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アダムとエバの歴史を破壊したのは、麻生太郎に繋がる「フルリ人」だったのか。

今回は、超古代文明から考えていきたいと思います。

大陸に住んでいた人口はおよそ6,000万人強、首都ヒラニプラにある王宮には太陽神の化身である帝王ラ・ムーが君臨し、政治や行政、宗教に至るまでのすべてを統治し、全文明を支配できるほどの高度な学問と文化、建築、航海の術を持っており白人が支配者である超古代文明が繁栄していた。しかしそれが神の怒りを買い、約1万2,000年前に巨大地震が発生して大陸中の火山が噴火し、さらに大津波が押し寄せて、ムー大陸は一夜にして海底に沈没した、と主張した。

ムー大陸 - Wikipedia


ムー大陸とは12000年以上前に存在し、高度な文明が発達していた太陽信仰の国で、王位継承者は、「ラ」という太陽の称号を冠されるとのことです。

 王位継承者は、何世代も前から国民によって選び出され、選ばれた者は名前に“ラ”  すなわち太陽の称号を冠される。この王位継承者は宗教上も最高の司祭、法王となる資格を持っている。そしてやがて”ラ・ムー”となり政治的宗教的に最高の位置に立つこととなる。

ジェームズ・チャーチワード著『失われたムー大陸』大陸書房 1986 45頁


古代エジプトもムー大陸と同じく太陽を神とし、王であるファラオは神々の子孫とされ、ラー(太陽)の息子と考えられていました。

ラー(Ra)、あるいはレー(Re)は、エジプト神話における太陽神である。
語源はエジプト語でそのまま、「Ra」(太陽)。ヘリオポリス九柱神の一柱。
ファラオは、神々の子孫とされ、「ラーの息子」と捉えられた。

ラー - Wikipedia


さらに日本の琉球でも、「ティダ」という太陽神が最高神として崇められ、琉球王国の国王も、「太陽神」だと言われていたのです。

琉球神道の最高神は「ティダ」という神様で、神社神道の「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」と同様に太陽を司る神様です。

琉球神道とは?沖縄の信仰と神様をわかりやすく解説! 

テダ御川の「テダ」とは、沖縄の方言で「太陽」を意味します。かつて沖縄が「琉球」と呼ばれていた時代、国の最高権力者である国王は琉球の最高神である「太陽神」であるといわれていました。

テダ御川は沖縄の太陽神が降り立った聖地の海岸


これらのことから、古代エジプトと琉球王国とは、ムー大陸の宗教概念を受け継いだ人々が建国したのではないか、と考えられます。

太陽崇拝とは悪魔崇拝であることも、RAPT理論によって解明されています。

古代エジプトの太陽信仰=悪魔崇拝が、現在の日本の天皇家へと流れ着き、天皇家を最大級の財閥にするまで。


ムー大陸は今から約12000年前に海に沈んだと言われており、生き残った人々が世界各地に移住したと想定されます。

沖縄県の与那国海底遺跡とは、ムー大陸などの超古代文明の実在性を感じられる遺跡の一つではないでしょうか。

与那国海底遺跡
出典:https://blog.goo.ne.jp/raiun/e/5fcff11b5cb1f756eb8ed2b88fd3a968


有史以前の古代文明についても、RAPT理論によって解明されています。


悪魔崇拝者たちが日本中心のNWO計画にこだわる理由。日本こそが世界最古の悪魔崇拝の聖地だったのでしょう。


有史以前に高度な文明があったのは確かな事実です。しかし、悪魔崇拝者たちがその調査をずっと妨害してきました。


超古代文明と呼ばれる文明が存在していたことを考えると、旧約聖書に書かれている「アダムとエバ」以前にも人類が存在していたことが分かります。

このことについても、RAPTさんが詳しく教えてくださっています。


VOL.31 アダムとエバが人類最初の祖先ではないと言える具体的根拠。


聖書に書かれているアダムとエバは神様によって創造され、今から約6000年前にエデンの園に住んでいました。

それではエデンの園とは、何処にあったのでしょうか。

 エデンから一つの川が流れ出ていた。園を潤し、そこで分かれて、四つの川となっていた。第一の川の名はピションで、金を産出するハビラ地方全域を巡っていた。その金は良質であり、そこではまた、琥珀の類やラピス・ラズリも産出した。第二の川の名はギホンで、クシュ地方全域を巡っていた。第三の川の名はチグリスで、アシュルの東の方を流れており、第四の川はユーフラテスであった。

