【小説】放課後爆音少女 第十話「灰色の雨」
初ライブから一週間後の六月二十二日。久々のスタジオ練習の日だ。
季節は梅雨真っ只中で、雨が降っている。スタジオの日の雨は本当に憂鬱だ。
ギターケースが濡れるし、それだけならまだしも、ギターが濡れたら溜まったものじゃない。ギターの木が傷む原因になるし、最悪の場合、故障してしまうかもしれない。
気分が落ちる。気分が落ちている日の雨は、なんだかどんよりと暗い色に見える。
曇り空が雨に反映されているかのように、灰色の雨が街に降り注ぐ。
私たちはどうにかスタジオに辿り着き、濡れてしまったギターケースを開ける。
ギターは濡れずに無事だった。桜井くんが私に声をかける。
「雨、大変だったな。タオル貸すよ。ギターケース拭いた方がいい。」
「ありがとう。」
些細な桜井くんの優しさに、なんだか心が晴れる。タオルからは、優しい柔軟剤の匂いがして、なんだかずっとその匂いを嗅いでいたいような安心感があった。
私がギターケースを拭いている間に、皆はもうセッティングを終えていた。
ケースを拭き終わった私も急いでセッティングを始めた。私がセッティングを終えたところで、前回のライブの反省会が始まった。
健太くんが、申し訳なさそうに話し始める。
「俺さ、スネアを買い替えようかと思うんだ。今のスネアは心地よく抜ける音なんだけど、少しハイが強く出るんだ。それが春ちゃんの歌を邪魔したのかなって。
しかも狭いライブハウスだったから、ドラムとボーカルの位置が近い。
だから余計に春ちゃんは歌いにくかったんじゃないかな。」
私は反論する。
「いや、あの日は私が緊張して声が出なかったの。スネアのせいじゃないよ。」
私の意見を聞いて桜井くんが、でもさ、と話し始める。
「確かに、スタジオで合わせるより、ドラムとの位置が近かった。
だから俺、自分の音が聞こえにくくて、ギターの音を結構あげたんだ。
そのせいで春が歌いにくかったのかもしれない。」
中原くんが桜井くんの意見に賛同した。
「俺も桜井に合わせて、ベースの音あげちゃったんだ。リハは良かったんだけど、本番で気づいたよ。少し音を出しすぎたなって。俺らは気持ちよかったけど、結果、春ちゃんが気持ちよくない環境にしちゃったかも。ごめん。」
「いやいや…ほんと私の調子が悪かったんだけど…。」
とはいえ、確かにいつもより皆の音が大きく感じた部分はあった。ライブハウスでやるってことは、こういうことなんだろうと思った。大きい音の方が格好いいんだろう。でも結果、格好良くできなかった。私は影山先輩の言葉を思い出す。
本当の爆音は、誰も傷つけない。
しかし、私のせいにすれば楽なものを。みんなは本当に、私の歌を良くするために、自分を良くすることに必死だ。優しくて、まっすぐな人たちだ。
不甲斐ないし情けないけど、私にできることは、次のライブで、格好良くなることだけだ。私は提案した。
「ねえ、次のライブはいよいよ文化祭だよね。約二週間後。出番は30分だから、同じ5曲かな?違う曲、コピーする?」
中原くんが頷く。
「そうだね、1、2曲くらい、違う曲に挑戦しても楽しいかも。」
じゃあさ、と健太くんが食い気味に話に割り込む。
「俺、ザ・サンライズズさんみたいにオリジナル曲がやりたい!」
私は驚きと動揺を隠せない。
「えっ…それは無理じゃないかな…」
と小さく呟いた私の声に被せるようにして、桜井くんが言った。
「いいね、やろうよ」
中原くんも、やったあ〜とか言ってニコニコしている。
ちょっと待って!と私は声をあげた。
「私、そんな経験ないし。それにあと二週間だよ?現実的に考えて無理だよ。」
そんな私に桜井くんがムッとした顔で反論する。
「世の中には、一日で曲仕上げちゃうバンドが、ごまんといるんだよ。二週間しかないっていうけど、二週間もあるんだ。なんとかなるよ。」
そりゃそうかもしれない。でも私は、まだ高校2年生で、ギターも初めて1年で、しかもこないだ初ライブで。
曲を作るなんて、今まで考えたこともなかった。
迷っている私に、桜井くんが念押しする。
「やってみなきゃわかんないし、やってみよ?
