ママチャリ現象

・・って、何ぞや?って思いますよね。そんな言葉、無いです。私が勝手にそう呼んでる現象です。

ママチャリ現象というのは、電柱とか前から来る自転車とかに「ぶつかる〜」と思ってしまったら吸い寄せられるようにぶつかってしまう謎現象🤣 ママチャリ同士で有りがち。マイ造語です。

ママチャリ現象、日常の割と色んなとこであると思うのですよ。ネガティブ方面の心配や恐怖ってエネルギーのベクトルが向きやすくてそうなってしまいがちなので、大体において心配しないようにしています。問題を認識しつつもそちらに不安・恐怖エネルギーを向けずに大丈夫!と思えば大抵のことは大丈夫。

これ、日常生活で結構ありますよね。そんな謎現象を、過去の日記から転記します。

並びは古い順、随時更新です。



↓もしかすると、「嫌だなあ〜」と思いながら運転してたので、ママチャリ効果もあったのかも。
(2019年8月21日)
変な事書きます。

いつもこんなことばっかりなのですが、嫌いな方はスルーしてくださいませ。

帰省した時は父の車を借りるのですが、これまでずっとその車が苦手だったのですよ。

乗るたびにメカニックのトラブルがあったり、まあ〜色々とまさかでしょ?!と思うような変な事が起きて、相性が悪いんだろうと思って、レンタカー借りたりして父の車はなるべく避けていたのです。

今回なぜか、その車と仲直りしようと思いまして。

乗るときに子供と一緒に

「私達を安全に移動させてくれてありがとうね。」

と話しかけながら運転したのです。

すると、それに答えてくれるかのようにすごく安全安心の走りで、帰省中あちこちに行ったのですが(田舎なので車がないと非常に不便)、すごく快適でした。勿論何のトラブルもなし。

自分の車にはいつも友達のように話しかけていてすごく調子がいいのですが、父の車とも相性が悪いと決め付けずにちゃんと感謝して運転していればよかったと思いました。

どんな物でも、やっぱり感謝しながら使わせていただくと丈夫だったり安全に使えたり長持ちしたりしますよね。

父の車と仲直り出来たのは、今回の帰省で一番よかったなあと思った出来事でした。



(2019年10月12日)
私の周りの数人しかサンプルがないので男性全般がどうなのか知りませんが、

男の人って何で急加速急減速するんですかね?

しかも車間距離が近い!皆さん不測の事態に備えてある程度の車間距離を取ってると思うのですが、その距離って反応速度(反射神経)と筋力によって近かったり遠かったりするんですよね。(自分調べ

夫の運転する車に乗ってると、自分の反射神経とブレーキを踏み込む足の筋力じゃ絶対止まれないってくらいの車間距離と速度なので、もう怖くてしょうがないんですわ。

「うわーぶつかるぶつかる!」

とか思ってしまって、助手席からママチャリ現象を発動してしまいそうになるので、夫の運転する車に乗ってる時は焦点をぼかして周りを見ないようにするか景色に集中して、他の車が目に入らないようにしています。

夫はまあ安全運転なのですが、私の運転する感覚と違うだけです。



(2019年10月18日)
うちのすぐ裏手の家に巨大なオークの木がありまして。

昨夜の話です。

夫がその木を見ながら
「あの木を切って欲しいんだけど。もしも何かがあって倒れたら・・」と言うので、

「もし倒れてもうちには届かないよ(裏庭には入るけど家まで届かない)。心配し過ぎると本当になるよ。」

と言ったら、「本当にそう、心配した事って起こる」と、自分の体験談を話し始めたのですよ。

夫は科学者なのでこういうフワフワした話は好きじゃないのでちょっと意外でした。まあ私がいつもつかみどころのない精神論みたいな事ばっかり(私は本気で思ってる)してるので慣れたのかもしれません。

ほらねー、ママチャリ現象(恐怖などネガティブな想像はそっちの方向に引っ張られて現実になりがち)ってやっぱり現実世界でもあるよね。

「木に話してお願いしたらいいよ。」と思うのですが、そこは夫には伏せときました。


学習本の罠
(2020年5月22日)


私だけかもしれませんが、学習物の本(漢字とかことわざとか英語とか色々)って、

「間違えやすい〜」とか「これは間違った言い方」とか悪い例を【覚えないように】アプローチする系のものって、ほぼ10割方間違った方を覚えませんか?

歳とるほどにその傾向は顕著になってくるので、そういうのは一切見ないように気をつけています。

記憶に残したいことはポジティブリストで( ・`ω・´)

これって、ある意味ママチャリ現象ですね。(自転車に乗ってて障害物を見てしまうと「あーぶつかる〜」と思いながら吸い込まれるようにぶつかってしまう謎現象)

ネガティブ系って色々と強化されやすいですよね。

脳は否定形を認識出来ないっていうのと同じ理由?


(2021年7月6日)
【余命一年】

そう思って生活しています。

古今東西ずっと言われていることですが、今に生きる、もうそれに尽きると思います。

今ここでどこに意識を向けて生きるのか。

ママチャリ現象と自分で呼んでいる現象があるのですが、電柱などが目に入って「あーぶつかるなあ」と思っていると吸い寄せられるようにぶつかってしまったり、側溝を見て「あー落ちる落ちる」と思っていたら吸い寄せられるようにはまってしまう、あれです。特に対象物にも意思があって向こうも同じように思ってる場合はぶつかる確率が高いです。周りの状況を横目で眺めつつ視線はしっかりと進行方向へ定めていればそれは起こらない。

あれと同じで、自分の意識を向ける方向に自分の現実世界は寄ってゆく。

『567騒動』を収束させるには、意識を向けないこと。

多分、殆どの人の現実世界にサーズコブツーは存在しませんよね。コロナウィルスが実際に存在しないって言ってるんじゃないですよ。

コービッド19って、殆どの病気の症状を網羅しているので病院でそう診断されたらそうなのでしょう。多分私の持病も今だったらコービッド19って診断される。

フワフワしたスピ論じゃないですよ。引き寄せとかそういうのではなく、自分が意識を向けて現実を作るというのは全人類がやっていること。

自分の現実世界は、自分が意識したものしか見えないっていうのは、現実的な話で、たとえどんな状況であろうともそこにどんな理由づけをして何を見出すのかは結局自分自身なのだと思います。

同じ場所にいて同じことを見聞きしても、人によって見るもの理解するものは全く違うっていう経験は誰にでもあると思います。

意識を向ける方向は自分で決められる。たとえどんな悲惨な状況にあってもそこだけは万人公平。

分かる人には分かってもらえると思います。

限られた命をどう彩るのか。恐怖や怒りで満たすのか、それとも楽しみ喜びを増やしたいのかはそれぞれの自由。

今ここで命が尽きて、後悔しないかな?ってちょっと考えてみると、今この瞬間に何を選択するのか自分で決めやすいと思います。

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