【連載小説】 オレンジロード16

足音に注意しながら、片山さんの後を付けた。
高そうなグレーのスーツを身にまとい、艶のある茶色の鞄を手にした片山さんは、見るからにエリートサラリーマンといった様子だ。
いつも、三着で二万円のスーツを着ている父とは大違いである。

片山さんとの距離が二メートルを切ったところで、僕は声をかけた。
「おはようございます」
片山さんは、ビクリと肩を上下させて足を止め、振り向いた。
「おはよう……」
黒い瞳が揺れたのは、単純に驚いたのが半分、残りの半分は猜疑心と言ったところだろう。

「訊きたいことがあるんです」
「何だい?」片山さんは小首を傾げた。
「前に、ポンちゃんを家に届けたとき、ケーキをご馳走してくれたことを覚えていますか」
片山さんは小さく頷き返した。

「ケーキが載った皿がとても素敵だったから、両親の結婚祝いにプレゼントしようと思って……。どこで売っているか教えてもらえませんか」
片山さんの瞳から猜疑心の色が薄れた。
「ご両親の結婚祝か。優しいんだね」

僕は頭を掻いて見せた。その間も、片山さんの表情を観察する。
頬には薄っすらと笑みが滲んでいて、僕を疑っている様子はない。
「あれと同じ物は、この近くでは売っていないと思うよ。フランスから輸入している雑貨屋があってね、そこが日本で販売する窓口になっているんだ」

その輸入雑貨屋は、ここからバスで二十分ほどのショッピングモールの中にあると言う。
「また、遊びにおいでよ。あの皿を使って、何かを御馳走するから」
片山さんの明るい口調に嘘があるとは思えない。
砕け散った皿があることに気付いていないのだ……。

「昨日は、電車が遅れて大変じゃなかったですか」
その話を聞かない訳にいかない。
「電車の中で、四十分以上も缶詰にされたよ。その後ものろのろ運転だったから、家に着いたのはいつもより一時間以上遅かった」

僕は、皿の件に対して丁重に礼を述べ、昨夜の災難については「大変でしたね」と同情して見せた。
片山さんは、柔らかい笑みを浮かべながら駅に向かって歩き出した。

学校に行くと、汚れたエロ本のプレゼントが机の中に入っていた。
いつものように、両手でそれをぐるっと丸める。
伊部たちの鋭い視線を感じながら、教室の後ろにあるゴミ箱に放り込んだ。
佐藤は小さな背中を向けたままで、近づいて来ない。
僕も声をかけなかった。

学校が終わると一目散で駐輪場に向かい、ママチャリに跨って、ペダルを力踏み込んだ。
シャツの背中の辺りが汗で重くなった頃、ショッピングモールに辿り着いた。荒い呼吸を繰り返しながら、「西洋雑貨店ヴィラージュ」を探す。
三階のフロアーの端にお目当ての店はあった。

点灯には、色とりどりの皿やカップ、石鹸やタオルが陳列されている。
長い髪を背中で束ねた若い女性店員が「いらっしゃいませ」と声をかけてきた。
心臓が小さく跳ねた。慣れない雰囲気に、額に汗が滲んだ。
僕は速くなっていく心臓の鼓動を聞きながら、皿が積んである台に近づいた。

黄色い皿の隣に、探している青色の皿があった。
値札を見ると、三千円とあった。僕の一月のお小遣いと同じ金額だ。
顔を上げると、店員女性と目が合った。
店員は笑顔を浮かべて近づいて来る。

「お求めですか?」
僕は、予め考えておいた言い訳を口にした。
「今日は、お金を持っていないんですが、両親の結婚祝にプレゼントしようと思って」
棒読みにもかかわらず、女性店員は口角を吊り上げて笑みを強めた。
「そうなの、感心ね」
「この皿のことを、近所の人が教えてくれたんです。昨日も、ここで買ったらしいんですが」
掌に滲んだ汗を握り潰した。嘘を吐くのは苦手だ。

「あの女性ね……。昨日の夜、買っていらっしゃったの。とても急いでいたから、よく覚えているわ」
「何時頃ですか?」
店員の眉間に薄っすらと縦皺が浮かぶのを見て、僕は慌てて言葉を付け加えた。
「昨日、僕もこのショッピングモールにいたんです。もし、会っていたら、一緒に皿を買えたと思って」
咄嗟に口にした嘘にしては悪くないだろう。

女性店員は眉間の皺を消し、そうなの、というように頷いた。
「七時半頃だったわ」
汗で濡れた背中がすっと冷たくなった。
「こちらの皿も素敵ですよ」
そう言って女性定員は、近くの棚の上から一枚の皿を取り出した。
同じ青色の皿だった。

「同じ物でしょ?」皿を見比べながら、僕は訊いた。
「金色の模様が違うの。わかるかしら」
僕は、二つの皿の金色の線に視線を這わせた。
確かに違う……。魚の形が違っている。一方は秋刀魚のような細い形をしている。もう一方は、鯛のように丸みを帯びていた。

「丸い魚のほうが、人気があって、今ではそっちが中心なの。以前は、細長い魚の皿しか置いてなかったのよ」
片山さんの家で見たのは、秋刀魚のほうだ。
「昨日皿を買った女性は、どっちの皿を買ったんですか?」
「こっちよ」定員は、鯛の絵柄を指差した。

オレンジロード17へ続きます。


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