絶望日記12 お金の話(1)
私が絶望を感じた理由。
それは、ずっと追い求めてきたことが「私らしくない」ことだらけだったからかも、と思う。
「私らしくない」とは、つまり「本心からの望みではない」ということ。自分自身の腹の底と一致しないもの。腹の底・たましい・いのちっていうのかな。
「こうだったら認められる」「こうだったら凄い!と思われる」「こうならなくてはいけない!」「こうだったらダメだから、ここを目指す」とかね。
例えば、毎月100万稼ぐ人になる的な。
そういうこと。
「お金を稼ぐ」
それが決してダメな訳じゃない。それを目標にしたらモチベーションがあがり、どんどん人生が好転するようになるひとも存在する。お金は必要だし、お金を稼ぐことでのメリットは数えきれないほどある。
が、それが全ての人に当てはまる、ということではない。それが「人間のあるべき姿」でも「しなくてはならないこと」でもない。
ということは、ずっと頭では分かっていた。
けれど、どこへ行っても「お金がザクザク入る方法」とか「月収を2倍にする方法」みたいな言葉を目にすると、ゆらゆら心が揺さぶられるわけで・・・。
ちなみに、これらの言葉が目に飛び込んできやすく、反応がしてしまう私は「お金」というものに対しての「なにか」があるということなのですね。
そのことについては、またいつか触れたいと思う。
「追えば逃げる」
ぶっちゃけて言うと、私はお金に執着してた。これは、子どもの頃からで「ないない、お金がない」ってずっと言ってた。
母に「あんた、お金あげたやん」と言われても、お年玉をたんまりもらっても「ない」って言ってた。「ない」の意味は「銀行にはあるけど、ここ(財布の中)にはない」だった。なんという私。
そんな私が大人になった。私はやっぱり「ないない」言ってた。お給料をもらっても、ウハウハの貯金をしていても。なぜかずっと「ない」と言い続けていた。
「ない」と思い込んでいた私は、どうしたかと言うと。
お金を求めた。「ない」という意識だから、当然、行動としては「追い求め」なくてはいけないのだ。
で、どうなったか・・。
それは、タイトルを見れば一目瞭然。
「絶望」に行き着いた、というわけである。
つづく