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神様のことを知るために。 〜士師記(主に背く世代が興る)〜
士師記の「士師」とは聞き慣れない言葉ですが、神様がイスラエル民族を哀れに思い、敵から救うために遣わしてくださった救助者であり、裁き人でもあります。
モーセの後継者であるヨシュアと、神様がイスラエルに行われた大いなる御業、エジプト脱出の際に海を分けられ奴隷の身分から救ってくださったこと、ヨルダン川渡河の際に川の水をせき止められたこと、カナンの数々の強敵に対する勝利への導きを、ことごとく目撃した長老たちが皆絶えた後、神様を知らず、神様がイスラエルに行われた御業を知らない別の新しい世代が興りました。
ヨシュアが民を送り出したので、イスラエルの人々は土地を獲得するため、それぞれ自分の嗣業の地に向かった。ヨシュアの在世中はもとより、ヨシュアの死後も生き永らえて、主がイスラエルに行われた大いなる御業をことごとく見た長老たちの存命中、民は主に仕えた。
主の僕、ヌンの子ヨシュアは百十歳の生涯を閉じ、エフライムの山地にある彼の嗣業の土地ティムナト・ヘレスに葬られた。それはガアシュ山の北にある。その世代が皆絶えて先祖のもとに集められると、その後に、主を知らず、主がイスラエルに行われた御業も知らない別の世代が興った。
イスラエルの人々は主の目に悪とされることを行い、バアルに仕えるものとなった。彼らは自分たちをエジプトの地から導き出した先祖の神、主を捨て、他の神々、周囲の国の神々に従い、これにひれ伏して、主を怒らせた。彼らは主を捨て、バアルとアシュトレトに仕えたので、主はイスラエルに対して怒りに燃え、彼らを略奪者の手に任せて、略奪されるがままにし、周りの敵の手に売り渡された。彼らはもはや、敵に立ち向かうことができなかった。出陣するごとに、主が告げて彼らに誓われたとおり、主の御手が彼らに立ち向かい、災いをくだされた。彼らは苦境に立たされた。
新しい世代のイスラエルの人々は、神様の大いなる御業を実際に自分の目で見て体験していないため、神様への「信仰」を強く持つことができなかったのだと思います。
イスラエル民族がカナン侵攻の際に、異教徒であるカナンの先住民を、ことごとく追い払い滅ぼし尽くすことができなかったため、カナンという土地では「バアル」と「アシュトレト」を崇める異教の民が、イスラエル民族と共に暮らしていました。
そして、神様を知らない新しい世代のイスラエルの人々は、カナンの地で崇められていた異教の神、「バアル」と「アシュトレト」という悪魔を崇めるようになってしまったのです。
神様がイスラエルの人々に定められた掟、『あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。』という大切な約束を、イスラエルの人々は破ってしまいました。
神様との約束を破り、「バアル」と「アシュトレト」に仕えるようになってしまったイスラエルの人々に対して、神様は大変お怒りになりました。
『彼らを略奪者の手に任せて、略奪されるがままにし、周りの敵の手に売り渡された。彼らはもはや、敵に立ち向かうことができなかった。出陣するごとに、主が告げて彼らに誓われたとおり、主の御手が彼らに立ち向かい、災いをくだされた。彼らは苦境に立たされた。』
神様が共にしてくださらなければ、イスラエルの人々は敵に立ち向かうことさえできず、災いに見舞われるばかりとなり、苦境に立たされました。
主は士師たちを立てて、彼らを略奪者の手から救い出された。しかし、彼らは士師たちにも耳を傾けず、他の神々を恋い慕って姦淫し、これにひれ伏した。彼らは、先祖が主の戒めに聞き従って歩んでいた道を早々に離れ、同じように歩もうとはしなかった。主は彼らのために士師たちを立て、士師と共にいて、その士師の存命中敵の手から救ってくださったが、それは圧迫し迫害する者を前にしてうめく彼らを、主が哀れに思われたからである。その士師が死ぬと、彼らはまた先祖よりいっそう堕落して、他の神々に従い、これに仕え、ひれ伏し、その悪い行いとかたくなな歩みを何一つ断たなかった。主はイスラエルに対して怒りに燃え、こう言われた。「この民はわたしが先祖に命じたわたしの契約を破り、わたしの声に耳を傾けなかったので、ヨシュアが死んだときに残した諸国の民を、わたしはもうこれ以上一人も追い払わないことにする。彼らによってイスラエルを試し、先祖が歩み続けたように主の道を歩み続けるかどうかを見るためである。」主はこれらの諸国の民をそのままとどまらせ、すぐ追い払うことはなさらなかった。彼らをヨシュアの手に渡すこともなさらなかった。
