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「荒神谷遺跡」の銅剣の「数」には、聖書の「獣の数字666」が秘められていたのか。

今回は、島根県の荒神谷遺跡(こうじんだにいせき)から考えていきたいと思います。

荒神谷遺跡から出たもの

遺跡は出雲国風土記で「神名火山(カンナビヤマ=神が宿る山)」とされる仏経山(ブッキョウザン)の北東3キロの地点。谷間の南向き斜面に二段に作られた場所があり、そこに銅剣が刃が上になるようにして4列整然と並べられていました。この銅剣358本のうち344本に「×」印がつけられていました。
1985年には銅剣が出土した場所から7m離れた場所で銅鐸6個、銅矛16本が発見されました。銅鐸と銅矛が一箇所から発見されたのは初めてでした。
続いて1996年には加茂岩倉遺跡で39個の銅鐸が発見されました。この39個のうち14個にも「×」印がつけられていました。

荒神谷遺跡

荒神谷遺跡では1984年に銅剣358本が発掘され、翌年には銅鐸6個、銅矛16本も発見されました。また、出土した銅剣358本のうち344本の茎(なかご)部には「X印」が刻まれていることも分かりました。


荒神谷遺跡の銅剣出土状況
荒神谷遺跡の銅鐸・銅矛出土状況


荒神谷遺跡の銅剣に刻まれたX印


さらに1996年、荒神谷遺跡のすぐそばの加茂岩倉遺跡では、39個もの銅鐸が一度に発見され、そのうち14個の吊り手部分に荒神谷遺跡の銅剣と同じ「X印」が刻まれていたのです。

銅鐸埋納状況復元
加茂岩倉遺跡 - Wikipedia


荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡の出土青銅器には、「X」という共通の印が刻まれていることと共に、山をはさんで両遺跡が等距離に配置されていることから、この二つの遺跡に埋納された青銅器群は一体の物である、ということが明白となっています。

荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡の位置関係
 荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡は、直線距離にして 3.3km 余りと近接していること、銅剣や銅鐸に共通して×印が付されていること、埋納時期が同じと推定されることなどから、何らかの関係があるといわれている。
 両遺跡の位置関係を知るため地図上(図-1.1)で線を引いてみると、両者は不可分の関係にあることが一目瞭然である。まず、大黒山(315m)と高瀬山(314m)を結ぶ線と、両遺跡を結ぶ線は直交する。さらに、大黒山と両遺跡、高瀬山と両遺跡は等距離である。すなわち、底辺を共有する二等辺三角形が描けるのである。
 これらが偶然であるはずはない。両遺跡の位置は意図的に選定されたと思われる。そして、荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡の青銅器は一体であるという強いメッセージを発しているのである。

荒神谷・加茂岩倉遺跡及び『出雲国風土記』から推理する古代出雲の測量法  吉 田 薫 


それでは、荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡の出土青銅器に込められた、弥生人からのメッセージとは何だったのでしょうか。

私は この×印は 暗号になっていると考えます。
その理由は、加茂岩倉遺跡の銅鐸の×印と、荒神谷遺跡の銅剣の×印は お互いに陰と陽の14となっている、と思うのです。
  14が 陰と陽だって?  (なんだ、それ?と思われるかもしれませんが・・・)
 まず 加茂岩倉遺跡の銅鐸は、39個中 14個に ×がついているのです。
また 荒神谷遺跡の銅剣358本のうち、344本に ×がついているのです。
 おわかりでしょうか?
×があるものと  ×がないもの とを 数えてみましょう。
    荒神谷遺跡の銅剣 358本     ・・・・×あり 344本   ×なし 14本
    加茂岩倉遺跡の銅鐸 39個    ・・・ ×あり 14個   ×なし 25個
いかがででしょうか。
こうして 「14」 という数字が (写真の陰画のように)荒神谷遺跡に隠されているということです。
     そして、この14が、実は 天体の公転周期を表す暗号になっているのです。
    (まさか。・・・と、思われるでしょうか。)

