書く習慣1ヶ月チャレンジDAY12「自分に得意なことなんて無いと思ってしまう件について」
今日のテーマは、「自分の得意なこと」なのだが、私はそのまま「自分の得意なこと」というテーマの内容を書くのではなく、「自分の得意なこと」というテーマ自体について書きたいなと思い、画面を開いている。
というのも、「自分の得意なことは何ですか」は、長い間私にとっていちばん苦手な質問だったからだ。
おそらく自分は、「得意」の基準がハチャメチャに高い。
たとえ何かでクラスでいちばんになったとしても、たかがひとつの学校のひとつのクラス。
たとえそれが県でいちばんになったとしても、たかがひとつの県内。
たとえ何かのコンテストで優勝しても、そのコンテストに出た人の中でたまたまいちばんだったというだけ。
そういう考え方をしてしまう。
だから、何かが「まぁ苦労しないくらいにはできてるかな」程度には思えたとしても、常に上には上がいる以上、「自分はこれが得意!」などと口が裂けても言えないのだ。
それに、得てしてこのタイプの人間は「自分が実は得意」なものほど自分ではいたって普通だと思っていて、人から指摘してもらって初めて気づいたり、いやむしろそれでもなお「全然、これぐらい普通だろう」とまた思い直してしまうものである。
だから、そもそも自分で「うまくやれた」「最高の結果だ!」などと満足することが私はほぼなかった。
さらに、自分は「インポスター症候群」というものに当てはまるらしく、たとえ何かがうまくいって、やっとその「うまくいった」こと自体が認められたとしても、それを自分の実力だとは思えず、「たまたま運が良かっただけ」「周りのサポートのおかげであって、自分がすごいわけではない」と思ってしまう。
そして、うまくいっていてもいつかは自分が本当は全然実力がないことが露呈してしまうなどと恐れたり、そのくせ失敗したときだけは運や他の要因のせいにできず、「全部自分のせいだ」と思い込んだりする。
欧米の文化と比べると、このタイプの思考は日本の文化圏ではそう珍しくないようだ。
しかし、今この歳になって冷静に周りを見ても、自分ほど自分に自信がなく常に自分に厳しく基準が高く、何をうまくやれても自分を褒めてあげられない人間にはなかなか出会わない。
私は長い間英語を習っているが、続けてきたおかげで数年前に英検1級に合格した。
準1級やTOEIC880点程度で満足してはいけない、もっとスキルアップしなければと思い、働き始めてから取った資格だった。
しかし、それでもなお、「私は英語が得意」だと思えぬままだった。
英会話教室で、自分の言いたいことが満足いくレベルで伝えられないたびに、英語を聴いていて、わからないところに出会うたびに、
「自分はまだまだだ」「自分は全然英語ができない」と思ってしまうのだ。
朝の連続テレビ小説「カムカムエブリバディ」が、いよいよクライマックスを迎えようとしている。
英語に積極的に関わる主人公の姿を見ながら、幼い頃から英語を学んできた自分のことも振り返る時間となった。
先日英会話のオンラインレッスンで、初めて話したアメリカ人の先生から「どうしてそんなに英語が上手なのか」と褒めてもらった。
もちろん、英会話教室では基本生徒を褒めるスタイルで運営がおこなわれているので、以前の私だったらそんな風に思って終わりだっただろう。
しかし、ヒラカワさんに「How do you come to speak English so well?」という言葉をもらったひなたのことを気づけば思い出していた。
ひなたは、私の目から見ても英語が、特にニュアンスを伝える表現力がものすごく上手で、海外の方々が純粋に驚く姿には共感しかなかった。
人間、人のことはよく見えるものだ。
劇中で、ひなたも謙遜していたし、彼女もまた本当に「まだまだ学ぶことがたくさんあり、学んでいる途中だ」と思っているであろうが、難しめの単語も何なく聞き取り、自分の意志も適切な表現でしっかり伝えられるひなたの英語コミュニケーション能力は、明らかにハイレベルだと思った。
私に同じような言葉を伝えてくれたアメリカ人の先生からも、純粋な驚きと感心が感じられ、ひなたの力を絶賛していた自分の感情に引っ張られて、なんだか初めて、ストンと自分への賞賛を受け入れられた気がした。
何事にも、「学び終わり」はないと思う。
「もう到達した」と思った時点で成長は止まってしまうし、「まだまだだ」と思って努力し続けるからこそ進歩できる。
それでも、「適切に自分を評価すること」「他者からの評価を(鵜呑みにするわけではなく)きちんと受け止めること」は必要なことだと改めて悟った。
否定的な「まだまだだ」と、前向きな「まだまだだ」。
持つならば後者がいい。
自分の考え方こそ、アップデートが必要だった。