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書く習慣1ヶ月チャレンジDAY11「気疲れと私」
自分の嫌いなところは、「周囲のさまざまなことに敏感で、すぐ気疲れする」ところだ。
今は、昔ほど「耐えられないほど嫌い」ではないし、むしろ「自分の好きなところ」と表裏一体でもある面だと感じてもいる。
しかし、学生時代はほんとうに、この性質があっていいと思えたことはほとんど無かった。
歳をとるにつれて、楽になっていったように思う。
だから、小学校低学年の頃がいちばんつらかった。
まだ諸々分別のついていない同級生たちとパッキングされた教室では日々、無秩序に、無慈悲に(恐らく彼らからすればただ無邪気に)、言葉が飛び交う。
人一倍敏感な私は、そういった言葉に常に傷ついた。
正直、彼らの言動は、私からすれば正気の沙汰とは思えなかった。
だから、かなり浮いていたと思う。
誰と話していても、嫌な思いをするので、誰と仲良くしていいのかもわからなかった。
「なぜ、そんな荒々しい言い方をするのか」
「なぜ、平気で嫌なことを言うのか」
「なぜ、人が嫌な気持ちになっているのが見てわからないのか」
担任にも恵まれなかった私は、担任に対しても常にそう思っていた。
それでも、私自身もまだ幼かったわけであり、そうした刺激に耐えられなくて、というより、何でわからないのかと悔しくて、よく教室で泣いた。
すると、また追い打ちをかけるように色々と言われる。
その頃、私を可愛がってくれていた祖母が亡くなり、死というものを目の当たりにした私は、気がおかしくなるほど死が怖かった。
毎日を生き生きと過ごせていたら、流れる日々の忙しさと騒がしさで、この怖れの気持ちも、カフェオレにとけてゆく砂糖みたいに見えなくなっていったのかもしれない。
でも、学校では、嫌なことばかりある。
なんだか毎日が、ガタガタした暗い道を、ボロボロの電車で走っているみたいだった。
すぐ泣く私を、毎日クラスメイトはバカにしてくるし、よく意味のわからない理由で責められたりもした。
大人になるにつれ、自分も自分の気持ちのコントロールがだんだんとできるようになっていったし、周りにも秩序というものが生まれてくるので、少しずつではあるが、生きやすくなっていった。
社会人になって、自分の性質やがんばってきたことを活かせる仕事を選ぶことができたおかげもあって、今比較的気持ちが安定した生活ができている。
それでも、日々常に人と接する仕事をしている以上、自分の心身の具合に常に耳を傾け大切にしていないと、すぐにバランスを崩してしまう。
今日も、少しショックなことがあったせいで睡眠不足や夜の噛み締めが続き、丸一日ひどい頭痛で寝込んでしまった。
もっとタフになりたいな、とも思う。
でも、そうだったらできなかった「自分だからこそできること」がきっとあるのだ。
時々、思い切り自分を甘やかしながら、うまくこの性質と付き合っていかねばならないのだろう。