荒神谷遺跡の銅剣の×印 (その2)


上記によると、両遺跡の遺物で「X」の刻印があった物と無かった物の数が「14」という共通数になっており、それが陰陽の関係になっているという考えです。

それではこの考えをヒントにして、推理していきたいと思います。

荒神谷遺跡に埋納された銅剣は4列に配列されており、1列目93本・2列目120本・3列目111本・4列目34本で合計358本、そのうち「X」が刻印されていたのが344本、刻印されていなかった数が14本です。

出典:荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡見学https://www.murata35.com/katudohokoku/izumo01/izumo/index.htm


まず「358」の「3」とは、「星」を意味していると考えました。

② 引き両の両は、霊を表し、霊とは太陽と月の日月精霊を表し、一つ引き両は「日」、二つ引き両は「月」を表すという説。

「引両紋」の解説


日本の家紋の引き両紋で、一は「日」を、二は「月」を表していることから、「日月」とくれば「星」であり、三は「星」を表すと考えました。

次に「358」の「5」とは、下記の「クインカンクス」という語から、「十字」を表しているのではないか、と考えました。

クインカンクスという語は、ラテン語で「5」を意味するquinqueと「12分の1」を意味するunciaに由来しており、このコインは青銅貨の12分の5の価値があったため(リブラとも呼ばれる) である。

その価値は、サイコロの目のように、正方形の角と中央に配置された 5 つの点のパターンで表されることがありました。そのため、このパターンはquincunxとも呼ばれるようになりました。

Quincunx (Roman coin) - Wikipedia(Google translateによる日本語訳) 


クインカンクスコイン Quincunx (Roman coin) - Wikipedia


クインカンクス/ ˈ k w ɪ n . k ʌ ŋ k s / KWIN -kunks)は、十字形に配置された5つの点からなる幾何学模様で、そのうち4つは正方形または長方形を形成し、5番目の点はその中心にあります。[ 1 ]同じ模様には、紋章学では「in saltire」または「in cross」 (外側の正方形の向きによって)、数値解析では5点ステンシル5点タトゥーなど、他の名前もあります。これは、6面サイコロトランプドミノの5つの点に対応するパターンで、5つの単位の配置を形成します。

Quincunx - Wikipedia(Google translateによる日本語訳)
サイコロの5面にある5つの目
Quincunx - Wikipedia


上記のように五つの点から成っているサイコロの目は、向きによって「十字形」または「斜め十字形(X)」が形成されることが分かります。

そして「358」の「8」とは、「八芒星」のことではないかと考えました。

イナンナ(イシュタル)の最も一般的なシンボルは八芒星だが[82]、実際の頂点の数は時々変化している[83]。六芒星も頻繁に用いられるが、その意味するところは不明である[87]。もともと八芒星は、一般的に天と関係するものだったようだが、古バビロニア時代(紀元前1830年~1531年頃)までには、特にイシュタルの星とされた金星と関係づけられるようになった[88]

イシュタル

「八芒星」は、「金星」と関係づけられています。

キリスト教においては、ラテン語で「光をもたらす者」ひいては明けの明星(金星)を意味する言葉「ルシフェル(Lucifer)」は、他を圧倒する光と気高さから、唯一神に仕えるもっとも高位の天使(そしてのちに地獄の闇に堕とされる堕天使の総帥)の名として与えられた。

金星 - Wikipedia


「金星」は、堕天使ルシフェル(ルシファー)を意味するとされています。

以前の記事で、星と十字の組み合わせは「反キリスト」を表しているのではないか、と考察しました。

そこで「358」という数字は、「反キリスト」の代表格である悪魔「ルシファー」を表している可能性があると推測しました。

「三五教(あなないきょう)」という宗教があります。

三五教(あなないきょう)は、神道系の新宗教文部科学大臣所轄包括宗教法人[2]大本の信者であった中野與之助によって1949年昭和24年)に創始された。その教義から宇宙教とも称される[3]。現在は静岡県掛川市横須賀字万神堂に本部事務所を置く[1]。三五教は自教団について「日本神道を基本とした教派神道の教団」と明示しており[4]神道教派ではあるが、戦後立教された新教派[5]である。

