんですか?