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愛しの密室ガール

「私の中に一体の死体がある、というと、人はいかにも奇異なことを言っているように思うかもしれないわね。でも事実よ。私の中には一体の死体がある」

私は目の前の人物にそう告げた。それは告白と言ってもよかった。

私の名は密室。

「知ってのとおり、外部から入ることはできない。したがって、この死体がどのようにして私の中に現れたのかは私には皆目わからないの。現状、私のなかに犯人と呼べる存在は見当たらないわ」

なるほどね、ふむ、それは興味深い、と目の前の人物は顎を指でさすりながら唸る。

「密室、つまり私というものは、本来、不可侵的なものである。仮に戦争のように侵略されてしまえばちがうだろうけれど、その場合はもはや密室とは呼べなくなるわ。私の崩壊が起こってしまうから」

「でしょうね。しかし、今のところあなたはあなたのままだ。その中に死体がある。死体だけがある。そういうことですね?」

目の前の人物は、慎重にそう確認する。

「ええ、私には外部の力が及ばず、その閉鎖期間中に、私や死体以外の何者かによって殺害が為され、閉鎖解除と同時に犯行と加害者たり得る人間の非在が確認されたわけよ」

密室にはさまざまな分類法が存在している。そのすべてをここに提示するような真似は、あえてするまい。それはあまりに自分語りがすぎるというものだ。

しかし、彼──探偵は、大胆にも私を口説き始めた。
「状況はよくわかりました。しかし、そうですね、許されるのなら、まずはあなたの中に僕を入れてほしい。そうしないことには話が始まらない」

なんと破廉恥な。私は無論、それを拒んだ。

「たしかに、死体はここにあるわ。だけど、それを見せるためにあなたを入れれば、私が私ではなくなってしまう。そうでしょ?」

同意なき侵入は、現代的ではない。そのような紳士にあるまじき行為は、探偵にはふさわしくないだろう。だが、探偵はあきらめない。

「僕を入れても、あなたはあなたのままだ。僕はあなたを尊重したまま中に入り、尊重したまま出て行く」

そんなことはできやしない、と私は考える。入るということは「密室」を壊すということで、もはやそれは私ではない。いや、探偵が入ったあとに、再度私が施錠をすれば、密室は保てる。けれど、探偵は「尊重したまま出て行く」などと言う。そんな甘言を信じるわけにはいかない。

だって、もしも尊重したまま出て行くことができるのなら、それはもはや密室でもなんでもないわけだから。

「しかし、入れてもらわないことには、あなたの中にある死体とやらも発見できない」

それはまったくその通りだった。「入るよ」と探偵は言った。そして、言ったときには、ドアノブに深く長い針を突き刺してこじ開け、あっさりともう入ってきていた。

私はつかの間、密室ではなくなり、探偵に身をゆだねなくてはならなくなった。

こんなことで自己のアイデンティティが崩壊するとは思いたくない。それは構造的な問題にすぎない。密室の中に死体があり、その謎を解くにはどうしたって一度密室を破壊する必要がある。

けれど、それでも私の中の何かが、この瞬間に決定的に変わってしまったことは確かだ。探偵は私の中に入り込んで、いわば私に関与し、その時点で何らかの深刻な変化をもたらした。

探偵は言う。「死体には外傷があり、他殺体であることは間違いない。しかし、この室内には誰もおらず、どうやって外へ出たのかもわからない」

探偵は考える。物理的な密室であるのか、はたまた時間か場所か、そのどちらかの誤認的なものか、あるいは心理的密室であるのか。もしくは、そのいずれでもないのか。

「死体はある。しかし、この死体がどこから来たのか、何もわからない。しかし、そんなことより、僕はこの密室がどのように生成されてるのかに興味が惹かれる」

探偵が壊したドアは、ちょうど彼にぴったりのサイズだった。彼一人が出入りするのに、まさにちょうどよかった。だからこそ私は彼を受け入れたのであり、探偵もそのことを理解している。

そして、そうであれば私がどのようにしてできているのかも、そろそろ気づくだろう。

実際、探偵は人差し指を立てる。

崇高で、もっとも高貴なあの瞬間が訪れようとしていた。

「お集りの皆さん、謎はすべて解けました」

探偵はそう言って私に微笑んでみせる。たぶん、私に微笑んだのだ。

「この密室はたくさんの死体で構築されている。あまりにぎっしりと壁全体が死体で塗り固められているために、それは一枚岩であるかに見えますが、実際には無数の死体なのです。いわゆる死体軸組工法というやつです」

まさかその建築工法を探偵が知っているとは思わなかった。やはり、探偵は密室を愛し、密室についてなら何でも知っているのかもしれない。

「そして、あなたは私に嘘をついた」

私は内心ドキリとした。

「嘘などついていないわ」

私はそう答えるが、彼はいいえ、と首を振る。

「密室に死体がある、といえば、その言葉に嘘はありません。あなた自体が死体の塊であるのだから。しかし、あなたは『私の中に死体が』と言った。それは、嘘だ。あなた自体が死体の集合体であるのは事実としても、その中は空洞なわけですから」

「どこが嘘なの? こうしてあなたの目の前に死体があるというのに」

「いいえ。これは、僕が壊したドアの死体です。つまり、僕がドアを壊すまで、この死体はここにない。密室の一部だったわけだ」

どこまでもお見通しというわけか。私は心のなかで拍手を送る。しかし、簡単に認めてしまうわけにはいかない。私にもプライドがある。

「でもそれを嘘というのは、意地が悪いんじゃない? せめて予言と言ってほしい」

「予言? そうですね、探偵を罠にはめるための企みも、成功すれば予言になる。それで? 僕に何を望むのですか? あなたの破壊か、復活か」

「密室のないところに探偵はない。私が自己崩壊すれば、もはやあなたは存在しないでしょう」

それが狙いか、やれやれ、と言って探偵はしばし考えた後、言った。

「わかりました。それに僕は最初に約束してしまいましたからね。僕はあなたを尊重したまま中に入り、尊重したまま出て行く。それを実行しましょう」

「無理よ。あなたはどうせ私を傷つける」

果たしてそうでしょうか? 

探偵はその言葉を残し、死体を引っ張りながらドアから出て行った。

しかし、その後の姿を私は知らない。

探偵は出て行ったが、それきり、影も形も見えなくなった。

そして、私は元通りの密室に戻った。

私という存在を守ったままで私の中に入る存在は、貴重だ。そんな奴は滅多に現れない。そういう者だけが、特権的な位置にいることができる。

私のとくべつ。

ありがとう、探偵。

新たに閉ざされたドアとなり、私を私たらしめてくれている者に、私は優しい気持ちでそう語りかけた。

あなたが魅力的でなければ、私はあんな嘘はつかなかった。探偵よ、私はあなたが好きだったのだ。しかし、なぜだろう? 私があなたを手にするとき、同時にあなたは世界から消えなければならない。こんな悲恋があろうか。

知らぬ間に私は泣いていた。どんなミステリマニアも決して知ることのない涙。密室は泣くのだ。そして、その涙を、探偵だったドアだけが拭うことができる。ありがとう、ありがとう、と言いながら、私は彼を忘れ、きっといつかまたべつの探偵に恋をするのだ。




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