ワンネス体験をした友達の話の覚書
「世界は自分で創る」この言葉を知ったとき、「それそれ、それだ!」と高揚した。
私はずっと、何か得体の知れないものに動かされているような気がしていた。自分ではコントロール出来ないもの。
運命とか宿命とか。そういうものを信じていた。
けれど、ある年の3月。
海外でミニマラソンにひとりで参加した時、ふと「私の人生って、私が主人公だよな!」と気づいたことがあって、その時に「私が、人生の主導権を握らなければ!」と強く思った。
誰かの機嫌をとったり、誰かに指図されながら生きるのはまっぴらだと。
その数ヶ月後「世界は自分で創る」という言葉を知った。
それから数年が過ぎたが、なかなか「世界を自分で創っている」という実感は得られず。過去と同じように、得体の知れないものに動かされているような気がしていた。
何をやっても、思う現実が創れなかった私。
でも、思考には「世界は自分で創っている」が叩き込まれていたから、「私の何かが間違っている」「私の責任なんだ」と思っていた。
だからこそ、なんとかしなくては!自分の何かを変えなくてはいけない。変えられるんだ!
だって、私が人生のクリエイターだもの!
で、人生に絶望しちゃった(笑)
今年の1月のこと。
関東に住む友達が、関西に来るという連絡が。
数年ぶりの再会だったけど、私は絶望期だったので(笑)、友達に不快な思いをさせやしないかと、少し心配しながらもご飯を食べに行った。
そこで友達から聞いた話に、目が醒める思いがした。
彼女の話はこうだった。
ワンネス
『ある時、椅子に座っていたら、目の前がスコーンと抜けて、どこまでもどこまでも真っ直ぐに見えたの。
よく「私はあなた、あなたは私」とか言うじゃない?「この世界はひとつ」とか「ワンネス」とか。そのことが一瞬で分かったんだよね。
「すべてはひとつ」ということが』
友達は、いわゆる「ワンネス体験」「一瞥体験」「悟り」「覚醒」のような体験をしたみたい。(この言葉の違いさえよくわかってない)
分かったような分からないような話に、ただ「へー!すごい!え?すごい!」と言うしかない私だったけど、すごく心惹かれる話で、ただワクワクしながら聞いていた。
で、すごく面白いと思ったのが次の話。
私たちはコントローラーを持っていない
『私たちってさ、例えば、スーパーマリオゲームだったとしたら、自分たちがゲーマーで、コントローラーを持っている、と思ってるじゃん?
で、画面の中のマリオを動かしている。
でもね、違ったんだよね。
私たちが「マリオ」だったの!!!』
え?
何?
それじゃあ、自分が世界を創ってないの?
『そうなんだよ。創ってないの。だって、私たちはマリオだから』
え?私たちは動かされてる、ってこと?
え?何?
どういうこと?!
わからん!?
信じてきたこととは真逆の話、でも希望
これは、私が友達から聞いた話なので、私が体験したことではない。
だから、上手に説明できないのだけど、どうやら私が長年思い込んできたこととは「真逆の真実」があるらしいのだ。
真逆の真実、と言っても、絶望的な話ではなかった。
その証拠として、絶望していた私が、彼女の話を聞いて希望を感じた。
私たちがコントロールされている、と言っても「絶対に抗えない苦痛の人生から逃れられないのです」ということではないようだ。
だから、この話を読んで不安にならないで欲しい。むしろ私は、この話には、希望しかない!と直感した。
さらに続く体験談
友達曰く
『物事は、ただ起きているだけなんだよね。つまり、ベストなことが起きているだけなの。だから、どんな状況になっても嘆き悲しまなくてもいいんだよ。』と。
以下、覚書を箇条書きで。
『クリエイションの力はなくて、ただエゴを明け渡していくだけ、なんだよね』
『エゴっていうのは、自分がクリエイターになっている、ということを勘違いさせるものなの。』
『エゴは「自分」を感じさせたい。
生きている実感というのも、エゴが感じたいもの。だけど、すべてはひとつ。エゴが「自分」を強烈に感じるためには、すべてはひとつ、であってはいけない。
でも、「すべてはひとつ」に気づいたから、エゴが消滅しようとするんだよね。エゴが消えるということは「自分」が薄れていくことだから、ものすごく怖い、恐怖を感じ続けてた。』
『みりえちゃんは「もう自分では考えられない!」って言ったじゃない?(もう絶望的で、何をやっていいか分からない!もう考えられない、という話をしたので)それは、当たり前なんだよね。
自分で考えられる範囲は無理なの。なぜなら、いろんな出来事は「私たちに戻っていくため」に起きていることだから。』
『とにかく、今の現実は、自分が創っていないから、自分の責任じゃないんだよ』
自分が創っていない、私にはコントローラーはない、クリエーターでもない。
それなら、誰がコントローラーを持ち、誰がクリエーターなのか?
これが気になるところなんだけど、それは話を聞いてもよく分からない。
誤解を恐れずに言うと、それが「神」のようだ。
しかし、この「神」の概念は、宗教的な「神様」とは違うようだ。
例えば、釈迦とか、イエスキリストとかは「神」と呼ばれているけれど、神ではなく「すべて分かったひと」ということらしい。
「神」は、どこかにいるのではない。「ワンネス」だから、「神」も「自分」である・・らしい。
ん・・やっぱり説明が難しいな。
すごく興味深い話だったんだけど。
で、まとめると・・
「すべてはベスト!ただ起きているだけだから、何の心配もない」
シンプルすぎて、、、笑うしかないな。
また、続きを書いてみます。