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音楽を取り戻した話

思いの丈を表現する言葉が少ないと先日自分で言いましたが、過去にエモい瞬間の一つぐらいあっただろう、何か書き留めておきたいと欲が燃え始め、つらつら記憶を手繰り寄せていたのですが、

あったじゃないか。社会人になってから楽器を再開した時のことが。

なんて大袈裟に書き出しましたが、何しろ言葉足らずなので、人が読んでもふーんという感想にしかならないかもしれません。また、JJGには音大出身の方もいらっしゃるようなので、素人の感想を綴ってもなぁという思いもありつつ、壁打ち的に吐き出してみます。


そもそものスタートを考えると、今現在、趣味というよりライフワーク的に続けていることが不思議なぐらい、始めたきっかけは些細なことだった。幼少の頃から歌に合わせて身体を動かしたり、音楽は好きだったが、近所の通いやすい距離に某大手の音楽教室ができたため、母が恐らく私にやりたいか?聞いたのかもしれない。今となっては母もよく覚えていない様子。

私はやりたいと言ったかどうかも記憶になく、ある日突然、今日からレッスンなんだから!!と仕事から急いで帰宅してキレ気味の母に付き添われてグループレッスンに通うように。レッスン自体は楽しかったので、通うのは苦ではなかったけれど、平日仕事をしている母には練習をサポートする暇などなく、私自身も自ら楽器に向かってというほど真剣だったわけでもなく、毎回レッスンからの帰り道、練習していないことを母から怒られ、土日にちょこっとそれっぽいことをする、以下繰り返し。

その後小学校中学年ぐらいで個人レッスンに移行し、初めて纏まった曲が弾けるようになる楽しさに目覚め、以後大学で上京するまではレッスンを続けていた。

父が早く亡くなったのもあり、母一人の稼ぎと妹たちの教育費を考えると、ただ好きだから音楽の道にという選択肢はなく、また、高校に入って、真剣にその道を目指す同級生のレベルが違う演奏に触れ、才能もそうだし、準備どころか進度が周回遅れだなと諦めもついた。

一度、父が亡くなってすぐ、出費を減らしたい母が止めるように言ってきたけど(字が汚いからと習字の稽古だけ残されそうになった)、他を止めてもいいからこれだけは残したいと食い下がった。それが大人になった今の私を助けているのだから、人生どう転ぶか分からないものだ。

高校のときに個人レッスンの先生から音大の先生の家に一緒に遊びにいかない?と声をかけられたりもしたけれど、自身の先が見えてしまった感からの躊躇と、母の「めんどくさいでしょう、そんなの」という発言で断ったこともあった(子供時代の母の言葉がけで唯一覚えているのがこの「めんどくさい」。やりたいことはすべてこの台詞で一刀両断。おかげで諦め癖がついてしまったこと、自分自身それに気付けなかったことを今も後悔している)。

大学進学後は、壁の薄い安アパートに楽器は置けないので、たまに大学で据え置きのを弾かせてもらったりはした位で、その後就職もし、すっかりご無沙汰に。


時は流れ、就職後数年が経ち、転職もし、30を過ぎた頃、職場の役員の方(といっても年功序列ではない職場で、年は結構近い)の家に遊びに行ったとき、インテリア程度に置いてある楽器に触らせてもらう機会があった。外国人仕様に作られたお洒落なビンテージマンションの一室で、それは他の趣味のいい家具に馴染んでぴかぴかに磨かれ、鎮座していた。

以前の記事でも書いたが、転職先はとにかくクセツヨの人々の巣窟のような会社で、入社後数年、豆腐メンタルの私は揉まれながらも、根性を叩き直さなければなければいけないという謎の使命感とともに、毎日何とか生き延びていた。私のいたバックオフィス部門でも残業が多く、平日は帰宅後必要最低限のことをして眠り、朝は這うようにして出社し、休みの日は外出する気力もあまりなく昼まで死んだように眠り、待ち合わせには遅刻常習犯、という体たらく、アラサーそこそこで生活がどんどん枯れていくことへの焦りと恐れに苛まれ、このままではいけないと日々思っていた。

趣味でも作って強制的に仕事から離れる時間をもったほうがいいだろうか、と思っていたタイミングでの、楽器との再会。実は大学~20代までは別の習い事をしていたこともあったが、職業とするかどうかの選択を迫られ、程よく頑張るという希望が叶えられそうになく離れており、余暇の活動は空白期間だった。