三五教 - Wikipedia


「三五教」は「大本(おおもと)」という宗教の信者であった中野與之助によって創始された、ということです。

1892年明治25年)2月3日、京都府綾部に住む貧しい初老の女性である出口なおに「うしとらのこんじん(艮の金神)」と名乗る憑依する。それは国祖国常立尊であった。大本では、この日をもって開教としている。

大本 - Wikipedia


「大本(おおもと)」の神とは、国常立尊(くにのとこたち)であり、「三五教」も「国常立大神」を祭神としています。

祭神
以下の八柱[22]を宇宙大御祖であるとする。
国常立大神
大国主大神
大道彦命
木花咲耶姫大神
天宇受売大神
猿田彦大神
天手力男大神
玉依姫大神

三五教 - Wikipedia


「三五教」の「35」で「国常立尊」が表されているとすると、「8」が「ヤ」で「神」を表し、「358」で「国常立尊」という「神」を表しているとも考えられます。

いずれにしろ、この「国常立尊」とは、悪魔「ルシファー」であることがRAPT理論によって解明されています。

この「ロスチャイルド」は「国常立尊=ルシファー」という神様(悪魔)を最高神として信じているのですが、この「国常立尊」は1985年に「JAL123便」を撃墜し、520人もの人々の命を奪い取っています。

島津家と毛利家が日本を支配していることの本当の意味。またはハロウィンが「国常立尊」を召


ここでもう一度、荒神谷遺跡に埋納された銅剣の数を載せておきます。

銅剣は4列に配列されており、1列目93本・2列目120本・3列目111本・4列目34本で合計358本、そのうち「X」が刻印されていたのが344本、刻印されていなかった数が14本で、銅鐸の数は6個、銅矛の数は16本でした。

ちなみに荒神谷遺跡近くの、神名火山と呼ばれる仏教山の標高は366mです。

この中で、数字による「メッセージ」が読み取れたものを挙げてみます。

93=9+3=12=1+2=
120=1+2+0=
111=1+1+1=
14=1+4=

加茂岩倉遺跡に埋納されていた銅鐸の数は39個で、そのうち14個に「X]の刻印あり、刻印なしが25個でした。

39=3+9=12=1+2=
14=1+4=

荒神谷遺跡で「X」の刻印のあった数は344で、加茂岩倉遺跡で「X」の刻印のなかった数は25でした。

344+25=3+4+4+2+5=18=6+6+6=666

荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡の「銅鐸」の数は、6個と39個でした。

6+39=6+3+9=18=6+6+6=666

このように導き出された数の、「」と「」を足すと「」となり、八芒星=金星=ルシファー=「国常立尊」が浮かび上がってきます。

さらに「666」の数字とは、聖書の『ヨハネの黙示録』に書かれている「獣の数字」であり、「反キリスト」を指し示していると言われています。

「大本(おおもと)」の神とは、国常立尊(くにのとこたち)であり、「三五教」も「国常立尊」を祭神としています。

「大本」の教祖の一人である「出口王仁三郎(でぐちおにさぶろう)」の名前の「三郎」を、アラビア数字で書くと「36」と表すことができます。

3×6=18=6+6+6=666となり、「666」という「獣の数字」で表される人間とは、「三郎」の名を冠せられた人物である可能性が考えられます。

この「三郎」の名の意味について、以前に書いた記事から引用します。(「三郎」の名についての私見は、こちらでも詳しく書いています。)



「サーヒブ・キラーン」とは、「世界征服」が予定された人物なのだということです。

「チンギス・ハーン」や「アレキサンダー大王」とはまさしく、「サーヒブ・キラーン(世界征服者)」の名に相応しいのではないでしょうか。

「えびす神」である「えびす三郎」とは誰なのか、ということから導き出された人物が「アレキサンダー大王」であったため、「三郎」や「アラブの血」にまつわる人物とは、「世界征服」の使命を持つ人物である可能性が出てきました。

