【小説】放課後爆音少女 第五話「赤い指先」
5月に入り、今日は初めてのスタジオ練習の日だ。緊張してしまう。足が重い。
軽音楽部の時もそうだったけど、私は凄くあがり症だ。
初めての曲を合わせるときはいつも胃が少し痛いし足がすくむ。まず中原くんと健太くんに初めて歌声を聞かれることが怖い。
私は二人の期待に添えられるだろうか。好きな歌声じゃなかったり、単純に下手だと思われたらどうしよう。
桜井くんは心配ないと言うけど私は怖い。人の期待に応えられずに、人が離れていくのがとにかく怖い。こんなに緊張するならバンドなんて断ればよかった、と思ってしまう。
それくらい私は、本来、気が弱いのだ。
5曲はどうにか覚えた。久々にギターを弾くと、指先が赤くなってしまった。
ヒリヒリと痛い。ギターを部室で、一人練習していた頃を思い出す痛みだ。
そうそう。そしたら優太が声をかけてくれて。指の皮がめくれていることに気づいてくれたんだ。私の赤い指先に。しばらくしたら、その指に触れてくれるようになって、手を繋ぐようになって。
こんな風にして、気がつくと私は優太のことをまだまだ思い出してしまう。
時間は良薬と聞いていたけど、あれからもうすぐ1か月経つというのに、私は毎日毎日、何度も何度も優太を思い出している。
前のバンドは、心から信頼している優太という存在がいたから、私のことを何があっても見捨てないであろう優太がいたから、今ほど緊張しなかった。全部気のせいだったけど。
実際は、優太は信頼するほどの人ではなかったし、他に可愛い女の子が現れたら簡単に私を見捨てた。
でも、一年も一緒にいて、沢山話して、沢山キスをして、映画を見るとか遊園地に行くとかそういうこともした。まだ17歳の私は、たったそれだけのことで、この人は何があっても私の味方だなんていう錯覚を起こしてしまっていた。
優太が信じるに値しない人であることも悲しかったけど、簡単に人を信じてしまった自分の至らなさにも、酷く落ち込んでいた。
傷つくくらいなら、始めなければいいのに。
なぜ始めてしまうんだろう。恋愛も、バンドも。
スタジオ前だというのにかなり凹んでしまったまま、私はスタジオクレイジーバードに着いた。相変わらずハードロックが爆音で流れる中、店主の矢島さんは、腕を組んで寝ている。
「おはようございます…」
矢島さんが目を覚ます。
「ああ、おはよう。今日はBスタジオね。もう皆来てるよ。」
矢島さんが寝起きで血走っているギョロッとした目をこちらに向けて、ぶっきらぼうに言う。やっぱり変わってるし、少し怖いなと思う。
「はい、よろしくお願いします。」
矢島さんが、あ、そうそうと付け加えた。
「あいつら、喜んでたよ。やっとボーカルが入って嬉しいって。いつもピリピリしながらスタジオに入っていくのに、今日はニコニコしてたよ。あ、ドラムのやつだけ曲を覚えれてるか不安だとか言ってアワアワしてたけどね。」
そう言って矢島さんはニッコリ笑った。矢島さんの優しい笑顔にも、皆が楽しみにしてくれていることにも、じんわりと心が暖かくなった。少しだけ胃の痛みが和らぐ。
「が、頑張ります!」
少し深呼吸をして、スタジオの重い扉を開けた。
3人はセッティングをしている最中だった。桜井くんはギターアンプの目盛りを睨んで、中原くんはベースのチューニング(※楽器の音の高さを合わせること)をして、健太くんはシンバルの高さ調整をしている。
音色が固まったであろう桜井くんが私に気付く。
「おはよう。曲覚えた?」
「おはよう。多分、覚えれたと思う…多分」
桜井くんが笑う。
「曖昧だなあ。まあ今日は初合わせだし、ざっくり合わせれたらいいと思ってるよ。」
健太くんがそれを聞いて安堵する。
「本当に?良かったあ。俺も覚えてるか不安なんだよ。」
桜井くんが健太くんをキッと睨んだ。
「春は初合わせだけど、健太は俺らと何回も合わせてるだろ。ちゃんとしろよ。」
「はぁい…」
健太くんが意気消沈する。少し可哀想だけど、それくらい桜井くんは本気なんだろう。
そう思うと、さっきほどけた緊張がまたぶり返す。
「春も、ギター準備して!俺マイク準備するから。」
