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神様のことを知るために。 ~出エジプト記(モーセの海割り)~

エジプトの王ファラオとその家臣は、イスラエルの人々を労役から解放して、エジプトの地を去らせてしまったことを後悔しました。

ファラオはエジプトの戦車と兵を総動員し、イスラエルの人々の後を追いました。

エジプト軍はイスラエルの人々に追いつき、イスラエルの人々の背後に襲いかかろうとしました。

この時、イスラエルの人々は葦の海の海辺に宿営しており、海とエジプト軍に挟まれるという状況になってしまいました。

イスラエルの人々は非常に恐れ、神様に向かって叫び、エジプトから救い出してくれたモーセに対して、荒れ野で死ぬよりエジプト人に仕える方がましだ、などと不平を言いました。


 主はモーセに言われた。「なぜ、わたしに向かって叫ぶのか。イスラエルの人々に命じて出発させなさい。杖を高く上げ、手を海に向かって差し伸べて、海を二つに分けなさい。そうすれば、イスラエルの民は海の中の乾いた所を通ることができる。しかし、わたしはエジプト人の心をかたくなにするから、彼らはお前たちの後を追って来る。そのとき、わたしはファラオとその全軍、戦車と騎兵を破って栄光を現す。わたしがファラオとその戦車、騎兵を破って栄光を現すとき、エジプト人は、わたしが主であることを知るようになる。」

旧約聖書 出エジプト記 14.15-18 新共同訳


神様は、モーセに『杖を高く上げ、手を海に向かって差し伸べて、海を二つに分けなさい。そうすれば、イスラエルの民は海の中の乾いた所を通ることができる。』と仰いました。

モーセが手を海に向かって差し伸べると、主は夜もすがら激しい東風をもって海を押し返されたので、海は乾いた地に変わり、水は分かれた。イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んで行き、水は彼らの右と左に壁のようになった。エジプト軍は彼らを追い、ファラオの馬、戦車、騎兵がことごとく彼らに従って海の中に入って来た。朝の見張りのころ、主は火と雲の柱からエジプト軍を見下ろし、エジプト軍をかき乱された。戦車の車輪をはずし、進みにくくされた。エジプト人は言った。「イスラエルの前から退却しよう。主が彼らのためにエジプトと戦っておられる。」

旧約聖書 出エジプト記 14.21-25 新共同訳


モーセが手を海に向かって差し伸べると、神様が夜通し激しい東風を吹かせてくださり海を押し返されたので、水が分かれ、海は乾いた地へと変わりました。

イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進むことができ、海の水は彼らの右と左に壁のようになりました。

神様は風を司られ、海をも分ける驚くべき御業を行われ、イスラエルの人々を守り導かれました。

神様の大いなる権威と、イスラエルの人々への強い愛が伝わってきます。

神様の御力によってエジプト軍がかき乱され、進みにくくなったことを悟ったエジプト人は、「イスラエルの前から退却しよう。主が彼らのためにエジプトと戦っておられる。」と言いました。


 主はモーセに言われた。「海に向かって手を差し伸べなさい。水がエジプト軍の上に、戦車、騎兵の上に流れ返るであろう。」モーセが手を海に向かって差し伸べると、夜が明ける前に海は元の場所へ流れ返った。エジプト軍は水の流れに逆らって逃げたが、主は彼らを海の中に投げ込まれた。水は元に戻り、戦車と騎兵、彼らの後を追って海に入ったファラオの全軍を覆い、一人も残らなかった。イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んだが、そのとき、水は彼らの右と左に壁となった。主はこうして、その日、イスラエルをエジプト軍の手から救われた。イスラエルはエジプト人が海辺で死んでいるのを見た。イスラエルは、主がエジプト人に行われた大いなる御業を見た。民は主を畏れ、主とその僕モーセを信じた。

旧約聖書 出エジプト記 14.26-31 新共同訳


エジプト軍はイスラエルの人々を追って、乾いた海の中をことごとく進んで来ていました。

神様は、モーセに「海に向かって手を差し伸べなさい。水がエジプト軍の上に、戦車、騎兵の上に流れ返るであろう。」と言われました。

モーセが手を海に向かって差し伸べると、そのようになりました。

イスラエルの人々は乾いた海の中を進むことができ、エジプト軍は流れ返る水から逃れようとしたものの、神様に海の中に投げ込まれて終い、一人も残ることはありませんでした。

神様はこうして、イスラエルをエジプト軍の手から救われました。

ここに神様から愛される人々の運命と、愛されない人々との運命の違いが、はっきりと示されています。

このように神様の驚くべき御業を目の当たりにし、壮絶な体験をすることがなければ、人々は神様とモーセのことを完全に信じることができなかったのだ、ということが分かります。


人間の人生を一言で言い表すなら、神様に従順に生きるなら幸福になり、神様に不従順に生きるなら不幸になる、ただそれだけだ。


誰を愛するかで、返ってくるものが違ってくる。どうせ愛するなら、全てを何万倍、何億倍にもして返してくださる神様を愛しなさい。


自分の生きたいように生きても、神様が祝福して下さらないので、疲労と虚無感が募るばかりだ。しかし、神様の願うことを行って生きるなら、神様が祝福して下さり、幸福に生きられる。


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