~どこかの誰かの1日~#10 「蕾、開かず」 東京都 33歳 Pさん
昨晩、何週間ぶりかにテレビにかじりついていた。
何かの比喩ではない。ガブっといった。
――12月20日
「優勝はマヂカルラブリー!!」
テレビの中の人が喜んでいる。私はついにあそこに立てなかった。
私と私の部屋に鎮座するテレビは、付き合って15年になる。画質はともあれ、未だに画面が映るから驚きだ。
長年健闘した甲斐があって、15年目にしてついに歯型をつけることに成功した。15年目。最後の年だった。
相方だった人間は今頃、道路の真ん中で光る赤い棒を振っているはずだ。明日は私がその棒を振る。思えば棒との付き合いも15年になる。
テレビと15年。棒とも15年。私の身の回りにおいて、相方とだけが、たった3年の付き合いだった。
5081分の1。この数字は何パーセントだろう。確率論は意味がないと知りながらも、手は自然にペンを持っている。
大学時代、何かにつけて計算をしていた。
「教室内に鳥が入ってくる確率」「キャンパス内の蛇口が上を向いている確率」「月曜日の朝、電車が遅延する確率」など、導いてきた確率は多岐にわたる。
周りの友人は気味悪がっていたが、最終的に、これまで出してきた確率をまとめた論文が何かの賞を取ったときは、それを口実にみんなで朝まで飲み歩いたものだ。
それから11年。多くのものを失ってきた。
安定。経歴。結婚。友人。親孝行。自尊心…
考えてしまうと正気を失ってしまうと思い、見てみぬふりをしてきたものが、いっぺんに押し寄せてくる。
これだけ失っても届かなかったのか。いや失ったものに比例して、リターンがあるわけではないだけか。
テレビの中で祝福されている二人は私と同年代。彼らは何を失ってそこにたどり着いたのだろう。私より多くのものを失ってたかもしれないし、もしかするとほとんど何も失ってないかもしれない。
わかっていることは、私の蕾は開かなかった。
ペンを動かしていた手が止まる。導き出された数字は0.01968117パーセント。
なんだ、宝くじにあたる確率の方が高いじゃないか。4等の。
私は、そっとテレビをかじるのをやめた。夢を追うこともやめた。
さあ、あとは何をやめよう。
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