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神様のことを知るために。 ~出エジプト記(戒めの再授与)~

イスラエルの人々は神様から与えられた「十戒」に背き、金の子牛像を造り偶像崇拝の罪を犯したため、神様との契約は一旦破棄されてしまいました。

モーセは彼らに、「イスラエルの神、主がこう言われる。『おのおの、剣を帯び、宿営を入口から入口まで行き巡って、おのおの自分の兄弟、友、隣人を殺せ』」と命じた。レビの子らは、モーセの命じたとおりに行った。その日、民のうちで倒れた者はおよそ三千人であった。(出エジプト記 32.27-28 新共同訳)

イスラエルの人々のうち、金の子牛像を崇め神様との約束を破ってしまったおよそ三千人が、打たれて殺されました。

モーセは主のもとに戻って言った。「ああ、この民は大きな罪を犯し、金の神を造りました。今、もしもあなたが彼らの罪をお赦しくださるのであれば……。もし、それがかなわなければ、どうかこのわたしをあなたが書き記された書の中から消し去ってください。」(出エジプト記 32.31-32 新共同訳)

モーセが神様に祈り求めたこととは、自らの救いよりもイスラエルの人々の罪が赦されることでした。

モーセという人が、私利私欲の全くない、愛の思考回路の持ち主であるということが分かります。


主の思考回路は、愛の思考回路であり、そこに自分中心の考えは一ミリたりともない。そして、主と同じ思考回路を持てるように自分自身を作りなさい。


 主はモーセに言われた。「前と同じ石の板を二枚切りなさい。わたしは、あなたが砕いた、前の板に書かれていた言葉を、その板に記そう。明日の朝までにそれを用意し、朝、シナイ山に登り、山の頂でわたしの前に立ちなさい。だれもあなたと一緒に登ってはならない。山のどこにも人の姿があってはならず、山のふもとで羊や牛の放牧もしてはならない。」 

旧約聖書 出エジプト記 34.1-3 新共同訳


神様は、モーセが怒って叩き割った石板を再び授けてくださると仰ってくださいました。

神様の、人類への深い愛が感じられます。

 モーセは前と同じ石の板を二枚切り、朝早く起きて、主が命じられたとおりシナイ山に登った。手には二枚の石の板を携えていた。主は雲のうちにあって降り、モーセと共にそこに立ち、主の御名を宣言された。主は彼の前を通り過ぎて宣言された。「主、主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、幾千代にも及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを赦す。しかし罰すべき者を罰せずにはおかず、父祖の罪を、子、孫に三代、四代までも問う者。」
 モーセは急いで地にひざまずき、ひれ伏して、言った。「主よ、もし御好意を示してくださいますならば、主よ、わたしたちの中にあって進んでください。確かにかたくなな民ですが、わたしたちの罪と過ちを赦し、わたしたちをあなたの嗣業として受け入れてください。」

旧約聖書 出エジプト記 34.4-9 新共同訳


神様は、『憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、幾千代にも及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを赦す。しかし罰すべき者を罰せずにはおかず、父祖の罪を、子、孫に三代、四代までも問う者』でいらっしゃるのだということを、胸に深く刻んで歩んでいきたいと思います。


 主は言われた。「見よ、わたしは契約を結ぶ。わたしはあなたの民すべての前で驚くべき業を行う。それは全地のいかなる民にもいまだかつてなされたことのない業である。あなたと共にいるこの民は皆、主の業を見るであろう。わたしがあなたと共にあって行うことは恐るべきものである。わたしが、今日命じることを守りなさい。」

旧約聖書 出エジプト記34.10-11 新共同訳


神様はモーセに、再び十の戒めが記された石板を授けられ、またイスラエルと契約を結ばれました。

神様は本当に、憐れみ深く、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、罪と背きと過ちを赦してくださる、愛と真理に満ち溢れた方でいらっしゃるのです。


神様は厳しい掟に従わせるために私たちを呼んだのではなく、私たちの願いを叶えるために私たちを呼んで下さったのだ。


世の人々は経済を第一にして生きるが、結局、経済的にも不足して生きている。しかし、神様を第一にして生きる者は、経済的にも不足することなく、むしろ霊肉ともに豊かに満たされて生きられる。



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