桜井くんが手際よく、ケーブルをマイクに刺して、マイクスタンドにセットする。
ギターボーカルはギターのセッティングをしつつ、マイクのセッティングもしないといけないため、いつも時間が掛かってしまう。しかし桜井くんが手伝ってくれたおかげで、私はギターをいつもより早くセッティング出来た。
優太は手伝ってくれなかったな。優太は自分の準備が終わっていても私を手伝ってくれることはなかった。私は優太のダメなところに初めて目を向けた気がした。
皆のセッティングが完了したところで、中原くんがみんなに声をかけた。
「じゃあ、合わせようか。」
緊張するけど、やるしかない。練習はした。私は覚悟を決めた。
曲はチャットモンチーの5曲だ。私が好きな女性ボーカルのバンドをやろうと皆が言ってくれて決まった。
「じゃあ、『湯気』から」
ドラムの4カウントで曲が始まった。桜井くんのギターの音が耳に刺さる。ベースがうねる。バスドラムが心臓の音とリンクする。一瞬、ゾクっと言う感覚が走る。やっぱりバンドをするのは楽しい。そして私が歌い始める。さらに高揚する、と思った。
しかし自分の歌が楽器の音に負けて全然聞こえない。皆あれ?と言う顔をする。一番までやり終えたところで、演奏は自然にストップした。
中原くんが言う。
「春ちゃん、マイク入ってる?」
私は動揺する。
「う、うん、入ってるんだけど、聞こえないよね…」
桜井くんが言う。
「マイクこれ以上あげるとハウリング起こすよ。春、もうちょっと大きい声で歌える?」
私は困ってしまう。私の声は確かに、こないだスタジオで聞いた桜井くんの歌声よりは小さいかもしれない。でも、軽音楽部で組んでいたバンドでは、声が聞こえなかったことはない。私は戸惑いながらも、皆に言う。
「あのね、楽器の音、ちょっと耳に痛い感じがするんだ…。」
皆が困った顔をする。皆何も言わない。沈黙が続く。沈黙を破って、桜井くんが話し始めた。
「俺ら3人は、今までこの音でやってきて、これが迫力あって格好いいと思ってるんだ。春の声が大きくなれば解決すると思う。」
私は苦しくなった。軽音楽部で組んでいたバンドではこんなことを言われたことがないからだ。もっと言えば、優太にこんなことを言われたことがないからだ。
優太のギターはこんなに大きい音じゃなかった。優太の音は桜井くんのギターほど迫力はないけど、優太の音が細いおかげで私は歌いやすかった。泣き出しそうだ。
涙の膜が張るのが分かる、今にも溢れそうだけど、スタジオで泣くなんてダサすぎる。私は下を向いて、涙に、引っ込め、引っ込めと暗示を必死でかけて、どうにか目が乾いてきたところで顔を上げた。
「わかった。大きい声出すよ。」
桜井くんはホッとした顔で「じゃあもう一回!」と言い、また曲が始まった。
私は今までよりどうにか大きい声を出そうとして、口を大きく開けた。叫ぶように歌った。結果、スタジオ練習の2時間が終わる頃には声がガラガラに枯れてしまった。
最後の一曲を合わせてる最中に、矢島さんがスタジオに入ってきた。
そろそろ片付けの時間だよ、という合図だ。ガラガラの声を矢島さんに聞かれて恥ずかしい。せっかくさっき、優しい言葉をかけてくれたのに。
最後の一曲が終わり、私たちは片付けをして、スタジオから出た。スタジオの休憩室に座り、ガラガラの喉をどうにか癒したくて水を飲む。ヒリッとした痛みが喉に走る。
中原くんが私を気遣う。
「春ちゃん、声大丈夫?」
「大丈夫だよ」と私は言ったが、全然大丈夫じゃない自分の声に悲しくなる。
その声を聞いて桜井くんが言った。
「春、喉も楽器だから。ちゃんとケアしてね。あと、声枯らさなくても歌えるように、頑張ろう。」
私は思わず黙ってしまった。「頑張ろう」という言葉が、あまりにも厳しく聞こえた。練習したのに。全然本領を発揮できなかった。
それを聞いて健太くんが言う。
「あのさ、ドラムのすぐ隣にボーカルモニターがもう一つあるから、俺だけ春ちゃんの声が1曲めから聞こえてたの。」
私は驚く。
「え、そうなんだ。」
「うん。スタジオ中に言えなくてごめんね。
でね、春ちゃんの声、1曲めのとき凄く良かったんだ。でも大きい声を出そうとしてくれてから、春ちゃんの声の良さが、どんどん無くなっちゃたんだ。