旧約聖書 創世記 2.10-14 新共同訳


「エデンの園」とは神様が人類のために、見た目にも食べるにも良いものをもたらすあらゆる木を生え出でさせられた所です。

チグリス,ユーフラテス両河は現在,メソポタミア平野の北の山地に源を発しています。意見の相異はありますが,それでも多数の学者はその地域,つまりトルコ東部のワン湖の数キロ南の地をエデンの園のあった場所としています。

エデンの園はどこにあったか


トルコ東部のヴァン湖(ワン湖)の南の地に、「エデンの園」があったと考えられています。

ヴァン湖 - Wikipedia


「エデンの園」があったとされている所は、本当に美しく、写真を眺めるだけでも幸福感に包まれます。

神様は、このように美しい景観の土地と、見た目も良く食べても美味しい実のなるあらゆる木を豊かに生え出でさせ、人類に与えてくださいました。

このことだけでも神様が人類のことを、「愛」で創造してくださったことが分かります。

主が天地万物を創造した目的はただ一つ。私たち人間と愛を成すためだ。


神様の世界は愛で始まり、愛で終わる。


神様は私たちの想像する以上に私たちを愛して、共にして下さっている。あなたたちはその愛を強く感じて、その愛の素晴らしさを人々に述べ伝える大使徒となりなさい。


しかしながらアダムとエバは、神様から「取って食べてはいけない」と命じられていた木の実を食べてしまい、「エデンの園」を追放されてしまいます。

失楽園』(しつらくえん、英語: Paradise Lost)とは、旧約聖書創世記』第3章の挿話である。に唆されたアダムとイヴが、の禁を破って「善悪の知識の木」の実である「禁断の果実」を食べ、最終的にエデンの園を追放されるというもの。

失楽園 - Wikipedia


「エデンの園」が、トルコ東部のヴァン湖(ワン湖)の南の地にあったと考えられていることに加えて、トルコ周辺とは考古学的に見ても重要な地域になっています。

トルコのカマン・カレホユック遺跡では、世界最古の製鉄遺物が発見されています。

2009年にカマン・カレホユック遺跡で、紀元前2100年~紀元前1950年ごろのものと考えられる鉄器が発見されました。この発見により今まで見つかっていた最古の鉄器の歴史を塗り替えることになり、驚きのニュースが世界中を駆け巡りました。

そして2017年には、紀元前2500年~紀元前2250年の層から、直径約3㎝の世界最古の鉄カス(製鉄の際に生み出されるもの)が発見されたのです。鉄はヒッタイト以前の層から出土しましたが、鉄鉱石を人工的に加熱したと推測されています。

また、この鉄カスを分析すると、カマン周辺で産出される鉄鉱石の成分ではなかったため、別の場所から持ち込まれた可能性が高いことが分かりました。しかし、鉄が生みだされた経緯は解明されておらず、解明されれば世界史の通説に一石を投じるでしょう。

カマン・カレホユック遺跡とは?製鉄の歴史が塗り替えられた場所


さらにトルコで見つかっている、ギョベクリテペ遺跡は約1万2,000年前の遺跡だということです。

そのため「アダムとエバ」の時代である約6000年前のトルコ地方とは、様々な先進的技術が発展していたのかも知れません。

下の地図は、アダムとエバの時代よりもずっと新しい年代の物になりますが、トルコの「ヴァン湖の南」周辺の地図になります。

紀元前1490年頃、バラッタルナの 統治下で最大規模に達したミタンニ王国
Mitanni - Wikipedia


「ヴァン湖の南」周辺には、フルリ人が建国したと考えられる「ミタンニ王国」がありました。

フルリ人は、少なくとも紀元前3千年紀後半には上の地図の地域に住んでいたことが分かっています。

フルリ人は紀元前3千年紀後半にはこの地域に住んでいた。[ 5 ]フルリ人の名を持つウルケシュ王トゥプキシュの名が、テル・モザンで紀元前2300年頃の粘土の印章から発見されている。

