弟と会わない年月が10年ほどありました。。 その間の間にズボズボと弟は沼にハマっていたのでしょう。両親がようやく気付き出した時には完全無血のジャンキーの弟でした。 その頃、私はある公人のサポートをする仕事をしておりました。。 私は弟をいないものだと思って生活しておりました。ただの保身です。でも、その保身すら守れない状態になっていました。 2013年の秋、、母からの一本の電話がありました。 弟の様子を見てきて欲しいとの事。我が家と弟の家はさほど遠くない同じ区に住んでい
弟は高校時代オーストラリアに留学していました。 その頃には持病の喘息はさほど出ていませんでした。 留学する弟を私は誇らしく思っていた程です。。 (今思うとアホだなぁと思います。) その時期に彼の精神状態に気付いていたら20年たった今彼はこんなコロナ禍で 寂しく拘置所で淡々とか、はたまた、フラッシュバックか禁断症状に苦しんでいるかも知れません。。 病気の母親、一人置いて良く行けたもんだと。。。おかげで母親は更に病弱になり後何年も無いと医師から受けました。弟よ、、、お前は知
Millyです。 私の弟は3つ下です。 小さい頃から病弱で喘息持ち、いつも吸入器を持ち歩いておりました。母親はそんな小さな息子の手を引いて病院を駆けずり回っていました。 私は元気そのもの!弟に対する溺愛ぶりに嫌気がさしていた姉はよく弟をいじめていました。。情けない話しですが今思えば私もあの、愛情を欲しかったのと同時にもう1人で生きて生きたいと言う矛盾していたのを覚えています。 そして今、思うとすでに弟は薬漬けだったのです。ありとあらゆる薬と吸入器。薬に対してその頃から
はじめまして。 Milly40代半ばの独身OLです。 これから私が書す文章は 一字一句間違いなく現実に起きたお話しです。 そして今もなお続いている積み木崩しです。。積み木崩しとは大袈裟ですが本当にこれからの家族の在り方、未来の子供たち、今も闘っている皆さんの何かお役に立ったり共感出来る事があるやも知れません。 基本的に薬物に手を出してしまったら逃げられません。ほぼ永遠です。死ぬまでやめられない、戻れない道です。 ですから私は、そんな家族を持ってしまった事で無くした