切ない声が野太くなって。なんか違うって思ったけど、俺ほんと曲叩くのに必死で言えなくて。ごめん。」
桜井くんも、中原くんも黙っている。なんて言ったらいいか分からない、と言う顔をしてる。
私はこの場から逃げ出したくなって、適当なことを言った。
「健太くん、ありがとう。まあ、私とりあえず頑張るからさ、今日は疲れたし帰るよ。じゃあね。」
私は一人でスタジオのロビーから出た瞬間、ドバッと大粒の涙が溢れた。
なんだか悔しい。なんだか悲しい。いろんな気持ちがどんどん押し寄せる。
沢山練習したのに。指も久々に痛くなったのに。スタジオで沢山ギターを弾いたため、赤い指先がじんじんと痛む。優太は、私の赤い指先に気付いてくれたのに。
沢山練習したんだねって、認めてくれたのに。
指先の痛みが、心の痛みをかき消すような感覚に襲われて、少しだけ気持ちがいい。
人はこういうときに、自分の身体を傷つけたくなるんだろうと感じる。
例えばピアスを空けたり、自傷したり。それくらい心の痛みの威力は強い。
この心の痛みを掻き消すためならなんだってする、と考えてしまうくらい、人をおかしくする。
私は近所の誰に見られたって構わないと思いながら、ボロボロ涙を流しながら家までの道を歩いた。
前方から、同じ学校の制服の男の子が歩いてくる。いいんだ、もう。同じ学校の人に見られたっていい。泣き続けてやる。すれ違う数歩手前で、その人が立ち止まる。
「春ちゃん?」
声をかけられて、涙でボロボロの顔を上げると、軽音楽部の部長で、元バンドメンバーの影山先輩が、私を心配そうに見つめていた。
「どうしたの?大丈夫?」
影山先輩の優しい声色を久々に聞いて、私は余計に、うわあんとしゃくりあげた。影山先輩は鞄からタオルを出して、私の頭にかけてくれた。
「ご、ごめんなざい」
泣いて余計にガラガラになった声で謝ると
「なんで謝るの。嫌じゃなかったらだけど、話聞くよ。俺おごるし、ファミレスでも行こっか。」
「ありがどうございまず…」
私は影山先輩とファミレスまで歩きながら、どうにか泣き止んだ。泣きすぎて酷い顔で、影山先輩とファミレスに入った。心底情けない。
「ドリンクバーにしよっか。」
「そうでずね」
鼻が詰まっていてうまく話せない。ドリンクバーでオレンジジュースを入れた。
初めてのバンド会議もこのファミレスだったな。今は元バンドメンバーの影山先輩とここにいるなんて。しかも酷い泣き顔で。影山先輩もオレンジジュースを入れた。
しかし影山先輩はなぜかオレンジジュースの中にミルクを入れる。
「えっ、オレンジジュースにミルク入れるんですか!?」
影山先輩は照れたように笑う。
「驚くよね。俺の好きなバンドの歌詞に、そういう描写が出てくるんだ。ブランキージェットシティの赤いタンバリン。」
「へー…気になります。」
「飲んでみる?」
先輩が作ったオレンジミルクなるものを一口もらった。
オレンジの酸味をミルクが中和するようで美味しい。オレンジ色とミルク色が徐々に混ざり合うのも、夕暮れの中、空と雲が混ざり合う瞬間のようで綺麗だ。
「ハマりそうです」
「よかった!あと、飲み物飲んで、声もちょっとだけ落ち着いたね。」
「はい、ありがとうございます。実は泣いてたのもあるんですけど、スタジオで大きい声で歌いすぎて声が枯れたのもあって。」
私は、今日会ったことを包み隠さず話した。
新しいバンドを組んだこと。そのバンドの練習があったこと。
バンドの音で耳が痛くなったこと。大きい声を出して、と言われたこと。
自分の本領を発揮できなかったこと。頑張ろう、と言われて傷ついたこと。
優太なら、そんなことは言わないと、感じてしまったこと。
影山先輩は、黙って話を聞いてくれた。私が話終わると、言葉を一つ一つ選ぶように、ゆっくりと話し始めた。
「僕はね、大好きなバンドがいて。そのバンドは轟音バンドって言われてるから、覚悟して見に行ったんだ。そしたら凄い迫力だった。
体にビリビリと音が張り付いていくような感覚だっあんだ。
でもね、耳は痛くなかったんだ。気持ちよくて、ずっとその音を聴いていたかった。