そうなると「島津忠久」や「島津貴久」が「三郎」の別名を持っていたことから、「島津氏」とは「世界征服」を使命としている一族であると考えられるのです。



出口王仁三郎の『霊界物語』には、次のように書かれているそうです。

この霊界物語の第一巻、第二篇の「幽界より神界へ」の最後に、世を救う弥勒の神の標章(みしるし)は○に十字の神定めなるとあります。

弥勒の神の御紋章


弥勒(ミロク・666)の神の標章とは、○に十字だというのです。

弥勒の神の御紋章


「島津忠久」や「島津貴久」が「三郎(36)」の別名を持っていたことから、○に十字の「島津氏」の家紋が、弥勒(ミロク・666)の標章であることにも繋がってきます。

さらに○に十字は「金星」のマークでもあり、「ルシファー」とも繋がります。

それでは、荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡の銅剣と銅鐸に刻まれた「X」の印が意味することとは何でしょうか。

現代にも民間習俗として残っている「あやつこ」が、この「X」の意義を引き継いでいると考えます。

あやつこ(綾子[5])
子供の「お宮参り」の時に、鍋墨(なべずみ)や紅などで、額に「×」、「犬」と書くことをいう。悪魔よけの印で、イヌの子は良く育つということに由来するとされ、全国的にでは無いが、地方によって行われる所がある。

古文献によると、この「あやつこ(綾子)」は紅で書いたとされるが、紅は都の上流階級でのみ使われたことから、一般の庶民は「すみ」、それも「なべずみ」で書くのが決まりであったという。この「なべずみ」を額に付けることは、家の神としての荒神(こうじん)の庇護を受けていることの印であった。東北地方で、この印を書くことを「やすこ」を書くと言う。宮参りのみでなく、神事に参列する稚児(ちご)が同様の印を付ける例がある。

「あやつこ(綾子)」を付けたものは、神の保護を受けたものであることを明示し、それに触れることを禁じたのであった。のちには子供の事故防止のおまじないとして汎用されている。柳田國男の『阿也都古考』によると、奈良時代の宮女には「あやつこ(綾子)」の影響を受けたと思われる化粧の絵も認められ、また物品にもこの印を付けることもされていたらしい。

荒神 - Wikipedia


上記で注目すべき点は「あやつこ」を、”神事に参列する稚児(ちご)が同様の印を付ける例がある。”という点です。

「あやつこ」とは、神に捧げられるものの「しるし」として付けられたのではないか、と考えられるのです。

なぜなら「祇園祭」が、幼子たちを悪魔に生贄として捧げる「悪魔崇拝儀式」であったことが、RAPT理論によって解明されているからです。


京都の「祇園祭」はもともと牛頭神バアルに幼子を生贄として捧げる悪魔崇拝儀式でした。


そのため、「あやつこ」と同じ「X」の印と「荒神」というキーワードを持つ「荒神谷遺跡」に埋納された銅剣に刻まれた「X」の印とは、「荒神」にささげられる物、を意味していると考えられるのです。

荒神谷遺跡は、近くに「荒神社」があったことによりその名がつけられた、ということです。

荒神社
この神社は1984年(昭和59)、358本という大量の銅剣が出土し、出雲地方の勢力を物語る重要な遺跡として注目された、荒神谷遺跡の北に鎮座しています。荒神谷遺跡の名も、元々はこの神社があったことから命名されたそうです。

