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寝床でこどもとはなす

昨日、長男が幼稚園から帰宅すると、右手を指さし「みて、Aくんがかじった」と言った。「え?かじられたの?」と尋ねつつ私は、Aくんとはどちらかというとラブラブと言ってよい域の仲良しなのに、変だな、そして以前他の子どもにかじられたときに比べてテンションが低めだなあ、といぶかしく思った。

以前かじられたときのことは何なら今も決して忘れておらず、ことあるごとに「Xくんは僕をかじった」と半年近くたってもアピールを忘れない。Xくんへの悪感情はほとぼりを覚めるということを知らず常にふつふつとしている模様でそれはそれで困っている。

長男は私の問いかけに「ううん。あたっただけ。ぎゅってしたらあたったの。」と説明を翻す。しかし傷はどうみてもかじられ傷。夕飯時に祖父母にも同じように「かじられた」から「あたっただけ」と謎の説明をしていた。このとき私は、この子はAくんが叱られないようかばっているのかな、などと思っていた。「仲良しだからね、そんなときもあるね」と家族で対応した。

しかしなんとも、腑に落ちないなあ、と寝床で「あなたがかじられて悲しい。痛かったよね」と言ってみたら、子は少しずつ具体的な説明を始めた。「ぼくがAくんをつかまえた」「Bくんが仲間になれっていった」「BくんがAくんをつかまえろ、っていったからつかまえた」「つかまえたらAくんはかじったってこと」「Aくんは給食をたべるのがおそい」

なるほどねー。かばっているんじゃなく、自分が悪かったと思ってるのねー。全体像がほんのり明らかになってみると自分がまあなんと親バカで子を盲目的に肯定していたのかと、恥ずかしく思った。親として不甲斐なし!穴があったらはいりたい!同時に、子どもって自分のしでかしたことを親に言うのはハードルあるんだよなあ、正直に話してくれたことはラッキー、とも。

「Bくんの仲間になったからといって、Bくんの言う通りにしなくてもよい」「いやなことはBくんに自分がやりなよ!って言うとよい」「Aくんには明日つかまえてごめんね、と言おう」「誰でも、得意なこと、苦手なことあるよ。人と比べない。人を馬鹿にしない」「仲間はずれや、弱いものいじめはしない」

そんなようなことを子どもと話しつつ、「母はあなたが大好きだよ。またお話してね」と伝えた。

本当はBくんに命令されたとき、それが悪いこと(Aくんを傷つける)ってわかっていたんじゃないかな。そんなことをしたらAくんはかじって当然だ(自分は悪いことをした)とおもったから、「あたっただけ」と言ったのだろう。Aくんは長男を非常に慕ってくれていて、相思相愛みたいな時期があったほどなので、長男のしたことにどれだけ傷ついたか、かなしく思う。長男もそのことまでわかっていて意気消沈しているかも。

長男は強い子、人気があって派手な子にあこがれがあって、どうもその子のやる通りにまねしすぎるところがある。昨日のことは、自分の感じた違和感をもっと大事にすることができるようになったらいいな、という課題を得た出来事だった。それから、長男(ASD)は操作的な子どものターゲットになることが多いタイプだということが徐々に明らかになってきたな、などと思ったりもした。

私自身はバリバリの「操作的な子ども」だった。そっち側にいるといずれ破綻は免れないので、まだましかも。そっち側に行かないよう、肯定しつづけてあげたい。

※この記事は長男の主治医にスムーズに伝えるため、備忘録のため、書きなぐってみた。乱文。

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