Mitanni - Wikipedia


この「フルリ人」とは、インド・ヨーロッパ語族であるようです。

フルリ人
西南アジアのカフカス山脈の南麓(なんろく)地方を原住地とする山岳民族。紀元前3000年ごろから原住地を離れ、北メソポタミアに移動を始めた。前18世紀ごろになると、インド・ヨーロッパ語族をその支配者とする王国を各地に建設した。アナトリア地方に侵入した一派はヒッタイト帝国、ユーフラテス川中流域ではミタンニ王国、バビロニアにはカッシート王朝が建てられ、各国の王名や神名からもインド・ヨーロッパ語族の影響がわかる。前17世紀ごろ下エジプトのデルタ地帯を支配したヒクソスとよばれる異民族の侵入も、フルリ人の大移動と深い関係があると考えられている。しかし、フルリ人だけの王国は建設されなかった。
[吉村作治]

日本大百科全書(ニッポニカ) 「フルリ人」の意味・わかりやすい解説


さらに、フルリ人とは「スバル人」であるとのことです。

紀元前2000年頃のアッカドの粘土板に書かれたスバルトゥに関する記載のなかでフルリ huluri の字義についてはセム語のなかに huluri に音声の近似した pillurtu という「交差」を表す用語があり、シュメル語「十字」のアッカド語読みと考えると、フルリ人がスバル人であることが納得できる。

  Pillurtu の語幹と係わる動詞形(交差する)は eberu で、シュメル語の bal の同祖語であり、その字義には「追い越す、更に延ばす」の内容を含む。だが、フルリが彼等の集団の特性を表しているとするならば、アッカド語の huru(掘る) 、haru(掘り出す)、 haruru(掘る)に関連しよう。その字義はすべて山を表すシュメル語の hur にも係わると思われるが、フルリ人とは金属鉱山で金属を掘り出す鉱夫を想起させるのである。

第四章 カルト人の移動 – 小嶋秋彦の古代史研究サイト


そのスバル人とは、「ケルト人」でもあるようです。

 紀元前2000年を過ぎた頃、私的組織が外国貿易に忙しく従事していたことが記録に報告されている。古アッシリアの王権に支配された商人達がアナトリアへ進出できたのは彼等がアッシリアの王権下に入ったスバル人の一部であったからと考えられるのであり、スバル人の商業的ネットワークに便乗したのである。その頃には、スバル人であるケルト人はアナトリアの西端エーゲ海沿岸まで到達していただろうと思われる。

第四章 カルト人の移動 – 小嶋秋彦の古代史研究サイト


紀元前2000年を過ぎた頃、スバル人であるケルト人は、アナトリアの西端エーゲ海沿岸まで到達していただろうとのことから、これらの人々はフェニキア人と共に「タルシシュ船」等に乗り込み、古代日本まで渡来していた可能性が考えられます。

「エデンの園」があったトルコのヴァン湖の南の地周辺にいた「フルリ人」とは、インド・ヨーロッパ語族であると言われており、そのインド・ヨーロッパ語族は「クルガン仮説」によって、6500年ほど前から漸進的に世界各地に拡散していったと考えられています。

クルガン仮説 (クルガンかせつ、Kurgan hypothesis) は、ロシアウクライナ南部に存在した「クルガン文化」がインド・ヨーロッパ祖語話し手であったとする仮説である。
ギンブタスは、明確な墳丘「クルガン」を伴う墳墓を持った「文化」を仮に「クルガン文化」と呼び、クルガン型の墳丘墓がヨーロッパへ伝播していったことをつきとめた。

クルガン仮説 - Wikipedia


ユーラシア・ステップは馬の家畜化が始まって以来、騎馬民族の活動の場であった。クルガン仮説によれば6500年ほど前に騎馬民族であるインド・ヨーロッパ語族が南ロシア平原から拡散した。

ユーラシア・ステップ - Wikipedia


クルガン仮説によるインド・ヨーロッパ語族の拡大例


これらのことから、「フルリ人」と呼ばれる以前の「インド・ヨーロッパ語族」の人々が、6000年前に「エデンの園」周辺にいたことが考えられます。

 カナン人は、目の細かい生地を織る技術を数世代後になってようやく習い覚えた。ウェン=アモンが旅をした時代には、のちのフェニキアの名産、紫色の布は、もっと北にあってフルリ人とカナン人が住む商業都市ウガリトのみで生産された。

ゲルハルト・ヘルム著 古代海洋民族の謎『フェニキア人』 河出書房新社 1976年 80頁


「フルリ人」は、地中海東岸の「ウガリット」に住んでいたと言われています。

ウガリット一帯には、既に新石器時代には人間が居住していたとみられる。紀元前6000年頃には重要な場所であり、集落全体を壁で囲い、守りを固めていた。

ウガリット - Wikipedia


「ウガリット」という都市は、紀元前6000年頃には重要な場所であったということで、今から約6000年前の「アダムとエバ」の時代にも「フルリ人」が住んでいた可能性もあります。

