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点、繋がる(前編)

 夜空に浮かぶ星が霞んで見えない程に、あちこちのビルから光が漏れ出ているオフィス街。その街から吐き出される心身共に疲れ切った人々。彼らは一様に同じ方向を目指して歩いていた。
 その行く先は、煌びやかな明かりを灯す歓楽街。その口は、日々の疲れを包み込もうと大きく開かれている。
 中を覗いてみると、くたびれたスーツを着て歩くサラリーマン。カタコトの日本語で道行く人に声をかける、国籍不明の客引き。その合間を縫うように出勤する女性たち。
 さらには、見るも無残に酒に飲まれた酔っぱらいなど、実に多様な人々が、決して広くはない街の中を、一様に何かに縋るようにして歩き回っていた。
 必要と不要、浪費と投資がごちゃ混ぜになったこの街の一角。中の騒ぎが今にも溢れそうなほど、熱気を帯びた店の扉。そこに手をかける一人の男がいた。
 男が開いた扉の隙間からは、騒がしい音楽が漏れ出てくる。薄暗い店内の中央には、三台のダーツボードが横一列に並んでいた。
「シンゴくん、いらっしゃい」
 そのボードを見守るように存在するバーカウンター。シンゴと呼ばれた男を出迎えたのは、カウンターの中で腕を組んだ、顎に鬚を生やした体格の良い男性だった。
「マスター、こんばんは。今日はコークハイで!」
「あいよ、後で席に持っていくよ。もうみんな来てるよ」
「ほんと! やっば、いちばん最後かあ」
 シンゴはそのまま店の奥へと進んでいく。途中、顔見知りらしい複数の客から呼び止められていたが、物腰柔らかくそれらを断っていく。
 そのまま進めた足は騒がしい店内のいちばん奥、ライトの光がかろうじて届いているテーブルの前で足を止めた。
「こんばんは、遅くなりました」
 四角いテーブルを囲むように配置された四つのソファ。そのうちの三つに腰かけている三人に言葉をかけるも、誰もシンゴの方を振り向かない。
「こんばんは!」
 店内に鳴り響く音楽に負けないようにもう一度声をかける。だが、またしてもその声に反応するものはいなかった。
「まったく、ちょっと遅れただけなのに」
 シンゴに気が付いていない三人は、互いに顔を突き合わせているのに誰も口を開かない。それぞれに自分の手元だけを熱心に注視している。それぞれの手にはスマートフォンや、それよりも二回り以上も大きいタブレットなどが握られていた。
「はいよ、コークハイお待たせ」
 三人を見下ろすようにして立っていたシンゴの肩の辺りから、グラスを持った太い腕が伸びてくる。グラスを手渡すと、白い歯を見せて笑いながらシンゴへ語り掛けた。
「この人たちは相変わらずだな。周りなんて全然見ちゃいない」
 シンゴは少しバツが悪そうにして、グラスを持っているのと反対の手で頭を掻いた。
「それに関しては人のこと言えないからなあ。僕だってきっと似たようなものですよ」
 マスターは柔らかな笑みを保ったまま、「そうかい」と言ってカウンターへと戻って行った。
 再び一人になり、手持無沙汰になったシンゴは受け取ったばかりのグラスに口をつける。氷がぶつかり合う静かな音と共に、ひんやりとした液体を口内へ注ぎ込むと、その潤いを全身に行きわたらせるように豪快に喉を鳴らした。
 週末ということもあり、店内は大賑わい。三台しかないダーツボードは常に取り合い状態で、順番を待っている者同士で酒を酌み交わし、酔っぱらい過ぎて台が空いたころには動けないようなものもいた。
 店内にかかる音楽がその興奮を加速させ、日ごろのストレスをまき散らし合い、それが重なり合って一つの大きな熱になっていた。
 そんな空間において、現在シンゴが立っているこの場所は、あまりにも異質だった。
 申し訳程度にテーブル上に置かれたグラス。中の氷はほとんど解けてしまっていて、元の飲み物の味はぼんやりとしているに違いない。
 ひたすらに画面に向き合い、それでいて特に会話を交わさない。たまに聞こえてくるのは舌打ちや、とても小さな声で発される怒声。
 なによりもいちばん不思議なのは、この異様な一角が、煙たがられている様子も無ければ、笑いものにされているわけでもなく、騒がしい店内で認められ、成立していることだった。
「くそっ! 負けたー!」
 一人の声を合図に、三人が同時に体を起こす。彼らはその時初めて、そこにシンゴがいたことに気が付いたようだった。
「シンゴ、来てたんだ!」
 快活な声でシンゴの名を呼んだのは、三人の中では唯一の女性であるリサ。とはいえ、大きめのパーカーを着て、深くまでフードを被った彼女は、高身長と言うことも相まって男性のようにも見える。
「リサ! 相変わらず今日も可愛いじゃん!」
「何言ってんの? また適当なこと言って」
 まるでお世辞を言うかのような軽やかさのシンゴの発言は、リサにさらりと流される。嘘やお世辞が苦手な彼が、こんな風に好意を伝えるのは彼女に対してだけなのだが、その気持ちまでは伝わらない。
「おう、やっと来たか。まあ座れや」
 自分が座っているソファの隣、唯一空いている革張りの座面を、バシバシと叩きながら声をかけるその男。
 綺麗に剃り上げられた頭に、色付きのサングラス。極めつけに夏でも決して半袖になることは無かった。
 本人曰く、肌荒れがひどいため見せるのが恥ずかしいそうだが、それを信じている人間がいるかどうかは定かではない。
「アキラさん! お久しぶりです! いつ戻って来てたんですか?」
 人懐っこい性格のシンゴは、このアキラに対しても初対面の頃から物怖じすることは無く、アキラ自身もそんなシンゴのことを可愛がっている。
 シンゴとアキラは、互いにグラスを合わせると、嬉しそうな顔でその中身を一気に飲み干した。アキラの眉の無い顔が大きく歪む。
「うっす! なんやこれ、ほとんど水やんけ!」
 決して強く張ったわけでは無いその声が、隣にいたシンゴとリサの耳に響く。
「アキラ、うるさい」
「おお、すまん」
「そんなになるほど集中してたんですか? さっきも俺が来てるのに気づいてなかったし」
 飲み干したグラスを、音を立てないように テーブルの上へ置く。
「まあな、ちょっと手ごわい敵がおってなあ。やっぱり四人とも知り合いじゃないとやり辛いわ」
 はにかんだアキラは、自分の手元にあるタブレットに視線を落とす。
「シンゴくん」
 ソファに座る最後の一人。それまでずっと黙っていた年齢不詳の好々爺が、ついに口を開いた。
 常連や他の客からシゲと呼ばれているこの老人。どの角度から見てもただの優しそうな老人なのだが、今のマスターの二代前からこの店に通っているという噂で、還暦を迎えたばかりだとも、ゆうに八十は超えているとも言われている。
 いわゆる生き字引的な存在として、この店の顔役の一人となっていた。
「シゲさんこんばんは! どうしましたか?」
 シゲの目を真っすぐに見つめ返したシンゴは、既にポケットからスマートフォンを取り出している。
「いや。うん、その通り。早く遊ぼうよ」
 ゆっくりと視線を落としたシゲは、胸ポケットから一本の煙草と使い込まれたライターを取り出した。
 その上蓋を指で押し上げ、手で包み込むようにしながら煙草に火をつける。小さく灯った火を確認した後は、カチンという音を鳴らし、再び元の場所へとしまった。
「やりましょうか!」
 シンゴの声を合図として、テーブルを囲んだ四人がそれぞれに動き始める。
 煙草を片手に画面を操作するシゲ。フードの奥から目を光らせるリサ。大きなタブレットを太い指で懸命に操るアキラ。そしてシンゴ。四人の顔が傍目にもイキイキとし始めた。
 
