絶望日記2
私が絶望を感じているのは、
もしかしたら
「更年期」が関係しているのかもしれない。
もう本当にやるきが出ず、
なにもしたくなくなった。
"いい気分"でいようとする気持ちさえなくなった。
そんな私がしたこと。
それは
「更年期障害 死にたくなる」
を検索したことだった。
「こんなこと、検索する人いるのかな?」
そう思って検索したのだけど、
意外にも(意外じゃないかも)
多くのリンクが上がってきた。
「死にたい」
というワードで検索したことは、
これまで一度もない。
だから、
そんなことでさえ緊張感があった。
とてつもなく大きな掟を破る。
そんな思いがした。
そんなことがあった翌朝。
明け方に見た夢。
死を宣告される夢だった。
夢の中で、私は強く思った。
「死にたくない!!!」
と、同時に
もうひとりの私が出てきて
私にツッコミを入れた。
「え?死にたかったんじゃ?」
そこで目が覚めたんだけど、
目覚めて思った。
「やっぱり、生きたいんだよ」
絶望してても、生きたい。
生きる希望、が欲しいんだ私は。
たしか、誰かのyoutubeだったかな。
こんな話を聞いた。
「希望とは、絶望があるから感じられるもの。
だから、しっかり絶望を感じればいい」
たしかに!
これまで考えてみなかったけど。
その言葉自体に、私は希望を感じた。
けれど「希望」って言葉にすると
大きなもののように感じられる。
でも、とても小さなものでいいと思う。
・仕事の帰りにアイス買おう
・家に帰ったらすぐ風呂に入ろう
・週末は家事を休む!
そんなこと「希望」じゃないですか?
でも、それでいいのだと強気で思う。
なぜなら「希望」を感じるときと、
上に羅列した諸々のこと、
それらを想像したときの
「気分」は似ているでしょ?
まあ、持論です。(が、何か?)
だけど、本当は、
そんなことをすることさえ
不要なのかも、とも思う。
絶望したいなら、絶望すればよいと。
→その絶望を、体で感じる。
(え?どっち?→どっちもだよ)
そう思うのには理由があってね、
それは「湧き上がる感情」は
「感じさせられている」と思うから。
(え?誰に?→わからない、ごめん^^)
と、書いたけど、
私の絶望は、
まだ終わった訳ではないのです。
つづく