荒神社

「荒神」とはどのような「神」でしょうか。

荒神 読み方
先に「荒神」をどう読むかですが、斎の木に藁蛇を巻く荒神は、一般的には「こうじん」と呼ばれます。

祭祀の形態による分類
藁で蛇を作って神木に巻きつけるのが一番多いですが、必ずしも藁蛇がない荒神も多く多種多様です。

荒神の祭神はだれか
山陰の宮司さんに聞けば、「スサノオの命」と答えることが多いと思います。

荒神(こうじん)とは? - 古代出雲への道


荒神祭では神木に藁蛇(わらへび)を巻きつける祭祀があり、祭神は「スサノオ(牛頭天王)」だと言われています。

このことから、「荒神」とは「蛇」と「牛」にまつわる神であることが分かります。

「蛇」とは悪魔とかサタンと呼ばれるものであり、悪魔の中の「バアル」は「牛頭神」とも言われているため、「荒神」とは「バアル」のことなのではないでしょうか。

さて、天で戦いが起こった。ミカエルとその使いたちが、竜に戦いを挑んだのである。竜とその使いたちも応戦したが、勝てなかった。そして、もはや天には彼らの居場所がなくなった。この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。地上に投げ落とされたのである。その使いたちも、もろともに投げ落とされた。

新約聖書 ヨハネの黙示録 12.7-9 新共同訳


荒神谷遺跡に埋納された「銅剣・銅鐸・銅矛」は、弥生時代の祭祀用具として知られており、これらは、山の斜面などの地中に意図的に埋納された状態で見つかっています。

このことは「荒神」が「蛇」であることに起因しているのではないか、と考えられます。

「蛇」は「土の中」で冬眠します。そのため「銅鐸」が「蛇」に見立てられていると考えると、「銅鐸」が地中に意図的に埋納されていることとも矛盾はありません。

また、加茂岩倉遺跡で発掘された「銅鐸」は、入れ子状態で出土していることが特徴となっています。

銅鐸のうち、12組は中型鐸の中に小型鐸が納められた入れ子状態で出土し、残りの3組も入れ子だったと推定される[1]。銅鐸がこのような入れ子状態で出土した例は極めて少なく、内部は中空であった可能性も考えられているが、CTスキャンによる内部調査に拠れば、埋納坑埋内と内部を塞いでいる土砂が異なることが指摘されている。表面からはが検出され、線刻で文様が表現され、袈裟襷文銅鐸が30口、流水文銅鐸が9口ある。絵画の描かれた銅鐸は7口あり、シカカメウミガメ)、トンボや四足獣などの動物が描かれている[1]

加茂岩倉遺跡 - Wikipedia


「蛇」に見立てられた「銅鐸」が、「入れ子状態」で埋納されたことは、蛇の「脱皮」を意味しているのではないか、と考えます。

「蛇」は成長にともない「脱皮」します。「蛇」に見立てられた「銅鐸」も時代が降るにつれて巨大化し、「成長」しているのです。

大きさは12センチから1メートルを越すものまである。1世紀頃には高さが60センチに達し、その後さらに大型化が進み、2世紀には1メートルを超え、最終的には134センチに達する。しかし、その直後鋳造が止んでいる。現存する最大のものは、滋賀県野洲市野洲町大岩山1881年出土1号銅鐸で、高さ144センチ、重量45キログラムに達する。

銅鐸 - Wikipedia

「銅鐸」の大きさは、約12cmから1m44cmまであり、さながら小蛇から大蛇への成長を模しているようです。

初期の頃の「銅鐸」は、確かに音を鳴らして使用されていた形跡が見つかっており、「銅鐸」が「蛇」に見立てられていたことと、「銅鐸」の「音」を鳴らす機能とは不可分であったのではないか考えられます。

 先に、第一章「蛇の生態」において、高田先生の御説として、蛇は怒るとき、その尾を振動させ、その音は、その時、その尾の触れるもの次第で別様の音を出す、と記した。
 草に触れるとき、土に触れるとき、砂を打つとき、石にぶつかるとき、その音響は微妙な差を生じ、それはたとえささやかではあっても耳の聡い縄文・弥生の蛇巫たちは神の声としてその音を聴き分けることができ、神意を知ることが可能だった。
 しかし、時代が降るにつれ、後代の巫たちは耳も昔ほど聡くはなくなった。一方、鉄・青銅の鋳造の進歩ということもあって、蛇の尾を造型し、これに「舌」をつけて音を出すことを考え、これをもって神意を聴く手段とした。