本当の爆音は、誰も傷つけないのかもしれない、なんて思ったんだ。」
「…なんか、難しい。」
「そうだよね。でもきっと分かるよ。俺は春ちゃんの歌から、爆音をちゃんと感じる。
そうだな、春ちゃんも、自分に合う歌い方を研究するといいと思う。
歌は、気張るとどんどん、喉が閉まって声が枯れちゃうんだ。
少し脱力するといいんじゃないかな。」
「確かに…。」
大きい声を出そうとすればするほど、体に力が入って、喉を締め上げてしまっていたかもしれない。辛いことを忘れようとすればするほど、心が締め上げられるように。脱力。歌も心も、脱力が大事なのかもしれない。
「春ちゃんの歌は格好いいよ。でももっと格好良く鳴る。
バンドの音に負けない爆音を、きっと出せるよ。喉も楽器だから。」
さっき桜井くんにも言われた言葉だ。喉も楽器。でも、先輩が言うと、とても優しい言葉に聞こえる。
「バンドメンバーにも言われました。桜井くんって言い方きついから、ムカついちゃったけど。私、甘えてたかもしれないです。努力して、爆音の歌、歌えるようになります。」
「大丈夫だよ。でも話聞いてるとその桜井くんって子は、春ちゃんの歌が本当に好きなんだね。」
そうかなあ。私は、桜井くんが自分の歌について何を思っているのか、すっかり分からなくなってしまっていた。
◇
影山先輩と別れて、家に帰ると、私は疲れて死んだように眠ってしまった。
影山先輩に話を聞いてもらって良かった。歌もギターも、頑張ってみよう。私は、本当に久々に、優太や愛子のことを思い出さずに眠った。
そして眠りすぎた。気付いたら朝日が差し込んでいて、時計は午前八時を差している。遅刻寸前だ。
私は半狂乱になりながら、大急ぎで学校に行く準備をした。昨日ギターで皮が剥けた赤い指先に絆創膏を貼りたかったが、そんな時間もない。昨日泣きすぎて腫れた目のまま、慌てて登校した。
教室にチャイムが鳴るギリギリに滑り込んだところで、桜井くんが待ってましたと言わんばかりに声をかけてきた。
「おはよう。髪ボッサボサだね。」
「あーうん。寝坊しちゃった。」
桜井くんは本当にバツの悪そうな顔で、声を絞り出した。
「あの…。昨日さ、俺ら矢島さんに怒られたんだ…。矢島さん、最後の一曲聴いてただろ。それで、沢山叱られたんだ。」
「えっ?なんで。私がすぐ帰ったせい?」
桜井くんが首を振る。
「違う。まず、マイクはもっと音量上げられた。スピーカーにマイクが向かないようにすれば、ハウリングを多少は防げるみたいなんだ。俺、そんなことも知らずに調子乗ってマイクセッティングして。」
「え、そうなの?」
私は昨日桜井くんがマイクをセッティングしてくれたことに感謝していたので、意外だった。
「しかもさ、春の声は高めだろ?それなのに、俺ギターのトレブルを出しまくって、ハイの音ギャンギャンに出してた。健太のシンバルとスネアの叩き方も、ボーカルの声にぶつかりまくってたんだって。音量と音圧は違うって、矢島さんに口を酸っぱくして言われたよ。」
音量と音圧は違う。影山先輩が言っていた好きなバンド話と通ずる部分がある気がした。本当の爆音は、誰も傷つけない。
「私もね、昨日気張りすぎてしまって、喉枯らしちゃったこと、反省してたんだ。私、もっと良くなるから。私たちだけの爆音、探そう。」
桜井くんが笑う。
「なんか急に格好いいこと言うじゃん。春はやっぱ面白いね。あ、そうだ、これあげる。」
桜井くんはゴゾゴゾとポケットから何かを取り出し、私に手渡した。
「絆創膏…。なんで?」
「いや、練習のときずっと思ってたんだ。春、指先の皮めくれて、真っ赤だったから。凄く練習したんだなって。感心してた。だからご褒美。」
なんだ、桜井くんも気付いてたんだ。私の赤い指先。私の指の痛み。そして多分、心の痛みも。
赤い指先に、絆創膏を貼った。小さい子がつけるような、猫のキャラクターが印刷されている絆創膏だ。ぶっきらぼうな桜井くんにあまりにも似つかわしくないその絆創膏が可愛くて、私は痛みを忘れて笑った。
◇
第六話に続く↓↓↓
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