思い出した不思議なこと<ジャーナリング2024.2.4>
昨日は「モーニングノート」だったけど、今日は「ジャーナリング」
モーニングは「朝」書くことが大切みたいだけど、それはハードルが高いので、ハードルを「自分の高さ」に合わせてみた。
ジャーナリング、つまり日記。
でも、今日あったことを書く、というよりは「頭の中に浮かぶこと」を「思考を挟まず」に書き出す(吐き出す)感じ。
(だと、私は思っている)
昨日、思い出したことがあって。
ちょっと不思議な話になります。
それは、かれこれ17年ほど前。
まだ、私はフランスに住んでいて、そして、病んでいた。
当時は、遠距離恋愛の彼もいたし、貯金もあったし健康だったし。今思えば「めっちゃええやん!」という現実だったのだけど。
心が病むって、そういう「何を持っているか」ではないということだね。我が身を通してしみじみ思う。
病んだ私が行っていたこと。
それが、ジャーナリングだった。
とにかく、心の叫びのようなものを書き出していた。思いつくまま書き出していた。
誰にも見られないし、見せたりしないし。だから、グワ〜ーーっとひたすらノートに向かっていたことを覚えている。
そんな私だったが、ある時「ふと」何かがやってきた。
やってきたものは「直感」を超えた「超直感」のようなものだった。
なぜ、それが「超直感」だと思ったのかというと、明らかに「自分が思いつくこと」とは違うものだったから。
その頃からだった、チャネリングが出来るようになってきたのは。
たった17年前のこと
チャネリングというのは「自分の潜在意識とつながる」「大いなるものとつながる」「ハイヤーセルフとつながる」そこにアクセスする、という感じ。
ざわざわする頭の中で考えている「不安」「イライラ」「どうしようもない思い」とは全く違う「視点」を持っているもの。
抽象度が、とにかく違う!!!
このことが、私のスピリチュアルの始まりとなった。
ただ、あの頃は「スピリチュアル」って特別なことだと思っていたし、チャネリング出来るのは「特殊な能力」なのだと錯覚していた。
17年前、スピリチュアルの話を気軽に出来る相手はいなかった。
そんな話をしたら「宗教?」って思われたり「不思議ちゃん」「現実逃避」なんて・・。そういう時代だった。
瞑想すら怪しまれた。
マインドフルネスも、ヨガもセラピーもヒーリングも・・。
どことなく浮世離れしたひとが興味を持つもの・・という捉え方をしていた時代。それは、たった17年前のこと。
だから私も「ふと」訪れた超直感について、誰にも話さず、密かに怪しく・・取り組んでいた(笑)
さてさて、ジャーナリング。
続くかなーーー。