 四人を夢中にしているのは、プレイヤー同士でチームを組み、大勢の中から最後の一チームになるまで銃を打ち合うスマートフォンゲーム。
 シゲが数年前、このバーカウンターでこのゲームを遊んでいたのをきっかけに、店内において一大ブームを巻き起こした。
 ダーツを投げに来る客の方が少ない日も出てきたことで、マスターが店内での大会を開催するなどしていたのだが、ブームは去るのも早いもので、ほとんどの人は直に離れていった。
 そんな中残ったのがリサとアキラ。生粋のゲーマーだったリサは、ブームのタイミングで噂を聞きつけ、この店に通うようになって以来、変わらず度々足を運んでいる。
 アキラはと言うと、流行りに乗って始めてみたはいいものの、その太い指で小さい画面を操作するのは難しく、いまいち美味い方では無かった。
 しかしながらそれを悔しく思ったアキラは、普段使っているスマートフォンとは別にタブレットを購入。それをきっかけに益々のめり込み、仕事で各地を移動する忙しい身でありながら、店に訪れてはシゲやリサと遊んでいた。
 そこに半年ほど前に現れたのがシンゴ。テレビコマーシャルもしているような大企業の新入社員である彼は、会社の先輩と共にこの店を訪れたのが初めてだった。
 新入社員歓迎会の二次会会場として十人ほどで訪れた彼らは、会場を選んだ幹事の思惑通り、ある程度ならほとんどの人が楽しめるダーツを用いて、その心の距離を縮めていた。 
 シンゴ自身その輪の中に入っていたものの、外面がいいだけに上手く自分を出し切れないシンゴは、片隅で存在感を放っていた一角が気になった。
「あの、何してるんですか?」
 後日一人で店を訪れたシンゴは、興味本位でリサに声をかける。はじめはナンパの類かと思って邪険にしていたリサだったが、次第にそうではないとわかった。
「ゲームよ。興味あるの?」
 はじめはナンパでは無かったシンゴだったが、リサに心を惹かれてしまい、下心満点で興味があると答え、一緒に遊ぶようになる。
 そのうちゲーム自体も純粋に楽しむようになり、いまではリサに会うことよりも、こうして集まってゲームをすることが楽しみになっているようだった。
 顔を合わせる度に日程を定め、次回へとつなげる。今年の夏は暑くなると言いながら始まった会合は、木々の紅葉が終わる頃になっても変わらず続く。
 年齢もバラバラな四人は、お互いの素性を知る由もなく、また誰一人として知ろうともしなかった。