『蛇』日本の蛇信仰 吉野裕子  講談社学術文庫 266頁~267頁


「銅鐸」の「音」が、「蛇」の尾の振動による「音」に見立てられていた、という説があるのです。

すると「蛇」が尾を振動させ音を出し、土の中で冬眠し、脱皮して成長し、やがて大蛇となることと、「銅鐸」の様態とがぴたりと重なってくるのです。

これと同様に、「銅剣」や「銅矛」も「蛇」に見立てられていたと考えられます。

そのため、荒神谷遺跡に埋納されていた青銅器群は、「荒神」にささげられた物であり、「荒神」に属する物の印として「X」が刻まれたとともに、悪魔に属するものとは「反キリスト」であり、「X」の刻印は「反キリスト」をも標章していると考えられるのです。

それでは、荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡に埋納された青銅器の「数」に込められた「暗号」の意味とは何でしょうか。

これらの遺跡の近くにある「神原神社古墳」では、邪馬台国の卑弥呼の鏡とも言われている「景初三年」の「三角縁神獣鏡」が出土しています。

邪馬台国の卑弥呼の鏡とも言われている三角縁神獣鏡はこれまでに全国各地の古墳から500枚以上が出土している。
言うまでもなく、景初三年とは卑弥呼が中国の「魏」に使者を朝貢した西暦239年であり、翌年の帰国時に銅鏡100面を贈られたということは「魏史倭人伝」にも記載されているあまりにも有名な話である。
しかしながら「景初三年銘」の銅鏡は国内では大阪府の和泉黄金塚古墳と神原神社古墳から出土されたわずか2面しかない。
このため、神原神社古墳から出土した「三角縁神獣鏡」は卑弥呼が魏から下賜された銅鏡の中の1枚ではないかと一躍全国的な注目を集めることとなった。
尚、神原神社古墳から出土した「三角縁神獣鏡」には「景初三年」という魏の年号が刻まれていることから、紛れもなく卑弥呼に下賜された銅鏡の中の1枚であるという説もあれば、これを否定する説もあり、今のところ結論は出てなく諸説がある

邪馬台国の「卑弥呼の鏡!?」「景初三年銘」の『三角縁神獣鏡


弥生時代に隆盛した「銅剣・銅鐸・銅矛」祭祀は終焉を迎え、弥生時代終末期には新たに巨大前方後円墳の造営と「銅鏡」祭祀が始まったと考えられます。

このように弥生人の「祭祀」が一新されたこととは、弥生人の「祭神」が交替したということの表れなのだと考えられます。

荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡は島根県出雲地方にあり、「出雲」と言えば、日本神話の「国譲り」が思い起こされます。

以前の記事で、日本神話の国譲りとは、悪魔「バアル」から「ルシファー」への支配権交代のことだったのか、と考察しました。

日本書紀には、大日孁貴(天照大神)と月弓尊(月読尊)が「白銅鏡」から生まれ出た、と書かれています。

第五段の一書(一)では、伊弉諾尊が、左手で白銅鏡(ますみのかがみ)を持ったときに大日孁貴が成り出で、右手で白銅鏡を持ったときに月弓尊が成り出で、また首を回して振り返ったときに素戔嗚尊が成り出でたとある。

神産み - Wikipedia


上記のように「銅鏡」に日神と月神が、重ね合わされています。

王権の象徴である「メー」。太陽と月が一つになった「金星神=光明神」のシンボルである「円環」は、王冠として被ったり、光輝として身に纏ったり、玉座(=宝珠)として座ることができる。