この「フルリ人」の故郷とは、「スバル」と呼ばれた地域で、「ヴァン湖」の南の地になります。

現在知られている彼らの根拠地はスバル(Subar)の地であり、ハブール川流域や後には北メソポタミアと歴史的シリアのいたるところで小国を形成した。

フルリ人 - Wikipedia
Subartu - Wikipedia


人類の故郷とは「スバル」という星だと言っているのが、「正統竹内文書」だそうです。

正統竹内文書では人類は宇宙から来て、故郷の星の名前がスバルだと言っていますが、フルリ人が作った都市と名前が一致しています。

【古事記】は日本列島の歴史ではない【初期の渡来人】フルリ人〜古書から日本の歴史を学ぶ〜


「正統竹内文書」には、古代日本人が高度な科学技術を持っていたことや、日本が古代の中心地だったという、表の歴史では知らされていないことが書かれているようです。

正統竹内文書の特徴と主張
正統竹内文書の支持者たちは、以下のような特徴や主張を強調しています:

1. 古代文字の使用:正統竹内文書には、現代の日本語では解読困難な古代文字が使用されているとされています。これらの文字は、日本独自の文字体系であり、中国や朝鮮半島の影響を受ける以前から存在していたと主張されています。

2. 詳細な系図:日本の皇室や有力氏族の系図が、従来の歴史書よりもはるかに遡って記されているとされます。これらの系図は、日本の建国神話や古代史を裏付ける重要な証拠とされています。

3. 高度な科学技術:古代日本人が、現代でも驚くべき科学技術を有していたことが記されているとされます。例えば、航空機や電気の利用、高度な医療技術などが言及されているという主張があります。

4. 世界史の再構築:正統竹内文書によれば、日本は古代から世界の中心的な役割を果たしており、多くの文明に影響を与えてきたとされています。エジプトやギリシャ、マヤなどの古代文明も、日本からの影響を受けて発展したという驚くべき主張がなされています。

【正統竹内文書と竹内文書の違い】正統竹内文書 vs 偽書説 歴史の闇に潜む真実


この竹内文書についても、RAPT理論によって解明されています。

RAPT×読者対談〈第126弾〉麻生太郎と悪魔崇拝。麻生太郎がこの世界の中心になろうとしている現実。

竹内 綱(たけうち(たけのうち) つな、天保10年12月26日(1840年1月30日) – 大正11年(1922年)1月9日)は、日本の武士(土佐藩士)、実業家、政治家。
内閣総理大臣を務めた吉田茂は五男、麻生太郎は外曾孫。

いずれにせよ、この「竹内綱」が「武内文書」の継承者である以上、その曾孫である「麻生太郎」も同じく「竹内文書」の継承者の一人、ということになってしまうのです。

RAPT×読者対談〈第126弾〉麻生太郎と悪魔崇拝。麻生太郎がこの世界の中心になろうとしている現実。


RAPT理論によって「麻生太郎」が「竹内文書」の継承者の一人である、ということが解明されていることから、「麻生太郎」とはスバル人である「フルリ人」の末裔であるのではないかと考えられます。

「麻生太郎」についても、RAPT理論によって詳しく解明されています。

「麻生太郎」こそイルミナティの計画する主要な悪事の中心的な実行犯である。


天皇家一族の重鎮「麻生太郎」という巨悪。


「竹内文書」とニューワールドオーダー(世界統一政府)や、悪魔崇拝者についても、RAPTさんが語っていらっしゃいました。

もちろん、私は今でもこの「竹内文書」の内容をすべては信じてはいません。かといって、すべての内容を嘘だと断定できるかというと、それもまたできません。恐らく半分が本当で、半分が嘘だろう、というのが率直な感想です。

では、どの部分が本当だと思うのかというと、それはただ次の一点に尽きます。

「かつて、この世界の中心は日本であり、天皇がこの世界を支配していた」

ロスチャイルドと天皇家がお互いに手を組み、日本中心のNWO計画を進めているのは、過去にそのような世界が本当にあったからではないか。彼らはその世界を今の時代にも再現しようとしているのではないか。私はそう考えずにはいられませんでした。

