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神様のことを知るために。 ~創世記(イサクの燔祭)~

燔祭(はんさい)とは、生贄の動物を祭壇で焼き、神様にささげる儀式のことです。

アブラハム、イサクをささげる
 
これらのことの後で、神はアブラハムを試された。
 神が、「アブラハムよ」と呼びかけ、彼が、「はい」と答えると、神は命じられた。
 「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」
 次の朝早く、アブラハムはろばに鞍を置き、献げ物に用いる薪を割り、二人の若者と息子イサクを連れ、神の命じられた所に向かって行った。

旧約聖書 創世記 22.1-3 新共同訳


神様はアブラハムに、愛する独り子イサクを、焼き尽くす献げ物としてささげなさいと命じられました。

アブラハムは、イサクの燔祭を命じられたすぐ翌朝、イサクを連れてモリヤの地に向かいました。

アブラハムの神様への、驚くべき信仰の強さが感じられます。

 三日目になって、アブラハムが目を凝らすと、遠くにその場所が見えたので、アブラハムは若者に言った。
 「お前たちは、ろばと一緒にここで待っていなさい。わたしと息子はあそこへ行って、礼拝をして、また戻ってくる。」
 アブラハムは、焼き尽くす献げ物に用いる薪を取って、息子イサクに背負わせ、自分は火と刃物を手に持った。二人は一緒に歩いて行った。
 イサクは父アブラハムに、「わたしのお父さん」と呼びかけた。彼が、「ここにいる。わたしの子よ」と答えると、イサクは言った。
 「火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか。」
 アブラハムは答えた。
 「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。」二人は一緒に歩いて行った。
 神が命じられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。
 そのとき、天から主の御使いが、「アブラハム、アブラハム」と呼びかけた。彼が、「はい」と答えると、御使いは言った。
 「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」

旧約聖書 創世記 22.4-12 新共同訳


アブラハムとイサクは、燔祭の場所まで一緒に歩いて行きます。

そこでイサクは、アブラハムに尋ねます。

『火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか。』

アブラハムは答えました。

『わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。』

二人はまた、一緒に歩いて行きました。

イサクは、これから自分の身の上に起こる出来事を理解していたと考えられます。

そしてイサクは自分に与えられたその運命を、強い信仰によって受け入れたのではないかと思います。

ここにアブラハムとイサクの、親子として信仰者としての強い信頼と絆が感じられます。

アブラハムは実際に刃物を取り、イサクを祭壇の上で屠ろうとしました。

そこへ天の御使いが、アブラハムを止めに入りました。

『その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。』

アブラハムは神様を畏れ、愛する独り子すら神様にささげることを惜しまず、神様の御声に従順に聞き従ったので、神様が与えられたアブラハムの信仰心を試すという試験に、合格したのです。


 アブラハムは目を凝らして見回した。すると、後ろの木の茂みに一匹の雄羊が角をとられていた。アブラハムは行ってその雄羊を捕まえ、息子の代わりに焼き尽くす献げ物としてささげた。
 アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。そこで、人々は今日でも「主の山に、備えあり(イエラエ)」と言っている。
 主の御使いは、再び天からアブラハムに呼びかけた。御使いは言った。 「わたしは自らにかけて誓う、と主は言われる。あなたがこの事を行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」
 アブラハムは若者のいるところへ戻り、共にベエル・シェバへ向かった。アブラハムはベエル・シェバに住んだ。

旧約聖書 創世記 22.13-19 新共同訳


アブラハムが神様へ祈ったことは、聖書には書かれていません。

しかし、義人による神様への祈りは全て叶えられる、とRAPTさんは教えてくださっています。


神様と一体になった人は、どんな祈りも叶えられる。

あなたが世界的な祈りを捧げてこそ、世界中の人々に祝福が与えられる。


アブラハムが神様へ祈ったこととは、アブラハムの子孫の繁栄、敵への勝利、地上のすべての民族への祝福、だったのではないでしょうか。


『わたしは自らにかけて誓う、と主は言われる。あなたがこの事を行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。』


私たち義人が祈った通りにこの世の運命が決まる。だから、努力も時間も惜しむことなく絶えず祈り求めなさい。


地上天国は義人たちの真心からの祈りがあってこそ実現する。


真理を知って実践する者の祈りは必ず叶えられる。


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