完成しなかったら、こないだの5曲を文化祭でもやればいい。でも軽音楽部の奴らに、俺負けたくないんだ。今も負けてる気はしないけど、勝ちに行きたいから。そう思ったらやっぱり、オリジナル曲でライブしたいなって。」
軽音楽部_。私はすっかり忘れていたが、文化祭の日は当然、優太も影山先輩も演奏するだろう。
もしかしたら、愛子も。確かに、負けたくないかも。いや、絶対に負けたくない。
音楽は勝ち負けではないかもしれないけど、そこに賭ける気持ちや熱量で、負けてしまいたくない。
「そうだね。私も負けたくないから、頑張ってみる。でもさ、私、曲とか作ったことほんとにないよ?誰が作るの?」
桜井くんは自信満々に答える。
「実は俺、家で温めてた曲があるんだよ。よし、そうと決まったら早速合わせよう。健太はBPM175くらいでエイトビート叩いて。早いテンポだけど、走らないように。」
健太くんが言われた通り、エイトビートを刻む。
「よし、じゃあ、ギターはF→C→Dm→A…。」桜井くんがコードをホワイトボードに書いてくれた。
書き終わると、桜井くんはドラムに合わせてそのコード進行でギターを弾き始める。
青っぽいパンクだ。それに合わせて、私と中原くんも必死にホワイトボードのコード進行を弾いて、二人に合わせる。
桜井くんが指示を出す。
「ドラムは極力シンプルでいい。でも、平坦にならないで、所々、曲のアクセントになるようなフレーズを入れてほしいんだ。
「わかった。無駄な手数は入れないようにするよ。」
さらに、ベースにも注文をする。
「ベースはタイトに、でも暑苦しさは大事にしてほしいんだ。」
中原くんは返事をする代わりに音に力を込める。
そして、私にも、桜井くんはまさかの要望を出した。
「歌詞やメロディーは、春に任せるよ。来週のスタジオまでに考えてきて。」
私は目を丸くして驚く。
「は?無理無理!」
桜井くんが私と同じく、目を丸くして驚く。
「いやいや!負けたくないってさっき言ってたじゃん!」
「それとこれとは別だよ!さっき桜井くん、温めてる曲があるって言ったじゃん。」
「バンドのアレンジとコード進行はもう頭の中でだいたい固まってるけど。メロディと歌詞は、全然。」
「なんじゃそりゃ…」
困惑している私を、中原くんが優しく諭す。
「春ちゃんギターも歌も飲み込み早いし、できるんじゃないかな?
俺も曲作るなんて無理って最初は思ってたけど、自分でベースラインを考えるのって、最高に楽しいんだ。やってみたら春ちゃんもハマるかも。」
健太くんが賛同する。
「俺は春ちゃんと一緒で作ったことない!でもどうしても作ってみたい!やったことないから、やってみたい!ワクワクする!」
私も、曲なんて作ったことない。歌詞も書いたことない。
ワクワクしないと言ったら嘘だ。でも、不安が勝ってしまう。
塞ぎ込む私に、桜井くんが優しい口調で囁く。
「春、一度挑戦してみてよ。春が無理だったら俺が考える。けど、春が歌うし、春が歌詞とメロディーを考えてみたら良くなる気がして。出来るんじゃないかな。」
桜井くんのまっすぐな眼差しにひるんだ私は、私は、しぶしぶ了承した。
「わかった。考えるけど、無理だったり、私にセンスなかったら桜井くんが考えてね。」
三人は、やりぃー!とか言ってハイタッチしている。なんだかいつもこの三人に言いくるめられているような…。
でも私は、薄々気づいていたが、この三人に言いくるめられて変わっていく自分が、嫌いではなかった。
◇
勢いに押されて、つい曲を作ると言ってしまってから、はや四日が経ったが、私はなんのアイデアもなく、途方に暮れていた。期限の次のスタジオまであと三日しかない。
一応、今日も学校が終わってすぐに家に帰ってきて、一人悶々と、ノートに向かってペンを走らせたりはした。
だけど、意味不明の文章や、恨み辛みの詰まったブログみたいな文章になってしまい、私はすっかり煮詰まっていた。
家で考えていてもウジウジしてしまうばかりで、うまく歌詞が書けない。
外の空気を吸おうと、私は少し家の近所を散歩した。外に出ると、雨をたっぷり抱え込んでいそうな灰色の雲が空を覆っていた。
スタジオクレイジーバードの近くまで歩いたところで、小さな公園を見つけた。
