【連載小説】 オレンジロード8
駐輪場へ向かうと、自転車の隣でひっそりと佇む流菜の姿があった。
僕の姿を見つけると、流菜は肩まである柔らかい黒髪を揺らしながら駆け寄って来た。
その姿を見て、僕の心臓はドクンと跳ね上がる。
「高見沢君、警察の件は大丈夫だった?」
流菜の大きな潤んだ瞳で見つめられると胸の奥が熱くなり、息苦しさが増した。思わず視線を逸らしてしまった自分が情けない。
「ああ……問題ない」喉に力を入れ、敢えてぶっきらぼうに答えた。
流菜には、ママチャリに乗る姿を見られたくない。
足早に進む僕に、流菜の声が追い駆けて来た。
「自転車じゃないの?」
「警察に押収されたままだから、歩いて登校したんだ。帰りはバスを使うから、一人で帰ってよ」
「ごめんなさい……」
流菜はうつむき加減に、消え入るような声でぽつりと言った。
白い首筋が目に飛び込んでくると、心臓の鼓動が速くなった。
しまった……。声が冷たすぎたのかもしれない。
僕は、慌てて口を動かした。
「謝ることはないよ。君が悪いわけじゃないんだから」
「でも、警察の人が自転車を返してくれないんでしょ。高見沢君は何も悪くないのに……」
流菜の父親とは面識がないが、警察の仕事をしていることは知っている。それも、かなり偉い立場の人で、おまけにとても怖いときている。
もし、四日後の計画が流菜の父親に知られたら、絶対に反対さる。
それどころか、冤罪で逮捕されるかもしれない。
父親が、愛娘にちょっかいを出した男に恐ろしいのは、いつの時代も同じはずだ。
今朝、家に「刑事」がやって来たときは、流菜の父親が手を回したのかと本心から慌てた。
寝起きで頭の働きが悪かったことも影響しているのだが。
「早く帰りなよ」目尻を吊り上げながらも、優しい声音で、僕は言った。
「土曜日の件はどうなるの?」
流菜は口許に小さな皺を浮かべながら首を傾げている。
笑顔だけでなく、そんな顔もとても可愛い。
だからといって甘い声を出すわけにもいかず、僕は淡々とした口調で答えた。
「予定通りだよ。あの自転車は無理かもしれないけれど、他にも自転車はあるから」僕は咄嗟に嘘を吐いた。
四日後の土曜日、流菜と二人で海辺まで自転車を走らせることになっていた。
今時の高校生の男女が仲良くサイクリングをするなんて珍しいかもしれない。しかしである。
人目につかないという過酷な条件下では悪くないプランだろう。
ただでさえ女子の話題に乏しい我が「だんクラ」では、もしデートをしている現場を見つかれば大騒ぎになる。まして、その女子生徒がミス精花高校候補の白川流菜だったら、なおさらだ。
馬事雑言を浴びせられるだけなら我慢できるが、下手をしたら袋叩きになり、過酷な学校生活を過ごす恐れもある。
それに自転車を使う理由は、人目を避けるためだけではない。流菜が「橙色の自転車の荷台に乗りたい」と言ったからだ。
最初は、からかわれていると思ったが、流菜の目は真剣だった。
荷台に乗りたいということは、二人乗りを意味する。当然のように、彼女の細い腕は僕の腰に回り、急ブレーキを掛けるたび、背中には滑らかな頬が触れる。運がよければ、彼女の柔らかい胸も……。
いかん、いかん。
そこまで妄想したところで、僕は首を振り、邪念を追い出した。
「晴れるといいわね」流菜がニッコリと微笑んだ。
やっぱり可愛い……。
「晴れるよ」
視線を足元に落としながら僕はぼそりと答えた。
流菜をその場に残して、足早に校門を出た。
バス停へ向かっていると、自転車に乗って走り去る流菜の後ろ姿が見えた。
紺色のスカートが風になびいている。
流菜の姿が交差点を左に曲がったのを確認してから、僕は全速力でいま来た道を引き返した。
駐輪場には、黄色のママチャリが僕の帰りを待っていた。
ごめんよ、と口の中で呟き、荒い息を吐きながら鍵を外し、サドルに跨った。
流菜に会わないことを祈りながら、僕は自宅に向かってママチャリを走らせた。
オレンジロード9へ続きます。
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