おっさんだけど、仕事辞めてアジアでブラブラするよ\(^o^)/ Vol, 54 火酒
タジキスタン Pamir Highway Try 7日目
2023.0902 Sat
酒。
人はそれを“百薬の長”と呼び、そしてまた“気違い水”とも呼びました。
いつかの時代に誰ぞやが言った言葉、
「酒に貴賎なし。人に貴賎あり」
わたしもこの意見に賛成です。
ところで、その姿形(ナリ)と態度なんでしょうね、若かりし頃からわたしはこう言われ続けてきました。
「おまえ、酒強そうやな」
実際、そんなことはないのです。ビール中ジョッキ2杯でもうかなりいい感じになりますし、酒の席は確かに嫌いではなかったですが、むしろ酒自体は弱いほうなのです。
しかし、20代までのわたしは、そんな言葉にこう応えていました。
「おう、オレも“播州の酒樽”って呼ばれた男やからのう!」
そしてビールを一気飲みします。すると、わたしの酒の弱さを知る人たちからは大ウケ、わたしが本当に酒が強いと信じている人たちからは畏怖の目で見られるのです。約30分後にバレますが…。
誰よりも早く酒をガンガン呑み、誰よりも早く泥酔し、そして誰よりも早く酔い潰れる。それが在りし日のわたしの酒の呑み方でした。
しかし、年齢がイクにつれ、社会的にそうしてばかりもいられなくなってきました。
わたしはビールの飲み方を覚え、焼酎の呑み方を覚え、そして日本酒の呑み方も覚えました。ニコニコ酒を飲んで、楽しく帰宅する。そういうヤツですね。
しかし、わたしは忘れていました。ウォッカの呑み方を覚えていないことを…。
サマルカンドで自転車を買い、“チャリ旅”などと称してパミールハイウェイを目指すことにしました。
しかし、パミールどころかドゥシャンベに着く前にいきなり音を上げ、目的地のゲストハウスに到着できず、仕方なく野宿する羽目になったわたし。
標高2000mは伊達ではありませんでした。とにかく寒いのです。昼間はあんなに暑かったのに…。
凍えて眠れぬ夜をどうにか遣り過ごし、そして朝、寝不足と空腹でフラフラのわたしに声を掛けてくれたのが、道路沿いの飯場みたいなところに独りで住んでいたロシア人のおじさんでした。
おじさんはとても気の良い人で、熱いチャイに始まり、ナンにお菓子、そして厚切りのハムまでご馳走してくれました。そしておじさんは、透明の液体が入ったペットボトルを棚から取り出しました。
「これを飲むとよ、血行が良くなるんだよ」
身振り手振りでおじさんはそうわたしに訴えました。
ロシア人が勧める透明の液体。わたしも馬鹿ではありません。吞む前から察しはついていましたが、同時にまさか朝の7時から? という思いもありました。
欠けた陶器の茶碗に注がれた液体、それを一息に呑み干すわたし。はたして、それはウォッカでした。わたしが顔を顰めると、おじさんは嬉しそうに笑いました。
「本当だよ、本当に血行が良くなって身体に良いんだよ」
おじさんはそう言いながら、自分もウォッカを一口煽りました。
「朝の7時だぜ? オレこれからチャリ漕ぐんだぜ?」
温かいチャイと食事、なによりおじさんの人柄のせいですが、見る間に陽気になったわたしは、「ホントにちょっとだけだよ」と言いながらウォッカをお代わりしました。
そして、太ももに力が入らない2時間をどうにかこうにか遣り過ごし、結果として生まれて初めてのヒッチハイクへとつながるのです。
そして、ホログでもやらかします。
ドゥシャンベからパミール本編の起点であるホログの街に着く前にもわたしは力尽き、ヒッチハイクをすることになりました。そこで乗せてもらった黄色のフルサイズバン。その車の持ち主が、まあなんですかね、言うところの“ホログのチョイ悪親父”みたいな奴でした。