メー - Wikipedia

古代メソポタミアのシュメール神話では、太陽と月が一つになった「金星神=光明神」である「メー」が、王権の象徴とされていました。

出雲の「太陽神」と新たに登場したと考えられる「月神」が一つとなることにより、「金星神(ルシファー)=国常立尊」信仰が誕生した可能性が考えられます。

弥生時代の日本に一団となって渡来した一族とは、「秦氏」であるのではないでしょうか。

その「秦氏」と「出雲族」が合わさることで「八芒星」と「国常立尊」が表されることは、既にRAPT理論によって解明されています。

■五芒星 = 秦氏
■六芒星 = 出雲族
■八芒星 = 秦氏+出雲族 = 国常立尊

「ムー大陸」の王家は「八芒星」を自らの紋章として使っていたらしいので、ムー大陸でも「国常立尊」が拝まれていたということになりますね。

カタカムナこそルシファー信仰の源流である。


「荒神」とは、悪魔「バアル」であると考えられ、荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡に埋納された青銅器に付された「X」の刻印と、その数に秘められた「暗号」から導き出されたのは、「反キリスト」である「獣」の数字「666」と、悪魔「ルシファー」の名でした。

これらのことによって、荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡に埋納された青銅器に付された「X」の刻印とその「数」には、「バアル」による日本の国の支配の終焉と、「ルシファー」による新たな支配の始まりが、強力な「メッセージ」として伝えられていたのではないか、と考えられるのです。

この「ルシファー」が第一線を退いたことを、RAPTさんが伝えてくださっています。


ルシファーが第一線を退いた経緯と、カルト宗教の恐怖について。


しかしながら「ルシファー」が今でも私たち人間に影響力を持っていることも、RAPTさんは教えてくださっています。



サタンの頭・ルシファーに勝利できる実力を身につけてこそ、自分も他人も救い、主の御心を大きく成していくことができる。


私たち信仰者にとっての敵はサタンであり、その中でも最大の敵はサタンの頭であるルシファーです。

今でこそルシファーは力を失い、第一線を退きましたが、それでも彼は今でも確固として存在し、下っ端のサタンたちに様々な悪知恵を与え、様々な悪らつな指示を出しています。

ですから、私たちにルシファーに勝利できるだけの霊肉の実力がなければ、いずれ私たちは彼の前で敗北し、救いを失い、場合によっては永遠に彼の支配下で生きることを余儀なくされます。

前回の有料記事でもお話しました通り、私たちはサタンに勝利できなければ、この世でもあの世でも真に幸福に生きることはできません。

サタンの頭・ルシファーに勝利できる実力を身につけてこそ、自分も他人も救い、主の御心を大きく成していくことができる。


悪魔に打ち勝ち、自分の心身を守る方法。祈って聖霊を受けることが、悪魔を滅ぼす最大の鍵です。


悪魔(サタン)が存在しているのであれば、神様(キリスト教の)も真に存在していらっしゃいます。

神様は、人類のことを本当に心から愛してくださっています。


神様の世界は愛で始まり、愛で終わる。


神様は私たちの想像する以上に私たちを愛して、共にして下さっている。あなたたちはその愛を強く感じて、その愛の素晴らしさを人々に述べ伝える大使徒となりなさい。


愛の根源は主だけであり、主の愛を受けた者しか真実の愛を知ることができない。


神様があなたを心から愛しているのに、あなたに対して神様の愛を疑わせるようなことをするだろうか。もしあなたが神様の愛を疑うようなことがあれば、サタンがあなたと神様との愛の関係に横やりを入れているのだ。


サタンが奪えるのは「6」までだから、「7」まで条件を立てて「7」の祝福を受けなさい。そうすれば「1」は必ず残り、あなたは絶大な恵みに満たされる。


どうか一人でも多くの方が、RAPTさんの伝えてくださる御言葉を心から受け入れ、神様の存在を心から信じ、神様の人類への深い愛を心から悟り、神様の御言葉に心から聞き従い、神様のことを心から愛することができますように、そして最後までサタンに打ち勝ち、永遠の幸福を得ることができますように、心からお祈りしています。

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