楽器については、プロを目指すわけでもないしお金をかけても、という迷いと、練習環境がないことを理由に選択肢に入っておらずで。

聴く方の音楽も、好きだったバンドが解散してからは熱心にフォローしているものもなく、聴く体力が残っておらず、これも空白期間。

さて、目の前の楽器。家具調のデザインでとても綺麗だったので、触ってみたい欲が抑えられず、近づいてはみたけれど、ぱっと弾ける曲もすぐ思い浮かばず。。ちょっと鳴らしてみる。音は狂ってはいなさそう。

迷っていると、当時小学生のお嬢さんが、何か弾いてみればいいじゃないー!と無邪気に煽ってくれたので、恐る恐る、これなら何とか?と思うものをちょっと弾いてみたら、どうにか指が覚えていて、1-2曲、そのまま弾かせていただいた。

曲の途中でギブアップしたのに、かなりいいよ、レッスンちょっと通ってただけでそんなに弾けるの?とお世辞を色々言っていただき気恥ずかしいながら、職場と家の往復の毎日に疲れ切っていた身にはなんだか久しぶりにとても楽しく、弾き終わると身体が緊張からの弛緩も加わってぽかぽかした。

数分の拙い演奏で頭から湯気が立ってしまい、落ち着こうとお手洗いを借りて手を洗っていたとき、鏡に映った自分の顔を見てぎょっとした。上気していて、自分でも暫く見たことがなかったほど明るい表情だったから。毒が抜けたともいえるかも。

逆に、その顔を見て、いかに普段自分が顔引きつらせ、余裕なく毎日を過ごしていたかが分かった。当時はマッサージやヨガなどの人の手による癒しの力を借りがちで、それらはマイナスを0にはしてくれたけれど、ここまで明るさを纏った自分にはなれなかった。

癒してもらうのもいいけど、自分の心が喜ぶことが元気になるために必要なんだ、とそこで急にスイッチ入った気がした。

でも、練習もできないのに楽器演奏趣味になんてできないよ、と思いかけたが、、、電子ならヘッドフォンで何とかなるんじゃない、とそこで初めて気づき(早く気づけよって当時の自分に突っ込みたい)。

その後の行動は早かった。買える範囲の楽器を下見に行ってすぐに発注。体験レッスンに行って、通える時間に枠が空いていた先生にピンときてそのまま鼻息荒く、入会申し込み。

親の目、周囲の目を気にして自分のこと後回しに生きてきた時間が長すぎて、自分優先にするイコール自己中と何故か頑なに信じているところがあったのだが、、ちょうど母の過干渉から離れた時期とも重なり、自分で選択して始めたということが小さな自信になったのかもしれない。

その後、、いざレッスン始めてみると、過去に弾けていた自分のイメージからの劣化が激しすぎて打ちひしがれ、ブランクなく何十年も弾いてる人のレベルに圧倒され、這い上がる日々が始まるのだが、10 年が過ぎ、今は当時目標だった曲にも少しずつ手を付けられるぐらいには上達し、加齢とともに衰える運動能力と闘いながらも止めずに続けることができている。

義務感とは無縁のところで生活の一部となり、今のところ練習できない期間があっても、止める選択肢はなく、健康寿命までは演奏をするつもり。
人によっては、練習できないならとあっさり止める決断をするのだろうが、私は練習不足でうまく弾けない期間があっても、上達が踊り場になっても、それはその時々の通過点として、淡々と続けていたい。

ACに関する本を読んでいて、趣味などに依存しやすいという記述がありドキッとしたが、第一優先は家族であり、今の関係性は依存ではないと思う。でも、再開した当初は少し依存に傾いていたかもしれず。適切な距離が取れるようになって続けていられるのは幸せなことかもしれない。


以上が今楽器を弾いているきっかけの話ですが、ぶっちゃけ言うと、ライフワーク持っていて何が良かったかって、仕事でメンタル落ちることがあっても、家に帰れば楽器触れる、仕事じゃへまをやったけど、練習を頑張って上達し続けている、という心の砦がひとつあることですね。

出産後は仕事終われば子供に会える、というのも加わりましたが、砦は自分の心が守られるだけ、いくつあっても良いと思っています。最後の砦だけだとそこが崩れたときを考えると、いかにも心許ない感じがしてしまう。そこに最近自問自答ファッションも加わったので、思い詰める暇がなく、近年になく精神が安定していて良いです。アラフィフにして遅ればせながら、自分をケアすることを学んでいるのかも。

以上、気づいたら3000字超えてますが・・・そのまま放流します。
お付き合いいただいてありがとうございました。




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