「そういえばこの前会社の先輩が、リサに似た人を街で見かけたって言ってたよ。心当たりある?」
 一試合を終えた四人は、思い思いの休憩を挟んでいた。新たな酒を注文しようとアキラが立ち上がり、トイレに言ってくるとシゲが席を外す。二人きりになったテーブルで、シンゴが遠慮がちにリサへ声をかけた。
「さあ? 見間違いじゃない?」
 突き放すようにそう返すリサに対し、彼女のグラスにかすかに残った、カルキの混じっていない氷のような純粋な目で、シンゴが再び声をかけた。
「かな? まあいいや。それより今日こそご飯でも食べに行かない?」
 こうしてここで共に遊ぶようになってからも、一貫してシンゴはリサへ好意を抱いていた。
 このことは他の二人も承知であり、全くなびくことの無いリサを見て、気の毒に思ったアキラが飲みに誘うまでがワンセットになっている。
「おーう。どうだシンゴ、今日も振られたか?」
 シンゴの背中が二度叩かれる。戻ってきたアキラの手には、綺麗に角の出た氷がなみなみと浮かんだグラスが握られていた。
「振られましたよ。わかってて言ってるでしょ」
 不貞腐れた様子のシンゴ。その隣にアキラが再び腰かける。
「どうや、今日は夜の店でも行くか? リサに似た子がいるかも知れんで?」
「ちょっと! アキラさんデリカシー無いですよ!」
「ああ。すまんすまん」
 形式的に謝るアキラの言葉には、謝罪の気持ちは籠っていない。その清々しさがアキラの人柄を映し出していた。
「で、行くか? なんなら奢ったるで?」
「え、嘘……。いや、行きませんよ!」
 人間味溢れる様子で困っているシンゴと、それを見てご満悦のアキラ。声が届き辛い中、お互いへの信頼を前提に成立している談笑を続ける二人に、何かに怯えるように目を伏せるリサの姿は映っていなかった。
「よいしょ。さてもうちょっと遊ぶかい?」
 便所からシゲが戻ってきたことで、ゲームを再開する。
 それから二時間余り。リサがそろそろ帰ることを皆に伝えるまで、四人はノンストップでプレイを続けた。
「もう帰るの? どう? これからみんなで飲みに行く?」
 シンゴがもう一度リサに声をかけるも、「いや、いい」とだけ答え、そのまま去って行く。残された男三人、時間はもうすぐ日を回る頃だった。

「どうよ、外出るか?」
 アキラのその呼びかけにシンゴが答え、少しばかりダーツを投げていくと言って、誘いを断ったシゲを残して二人は店を後にした。

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