私は黄色いブランコに一人座り、曲の材料になりそうなものがないか探す。
曇り空だからか、私の他には小学生ぐらいの男の子二人組が、ボールを蹴ったり投げたりして遊んでいるくらいだ。
公園の枯葉や、滑り台、アスレチックを眺める。なんだか懐かしくて切ない気持ちになる。私も小さい頃は公園でよく遊んでいたな。
そういえば、優太とここでのんびりした日もあった。
今でも鮮やかにあの日のことを思い出せる。そんなことを考えながら、公園を見渡していたら、公園沿いの歩道を、めんどくさそうにダラダラと歩いている、制服の男の子がいた。
そして、後ろ姿だけでも、それが誰か分かった。なぜなら、私が惚れていた男の子だったからだ。
優太がいる。優太をあまりに鮮明に思い出したせいで、幻を見たのかと思ったけど、どうやら幻ではなさそうだ。学校の近くなのだから、居てもおかしくはないのだけど。
学校では、優太のクラスには寄り付かないように細心の注意を払っていたので、久々にその姿を見て、私は緊張した。
お願い、私に気付かないで。まだ優太の前でどんな顔をしたらいいか分からない。
優太は公園に目もくれず歩いていく。良かった、このまま私に気付かないで。
振り向かないで。神様お願い。都合のいいときばかり、神様にお願い事をする。
優太はそのまま公園を通り過ぎていった。もう私のことは見えないだろう。安堵した瞬間、小学生の男の子がえいっと蹴ったボールが、公園の外まで転がっていく。
男の子が「ああ〜!ボール〜!」と叫んだ。そしてその声を聴いて優太は立ち止まる。優太の足元にボールが転がり、優太の革靴にぶつかる。
優太がボールを拾った。男の子はボールを取られると思ったのか、焦ってまた叫ぶ。
「僕のボール!」
その声を聴いて、優太はとうとう、振り返ってしまった。
優太が男の子を見つめる。そして、その後ろでしかめっ面をしている私のことも。
「春…?」
私の願いも虚しく、優太は私に気付いてしまった。私は神様を一生信じない。
優太は、公園の外から、ゆっくりと歩いてくる。
そして、男の子にボールを手渡し、喜んでいる男の子に目もくれず、私におずおずと声をかけた。
「春、元気だった?」
「…うん。元気だよ。」
喉から手が出るほど欲しかった人が目の前にいる。
髪が少し伸びたみたいだ。私の知らない部分が、会わない間に増えてしまったことに心を痛める。すると優太が、私を切なげに見つめた後、こう言った。
「春、髪伸びたんだね。」
私は、胸の奥を撫でられたような気持ちになる。同じことを考えていた。優太も、私の伸びた髪を見て、心の痛みを感じてくれただろうか。
私はこの嬉しさがバレないように、わざとらしいほど刺々しく返事をした。
「伸びたけど?何?」
そんな私にも、優太は声色を変えない。
「久々なんだなって、髪を見て実感したんだ。ねえ、よかったらお茶しない?少し話したくて。」
私は、あっさり頷いた。優太が私を誘ってくれた。ただそのことが嬉しくて、頭で考えるよりも先に心が動いて、私は、あっという間に首を縦に振っていたのだ。
公園から、しばらく二人で歩いたところで、見覚えのある場所に辿り着く。
「ここはどう?喫茶街路樹。」
アジサイと、レコードと、老婦人の優しい言葉。
あの優しい時間を思い出して、私は反射的に大きい声を出す。
「ここは嫌!」
そう断言した私に、優太は驚く。
「え…そんなに嫌?」
「いや、あのね、ハンバーガー!ハンバーガー食べたくて!」
私は咄嗟に嘘をつく。
ミカ先輩との優しい思い出が、あの暖かい時間が優太で上書きされてしまうのが、私はたまらなく嫌だった。
そう、ちゃんと嫌だと感じた。
「ふーん。ハンバーガーでいいの?まあいっか。行こう。」
別れた後、優太と最後に足を運んだハンバーガー屋で、また食事をすることになるなんて。喫茶街路樹で過ごした時間とは比べ物にならないほどの、苦い思い出だ。
しかも、その苦い思い出を作った張本人と。
私は食べる気なんて更々なかったハンバーガーを、もそもそと食べる。
窓から外を眺めると、雲行きの怪しかった空からは、やはり灰色の雨が降り注いで、窓を濡らしていた。
