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フランスサバイバル in 漫画の学校
自己紹介の記事でフランスに移住するまでの流れを紹介しました。
要点:
漫画教室の責任者からフランスでプロ漫画家になる人に向けた学校を作るから先生にならない?と言われ、気がついたらプロジェクトに組み込まれ、学生ビザが就労ビザになりました。
_人人人人人人人人人_
> 漫画の先生爆誕 <
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漫画を教えることについて
一応、勘違いを防ぐために具体的に話すと、コマや絵やセリフを組み合わせ、演出し、リズムを作り、キャラクターを通して物語を語る表現方法を教えることを指して漫画を教えることとしています。
絵の描き方を教えることとは意味合いが結構違います。
なかなか難しいんだ、これが。
勉強勉強の日々です。
実は学生より自分にとって勉強になったんじゃないか?と思わなくもありません。
今回の記事は新人先生の勉強の視点がメインです。
細かい内容は、授業の話をする時に書く方がいいと思うので端折ってます。
***
最初の命題
最初の私の命題は、フランス人が考える日本の漫画表現と、私の持つ日本型の漫画表現との間に横たわる溝を見つけていくことでした。
国のエッセンス
フランスで発売されている漫画の単行本の最後のページには読む方向について注意書きが挿入されていることがあります。
『Attention! Sens de lecture Japonais. Vous êtes à la fin!』
(注意!読む向きは日本式です。ここは最後のページです!)
ここ最近はこの表示がない単行本が多くなりましたが、数年前まではどの単行本にも必ずこの注意書きのページがありました。
フランスにはバンド・デシネ(BD/ベデ)表現があります。
コマを割って絵で物語を見せる形式の表現で、漫画と似ています。
上記の注意書きはBDのように読もうとする人のための注意書きです。
BDは日本の漫画とは逆方向の進行なのです。
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フランスの漫画好きは日本型の漫画を「MANGA」と呼称しています。
しかし体感としてフランスでのリアルな認識は
“Bande dessinée Japonaise” = 日本型のバンド・デシネ
です。
日本の漫画を見るフランス人の視点には、BDのエッセンスが無意識に混ざっているわけです。
私は日本で生まれ、日本の文化で育ちました。
そんな私は漫画の文法を日本の文化圏の中で自然と享受して来ました。
漫画は右開きで右から左に読んでいく。
これは日本の文化の中で生まれ育った漫画を読む人には常識です。
漫画を描いてと言われれば、右から左にコマを割るでしょう。
少し描ける人はキャラクターの進行方向が左向きになるように絵を描くでしょう。
フランスで生まれ育った人には、BDの文法が自然と植え付けられています。
BDは左開きに構成され、左から右に向かって読んでいきます。
漫画を描いてと言っても、左から右にコマを割る人がいます。
キャラクターの進行方向は右向きになります。
「BDを読まない」という学生がいますが、そんな子でもBDに最適な描き方をするのです。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/169668795/picture_pc_63bf83799df3a863a41778b44d92a68d.png?width=1200)
生まれた土地の文化・価値観が表現には現れます。
しかし彼らが身につけようとするのは彼らの外の文化をベースにした表現です。
異なる文化で発展した漫画とBDでは、最初に書いた「物語を語る表現」に違いがあったりします。
日本型の漫画を描きたい彼らには、漫画の物語を語る表現を身につけるため、日本人の漫画の見方・考え方を彼らにできる限り理解してもらう必要があります。
あとから自国のエッセンスを取り入れることは自由にすればいいけれど、他の文化のものを学ぶ上で、表面的な物だけを取り入れることはしないで欲しい。*1
そんな考えがあり、日本型の漫画表現を学ぶためにフランスと日本の違いを知る工程を授業に取り入れることを目指しました。
そのために
日本の漫画表現って改めてなに?
フランスのBD表現ってなに?
を私自身が理解しなければいけませんでした。
コマ割りの意図のちがい、カメラの使い方の違い、コマの中の構図の構成の仕方の違いなどなど、勉強することがいっぱいでした。
第二の命題
次の命題は、彼らにこの土地で身につけた価値観をどう乗り越えてもらうか?でした。
フランスという国
こちらで生活し、漫画を教えていると、あまりの価値観の違いに衝撃を受け落ち込み、フランス人の性質に嫌気がさしたりもします。
漫画においても価値観の違いが如実に出ます。
特にキャラクターの描写において、です。
研究者の方から見たら違う!と怒られるかもしれないのですが、私がフランス人と接する中ではフランスに生きる人は国が定めたルールによって表面上の価値観の均一化が測られているように感じました。
フランス共和国をスムーズに運用するために異なる民族に共通のルールを敷きます。
それによって、内では自分のルーツを持ちながら、外では共通のルールでコミュニケートする、という構造ができている気がします。
彼らの漫画表現の中に外のコミュニケーション方法が使われ、均一性が見えるのです。
この均一性を乗り越えて漫画を描いて欲しい。
そのための授業を作りたい、と思い試行錯誤しました。
キャラクターを表現することについて、また勉強です。
キャラクターを表現するって難しいし、そもそも私も苦手でした。
でも漫画はキャラクターが愛されてこそだし、避けて通ってはいけないんですよね。
『「感情」から描く脚本術』なんて本も読んだり。
舞台役者の指導者の本なんかも読んだり。
感情という形のないものを捉えるヒントを探し回りました。
というような感じで、自らの命題を作り、勉強し、授業を作っていきました。
葛藤
初期の学生には実験体になってもらいながらいろんな授業・課題を試しました。(その頃の学生本当にごめんって感じです)(まあ今も実験は続いていますが。)
私は従来感覚派の人間なので、この違いを論理的に述べることが非常〜〜〜に大変だったのでした。
「なんか読みづらい」
この「なんか」を言語化するのが難しいんですよね……
また、一緒に働く相手はみんなフランス人。
漫画を読む人はいても、同じ見方をしている人はいない。
その人たちとカリキュラムを作るために、戦わなくてはいけません。
こちらも彼らの価値観を尊重します。
しかし譲れないところは譲れない。押し引きを繰り返します。
それがずーっと続きます。
これらを連載しながらってのは……キツかった……笑
授業のためのインプットはたくさんしたけれども文化的インプットがなく、自分の創造性はエンプティー状態になってしまいました。
この後描けなくなり、精神的にも辛かった。
学校で授業をすることでなんとか生きていた期間があります。
タイトルのサバイバルはそういうことでもあるんですね〜。
でも今はもう元気です👍
最後に
知り合いの漫画家の人にこんなことしてる人あなたぐらいじゃない?と言われたことがあります。
そうかもしれない。
胸を張ってそう言えるのはまだ先、卒業生がもっともっと漫画家として活躍する姿を見れた時かもしれませんが、得難い経験をしていることは確かです。
今後はそのサバイバル期間の授業の話をしていきます!
*1
表面的というのは「漫画っぽい絵」=「目が大きい絵」が描ければ漫画を描いていることになる、というレベルの話も含みます。頭痛い。
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友人曰く一応フランス人も恥ずかしいことは恥ずかしいらしい。