幸せのヒント
「俺らの幸せって何か変わったよな」
大学時代の友達がそう言った。
大学在学中にできた、数少ない心の許せる友達のうちの1人が彼だ。多分これから先もこうやってたまに連絡を取り合っては深そうで浅い話をするのだろう。そんな友達が、こんな僕にも何とかできたのだから本当にありがたいことだと思う。
今回はそんな彼が言ってきた、この言葉を切り取ってみる。
「幸せ」とは何だろうか。これはおそらく全人類が時に悩み、時に励まされてきた、そしてこれから先もきっとそうであろう、永遠のテーマだ。
彼は言う。
「最近なんか面白みに欠けるんよなぁ。なんというか大学時代お前と出会った時とか、ギターを必死に弾いてた時とかみたいなさ。」
「初めて友達とだけで旅行に行ったりした時はワクワクの連続だったのにな。」
確かにな。何なんだろう。新鮮さと言えば良いのだろうか。ありがたいことに慢性的に幸せな方だとは思えているのだけれど、心くすぐる何かを感じる瞬間が少なくなった気がしなくもない。
そもそもどれだけの人が本当に真剣に幸せになりたがっているんだろうか。「幸せになりたーい」とよく言われるが、ただ何となく雑に独り言のように口にしてみているだけではないか。
そうこう考えていたら、幸せに関する面白い記事を見つけたので読んでみていただきたい。
この記事によると、つまり調査対象の女子大生らは、すぐ目の前にある、目的だった幸せに目を向けることなく、具体化された手段とそこへの変化を欲したわけである。(もちろん、贅沢すぎる変化だが)
でもこの結果については、なんだか共感できてしまう自分がいる。
まだまだ自分のことで手一杯の僕だけど、それでも社会人になって何年か経って、やらなければならないことやその流れが何となく分かり始めつつこの頃。僕たちにとっての幸せの形は図らずも「安定」になっているのかもしれない。もちろん、これも立派な幸せだ。誰もが享受できるものではない。
ただ、友人の言う「面白さ」をどこまで求めているか、が話を少し拗らせてくる。多分「安定」に「面白さ」はおそらくあまり存在し得ない。だからこそ違和感を持ち、または変化を望むのかもしれない。変化の連続だった学生時代は面白くてたまらなかったのだろう。
ここまでの話からすると、「幸せ」は「変化させたいもの」、つまり少しの「困り感」と共存しているもの、と言ってるようなものではないか、とも思える。でも、多分本当にそうなのだ。壁があるからこそ乗り越えられるし、時にその経緯を僕たちは乗り越えた時以上に「幸せだ」と思えていたりするのかもしれない。
要するに、真に幸せになるのに大事なのは
①変化を恐れないこと
②目的や手段を具体的に且つ複数用意しておくこと
なのかなと考えた。
とまぁ、久々に文章を書いてみたのですが、何を書きたいのやらさっぱりですね。もう一度習慣を作り直して、また書く力を磨いていきます。
ここまで読んでくださった皆さん、ありがとうございます。
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