その雨にそそのかされるようにして、優太はさめざめと、ここ数ヶ月のことを語っている。
「俺さ、結局、愛子ちゃんとは上手くいかなかったんだ。
春、知ってる?愛子ちゃんって影山先輩と付き合ってるんだ。俺、それがすごく辛くて。
めちゃくちゃメンタルやられたよ。絶対俺の方見てくんないんだ。
俺のことは好きだけど、影山先輩に悪いって言うんだ。」
私に同じ気持ちを味あわせたくせに。私はなんだか白けた気持ちで優太の愚痴を聞く。
ハンバーガーをなんとか食べきった私は、優太に質問する。
「優太はなんであの子が好きなの?」
「もう、なんだか分かんない。好きなのかも分かんないよ。舞い上がってたのかも知んない。可愛い後輩に慕われて。ほんとは遊ばれてたのかな。」
馬鹿らしいなあ、と思う。私はオレンジジュースに入っている氷をストローでカラカラ混ぜながら呟いた。
「遊ばれてたんじゃなくて、本当は、遊びあったんじゃない?でも楽しかったなら、それもいいんじゃないの。」
「そうかも。なんか春、変わったね。大人っぽくなった。俺、実は、反省してたんだ。春は俺のことだけ見てくれてたのに。」
「気づくの遅いよ。」
私は大人になんかなってない。今も、そう言われただけで、悔しいような虚しいような嬉しいような気持ちが複雑に絡み合って、目に涙をいっぱい溜めているような子どもだ。
私は、それがどうにかこぼれ落ちないように努力した。
そんな私を見て優太が呟く。
「綺麗な目だね。」
その言葉を聞いて、とうとう表面張力が崩れ、涙が頬にこぼれ落ちる。
湿度を抱え込んでいた雲が、その重さに耐えかねて、街に灰色の雨を降らすように。
その涙に、私の頬に、優太が触れた。
「春。俺、春と別れてから何回も春のこと思い出してた。すごく会いたかった。
そしたらなんでか今ここで会えた。それって、そういうことなんじゃないかな。」
私は優太に、頰の涙を指で掬われながら、聞いた。
「それって、どういう意味?」
「やり直せないかな、俺たち。やっぱり俺、春が好きなのかもしれない。」
やり直せないかな。何度も何度も夢に見るほど願ったシーン。夢の中で何度も再生されたシーン。それが今、現実で、目の前で、再現されている。
もしこの夢が現実になるなら、嬉しくて、すぐにきつく抱きしめて、もう二度と離さない。そう思っていた。
でも本当にそれが現実となったとき、私はどこか興ざめしていた。
好きなのかもしれない。そう言われた瞬間、私は優太の、「かもしれない」と語尾につけてしまう狡さに気付いてしまって、嬉しさよりも虚しさが勝っていた。
そして、私の歌を「好き」だと何度も断言してくれた桜井くんの、月に照らされた横顔を、私は思い出す。
「…春?」
黙っている私に、優太は不安そうに声をかける。きっと、やり直そうといえば、私は喜んで受け入れると思っていたのだろう。私もそうだと思っていた。
でも、現実ではなぜだか、私は、桜井くんが好きなアイスコーヒーや、スタジオまでの道のりで一緒に見たアジサイ、そして桜井くんのギターの音を思い出していた。熱くて、嘘がなくて、芯のある、桜井くんのギターの音。
なんで今、桜井くんのギターの音を思い出すんだろう。ああ、そうだ。桜井くんが、私の頭の中の優太のギターの音を掻き消してくれたんだ。
「私、帰るね。」
「なんで?外、雨だよ?傘持ってないじゃん。止むかもしれないし、一緒に止むの待とうよ。」
「いいの。濡れて帰る。」
「春、待ってよ!」
優太の声に耳を貸さず、私はハンバーガー屋から外へ出た。
雨はザアザアと降っているけど構わない。濡れたって構わない。私は人間だから、ギターと違って、ちょっとくらい雨に濡れたって、壊れたりしない。
涙が溢れる。灰色の雨が私を濡らすから、頬を濡らすのも、雨か涙か分からない。
私の涙を、灰色の雨が隠してくれる。
家に着く頃、雨は降り続けていたけど、雲の切れ間から、太陽の光が差した。
狐の嫁入りというやつだ。雨なのに晴れている。
私はというと、涙は溢れて止まらないのに、心はなぜだか、とても、晴れやかだった。
◇
第十一話はこちら↓↓↓
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