そんなイスラエルの人々を、それでも神様は完全に見捨てることはなさらず、士師たちを立てて彼らを略奪者の手から救い出してくださったのです。
神様は本当に、憐れみ深く慈しみに満ち、罪と背きと過ちを許してくださる方であることが分かります。
『主、主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、幾千代にも及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを許す。』(出エジプト記 34.6-7 新共同訳)
本当に、神様の人類に対する深い愛と、神様の偉大さが感じられます。
神様は、敵から圧迫され迫害されるイスラエルの人々を哀れに思い、士師を遣わし敵の手から救ってくださいました。
しかしながらイスラエルの人々は士師が死ぬと、彼らの先祖よりもいっそう堕落し、他の神々に仕えこれにひれ伏し、悪い行いとかたくなな歩みを何一つ絶たなかった、というのです。
神様がこれ程までにイスラエルの人々を愛してくださっているというのに、「恩を仇で返す」とはまさにこのことです。
『この民はわたしが先祖に命じたわたしの契約を破り、わたしの声に耳を傾けなかったので、ヨシュアが死んだときに残した諸国の民を、わたしはもうこれ以上一人も追い払わないことにする。彼らによってイスラエルを試し、先祖が歩み続けたように主の道を歩み続けるかどうかを見るためである。』
神様は、神様との契約を破ったイスラエルの民に対して、カナン人たちと共に住んだとしても、先祖が歩み続けたように主の道を歩み続けるかどうかを試みるため、また戦いを知らないイスラエルの人々に戦いを学ばせるために、カナンの諸国民をこれ以上一人も追い払わず、イスラエルの人々の住む所にカナン人が留まるようになさったのでした。
カナン人とのいかなる戦いも知らないイスラエルとそのすべての者を試みるために用いようとして、主がとどまらせられた諸国の民は以下のとおりである。そうされたのは、ただ以前に戦いを知ることがなかったということで、そのイスラエルの人々の世代に戦いを学ばせるためにほかならなかった。ペリシテ人の五人の領主、すべてのカナン人、シドン人、バアル・ヘルモンの山からレボ・ハマトに及ぶレバノンの山地に住むヒビ人がそれである。彼らはイスラエルを試みるため、主がモーセによって先祖に授けられた戒めにイスラエルが聞き従うかどうかを知るためのものであった。しかし、イスラエルの人々はカナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の中に住んで、彼らの娘を妻に迎え、自分たちの娘を彼らの息子に嫁がせ、彼らの神々に仕えた。
そんな神様の心情を慮る(おもんぱかる)ことなく、イスラエルの人々はカナン人たちと結婚し、彼らの神々に仕えたということです。
神様がここまでイスラエルの人々の罪を赦し、悔い改めの機会を与えてくださっていたのにも関わらず、イスラエルの人々は神様の元に立ち帰ることをしなかったのです。
神様はどれほど傷つき、悲しみ、悔しい思いをされたことでしょうか。
しかしこの神様のお気持ちは、決して遠い過去だけのことではありません。
現在の日本という国を見てみると、RAPTさんの伝えてくださる御言葉を信じ、真のキリスト教の神様を信じ、神様の御言葉に聞き従っている方がどれくらいいるでしょうか。
少なくとも私の身の周りには一人もいないように見えます。
神様の人類への愛を知った私たちが、もっと神様のこと、神様の素晴らしい愛の御言葉を、必ず全世界に広めていかなければならないと、強く思いました。
神様が厳しい御言葉を宣布するのも、裁きを下すのも、誰かを滅ぼすのも、全ては人類を幸福へと導くためだ。
神様は私たちの想像する以上に私たちを愛して、共にして下さっている。あなたたちはその愛を強く感じて、その愛の素晴らしさを人々に述べ伝える大使徒となりなさい。
愛の根源は主だけであり、主の愛を受けた者しか真実の愛を知ることができない。
誰でも簡単に主の愛を感じられないし、悟れないから、主は使命者をこの地上に遣わして、主の愛を述べ伝えさせているのだ。
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