登園、再開
坊やの幼稚園で分散登園が始まった。スイミングも再開し、祖父母もスポーツジム通いを再開している。
母である私だけが変わらずずっと家にいる。私は精神科に入院した1年前から子どものことを除くほとんどの人間活動を自粛しているので、正直言うと感染症が蔓延する以前も、自粛期間中も、自粛緩和後も、ほとんど変わらない生活をしている。
とはいえ、特別なケアを必要とする子どもの世話を両親(祖父母)はやりたがらないので、この3か月近くは「自分だけの時間」をほとんど持てずにいたのは事実だ。
本当に疲れた時、「あなたちょっとみててよ」と子どもを配偶者に託して休む、ようなことができないひとり親は、ずっと水中マラソンをしているかのよう。時折苦しくて足先がびりびりした。
坊やはといえば、幼稚園の再開がこわくて、再開初日は園バスに乗車できなかった。
年度代わりの時期に休園となったので、園の再開とクラス替えと、新担任と、大きな刺激が一気にやってきたのだから、過敏な子どもには酷なことである。そのうえ、分散登園をしているので、登園は一日おき。今日は休み、今日は行くよ、というのがどうにもつらそう。夕飯のとき、カレンダーにかかれた「ようちえん」の赤文字を、フォークをかじりながら眉間に皺寄せみつめていた。
幼稚園バス、スイミングバス、どちらも時間が決まっていて、逃した場合の母の負担がかなり大きい。なので、どうしても乗ってもらいたく、色々に声掛けしたり、甘やかしたり、工夫を凝らすのだけど、「自分のタイミング」でないと動けず、なにごとも基本的に怖い(プラス面倒な)坊やはなかなか思う通りにはいかない。昨日は久々に感情的に声を荒げてしまい、自分自身の精神の疲弊を思う。
私が怒気を荒げると、こどもは「はいはい、また始まった」というようになった。※これは癇癪の時に私の母が坊やにかけることばそのものである。そういう風に感情を処理することはやめさせたい。コロナの影響で、家族間が密になることの弊害をひしひし感じる。
表面上、生意気で、少しも堪えていない、という風であるが、実際のところ坊やは叱られることを心から恐れていて、昨日からずっと、聞こえる音のすべてが怖いものに感じたり、過度にテンションが上がり眠れなくなったり、園バスに乗るのを泣き叫んで拒否したり。たった一度の私の理性の敗北が、大変な影響を与えていることを身をもって感じ、申し訳ないような、それもいたしかたないよと肩を落とすような。
「おかあちゃんとずっといっしょがいいのよ」
今朝はそんな風に泣いていた。俗にいう見捨てられ不安というものだろう。これほどの繊細でこわれやすい生き物との生活に敗北しそうで、坊やが幼稚園へ行っても、結局引きこもり横たわることしかできずにいる。