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朝活ドキュメンタリー④

「朝活」を始めて一度で起きるようになっただけでも、私にとっては凄いことなのに「早く起きたからには何かしなくてはいけない」という自分の厳しさに気づいた。そこから思い出した、昔の母のこと。

続きです。

朝、階段を上がってくる時の母の足音が怖かった。一方的に「いつまで寝てるねん!!!」と怒鳴られる感じがして、その攻撃的な感じが怖かった。「今起きようとしてるのに」「それならさっさと起きなさい」何気ない親子の会話だけど、怖かった。

とにかく、私は子どもの頃から母のことが怖かった。怖かったけど、病気がちな母親を怒らせてはいけないと思っていたから、本当にビクビクしていた。両親の仲は悪く、父と母が話を始めると「いつ喧嘩になるか分からない」と聞き耳を立て、二人が大声を出さないか大丈夫か?穏やかに話しているか?とビクビクしていた。

家の中には、安堵・安心・安全という感じがなくいつも何かに不安を感じている。そんな子どもだった。だから、私は自分で自分のことを守らなくてはいけなかった。でも、子どもだからどう自分を守っていけばいいのか分からない。もちろん、こういうことは「無意識」の中で行われていたのだけど。

そこで、私が身につけたのは「家の中では話さないこと」だった。出来るだけ大人しくしていること。必要以上に母に話しかけないこと。長い間、私は親に反抗なんてしたことがなかった。だけど、言葉では反抗しなくても態度には出ていたんだと思う、十分に。

母が話しかけても面白そうな顔をしない。何か聞いても生返事で愛想がない。母親に対しても、心を固く閉ざしている。本当に扱いにくい娘だったのだと思う。だからこそ、母は余計に私に対して厳しかったのだろう。


母が階段を上がってくる足音の何を私は怖がっていたんだろう。

昨日、朝活ドキュメンタリーを始めたことを書いていて、そしてどうしたことか母のことに話が流れていった。私が「何かしていなくてはいけない」という思い込みがあること。そして、それが「誰かの目を気にしている」ということ。そこからの流れ。

「誰かの目」とは、紛れもなく母の目なんだ。だけど、その母は22年前に他界している。死んでしまった人の目を今でも気にしている?そんなこと・・んんん、ありえるな。だってこれは、すべて無意識のことだし、昔に作ってしまった「自分の世界」の中で行われていることだから。

母の足音を思い出し、以前の「怖い」と感じた感情を思い出していた。だけど、なぜそんなことを思い出したのだろう?昨日からずっと考えている。考えているけど分からない。当然のことだ、だって「考えている」のだから。「感じた」ことを「考えて」みても分からないけど、人はみんなこんなことをしているはず。だけど、感じることと考えることは全然違うのだ。

で、私は「感じて」みた。何を怖がっていたのか?その恐怖にも近い怖さは、私にとっては何を表していたのだろうかと。

続く

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