もしかしたらニューワールドオーダー(世界統一政府)という考え方自体、実はこの「竹内文書」に書かれた世界が元になっているのかも知れません。

つまり、悪魔崇拝者たちが「竹内文書」に書かれた古代世界こそ自分たちの理想郷であると考え、その理想郷を昔からずっと蘇らせようとしてきたのではないかと考えたわけです。

実際、旧約聖書の中にも、神に反抗した者たちが「バベルの塔」を建てようとした、などという記述がありますし、過去の多くの王様や皇帝たちが世界を支配しようと目論んできました。もしかしたら彼らの大半が悪魔崇拝者であり、「竹内文書」に書かれた古代世界を再現しようとしていたのかも知れません。

というか、世界を支配しようなどと考える時点で、もう悪魔としか言いようがありません。普通の人なら、武力で世界を征服しようなどという考え自体、頭に浮かばないでしょうから。

「竹内文書」は悪魔崇拝者によって書かれた天皇礼賛に導くための古代プロパガンダの書です。


ところで、旧約聖書ではキリスト(イエス様)の誕生以前に、キリストの誕生について数々の預言がされていました。

 それゆえ、わたしの主が御自ら
  あなたたちにしるしを与えられる。
 見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み
 その名をインマヌエルと呼ぶ。

旧約聖書 イザヤ書 7.14 新共同訳

エフラタのベツレヘムよ
お前はユダの氏族の中でいと小さき者。
お前の中から、わたしのために
イスラエルを治める者が出る。
彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。

旧約聖書 ミカ書 5.1 新共同訳 


キリスト誕生の預言とは、真の信仰者にとっては「福音」となりますが、神様に反逆する悪魔崇拝者たちにとっては、神様の歴史の破壊工作を計画するための一助となったのではないかと考えられます。

聖書の預言は、必ず成就します。

聖書に書かれている、東の海の島々でも主の御名を尊べ、という預言に従い、神様の真の信仰者も反逆者たちも、東の海の島々(日本)を目指したのではないでしょうか。

それゆえ、あなたたちは東の地でも主を尊び
海の島々でも、イスラエルの神、主の御名を尊べ。

旧約聖書 イザヤ書 24.15 新共同訳


これらの預言と同じように、アダムとエバが誕生することの預言が、何らかの形で存在していたと考えることはできないでしょうか。

先の引用文よりフルリ人とは、『紀元前3000年ごろから原住地を離れ、北メソポタミアに移動を始めた。前18世紀ごろになると、インド・ヨーロッパ語族をその支配者とする王国を各地に建設した。』とのことで、古代から現代まで各国の支配者層であることが分かります。

「フルリ人」の末裔ではないかと思われる「麻生太郎」とは、日本の支配者の一人です。

悪魔崇拝者は、ムー大陸の時代から存在していました。

そしてこの「フルリ人」は、アダムとエバが誕生する「エデンの園」に集まりアダムとエバに接近し、工作活動を行った可能性が高いのではないか、と私には感じられるのです。

アダムとエバの「エバ」をそそのかして「禁断の木の実」を食べるよう仕向け、神様の歴史を破壊したのは「フルリ人」だったのではないか、という考えが閃いたのです。

この「閃き」が正しいのかどうか、それは神様がご存知でいらっしゃいます。

最後に「フルリ人」とは、聖書に書かれている「ヒビ人」であると考えられています。

ヒビ人
考古学者たちは古代文書を発掘してきましたが,それらはフルリ人と呼ばれる国民が,族長時代以降,アルメニアやアナトリアやシリアの地域,およびパレスチナの一部に居住していた証拠であると学者たちからみなされています。そして学者たちは,ヒビ人やホリ人やエブス人もこの民族に含まれていたと考えています。彼らは「ホリ人」と「ヒビ人」を同一視し,フルリ人も何らかの理由でヒビ人と呼ばれるようになったと考えています。

ヒビ人 — ものみの塔 オンライン・ライブラリー


ヒビ人やホリ人、エブス人が「フルリ人」と呼ばれる人々だったようです。

聖書には、次のように書かれています。

七つの民を滅ぼせ
 
あなたが行って所有する土地に、あなたの神、主があなたを導き入れ、多くの民、すなわちあなたにまさる数と力を持つ七つの民、ヘト人、ギルガシ人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人をあなたの前から追い払い、あなたの意のままにあしらわさせ、あなたが彼らを撃つときは、彼らを必ず滅ぼし尽くさねばならない。

旧約聖書 申命記 7.1-2 新共同訳



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