たしかに家族を愛し八百屋を経営するれっきとした家族の大黒柱なのですが、なかなかアレな親父なのです。たとえば、初心者の息子に長時間・長距離運転させて、自分は助手席でずっと寝ている。あげくの果てに、ガイジンのわたしに運転させる、とか…。たとえば、家を出た2m先の壁に立ちションする、とか…。たとえば、町に出て、どうみても素人に見えないおばさんと異常に近い距離で話し続ける、とか(たぶん男女の仲のはず)…。そして、たとえば、「チルしようぜ」などと言いながら、水タバコの約束のはずが土曜の夜にわたしをディスコに連れていく、とか…。
そして、ディスコでのウォッカ一気飲みからのダンスへの誘い。自分で踊りに来たのだから自分から踊ればいいのに…。このへんのノリは万国共通のようで、わたしが踊らなければ始まらない的なノリになってしまいました。覚悟を決めたわたしはウォッカを煽り、そして文字通りフロアへと躍り出たのです。その後はグラスが飛び散りわたしが吹っ飛び、あわや乱闘騒ぎになるくらいまで大騒ぎとなり…。
その騒動が一段落したころ、そっと200ソムニ(約2700円)をテーブルに置き、わたしは店を後にしたのです。
ちなみに、どうやって帰ったのか、一部の記憶がありません。
おお怖…。
パミールトライ4日目となる今日の昼前、わたしは空きっ腹を抱えながらチャリを漕いでいました。
パミールハイウェイの恐ろしさ、それは標高の高さからくる酸素の薄さ、そして厳しすぎる寒さがありますが、もう1つ、人家の極端な少なさが挙げられます。要は誰も居ないし、なにも無い。宿泊施設もレストランも売店も、なにもかもが極端に少ないのです。
トライ3日目の昨日にハンガーノック気味になったこともあり、朝食のお供に出していただいたお菓子をリュックに忍ばせてはいましたが、それでも地図にあるはずのレストランが閉まっていると分かったとき、わたしは大いに落胆しました。
そして、リュックを降ろし、お菓子を食べる前にとりあえず途方に暮れていたところ、無人だと思っていた大型トラックのドアが開き、中から顔を出したおじさんが大声でこう呼びかけてくれました。
「おおい! こっち来いよ! 飯喰おうぜ」
一も二もなく向かうわたし。でっかいトラックに乗り込むと、満面の笑みでおじさんが迎えてくれました。
「とりあえずこれ喰って、こっちも喰って…。そんでバーナーもあるし、ヤギ肉もあるし…」
そうしておじさんは、助手席の後ろから透明の液体が入ったペットボトルを取り出しました。もちろんウォッカです。
「いいの持ってんじゃん!」
ご馳走される側にも流儀というものがあります。
わたしの流儀とは、出されたものを美味しくいただくこと。さいわい、これはわたしの得意分野でもあります。
陶器の茶碗になみなみと注がれた一杯、それを一気に飲み干すとき、チラリと今日これからの予定が頭をかすめました。今夜の宿があるムルガブまであと40km、すべて下りです。
「旨え!」
酒は吞めませんし、酒の味もわかりませんが、これは本音です。初めて会ったガイジンを車内に招き入れ、飯を喰わし、そして酒を吞ませる。その行為が“旨い”のです。おじさんもウォッカを呑み、そして狭い車内で料理を始めました。
塩漬けのヤギ肉の脂身を生で喰い、生のニンニクを齧りつつナンを喰らう。そしてメインのスープを作るのに、わたしの髭及び鼻毛切りバサミでヤギ肉の脂身やニンニクを切るおじさん。強めの塩気がナンに合う、なかなかの逸品です。
勧められるがままにウォッカを呑み交わし、そして腹もいっぱいになりました。
「ムルガブに行くんだろ? あと40km、全部下りじゃねえか。楽勝だろ?」
「そうそう、楽勝よ!」
「でもよ、眠いんだったらこのベッドで寝てってもいいんだぜ」
酔っぱらいながらも優しさを忘れない、めちゃくちゃナイスなおじさんでした。
こんな酒なら、いくら酔っぱらってもかまいませんね。
このあと、道路の隅っこで2回、計90分くらい寝ちゃいましたが…。